第41話:鉄の菜箸の舞(カプリッチョ)。フライパンの盾と、揚げ油の地獄絵図
第41話:鉄の菜箸の舞。フライパンの盾と、揚げ油の地獄絵図
二〇二六年七月二六日、二三時十五分。
豪華客船の深部、深夜の調理場は、一瞬にして鉄と血が火花を散らす戦場へと変貌した。音を消して迫る三人の暗殺者。彼らの振動ナイフが、青白い光を帯びてエルナの喉元を狙う。
「……ハンスが磨き上げたこの床に、貴殿らの汚れた血を流すのは不本意だが……背に腹は代えられんな」
エルナは、背後に迫った一人目の刃を「重晶鉄の菜箸」で受け止めた。
——キィィィィィィィィン……!!
菜箸の高密度な質量が、暗殺者の振動ナイフを力尽くで「沈黙」させる。
「なっ、なんだこの箸は……重すぎる……っ!」
「これは箸ではない。法を執行し、不協和音を正すための『騎士の骨』だ」
エルナは菜箸で手首の経絡を突くと、流れるような動作で調理台のチタン製フライパンを左手で掴み取った。
——ガォォォンッ!!
二人目の投擲ナイフをフライパンの底で弾き返す。肉厚の金属が奏でる重低音が、調理場に勇壮なリズムを刻み始めた。
「ハンスなら、これで最高のオムレツを作っただろう。……だが、今は私の盾として、貴殿らの絶望を跳ね返させてもらうぞ!」
エルナは足元のペダルを力強く踏み抜いた。それは、加熱中だった揚げ物用フライヤーを一気に傾ける緊急レバーだ。
——ゴォォォォォォッ!!
百度を超える熱々の油が、床一面に波となって広がる。さらにエルナは、ハンスがわざと開けておいた激辛チリオイルの瓶を蹴り飛ばし、熱したフライパンを床に叩きつけた。
——ジュワァァァァァッ!!
猛烈な刺激臭と蒸気が立ち昇り、防音スーツの隙間から暗殺者たちの目と鼻を焼き切る。
「ぐあああぁぁぁっ!!」
「熱い、鼻が……っ!」
「聴こえるぞ。貴殿らの恐怖が、油の爆ぜる音に混じって不細工なカプリッチョ(狂詩曲)を奏でているな」
エルナは菜箸でステンレスの棚を強打し、一定の周波数を発生させた。共鳴した振動が暗殺者たちの耳管を揺さぶり、スーツの防音機能を逆手に取って、脳を直接震わせる。
——ドォォォン、ドォォォン!!
重晶鉄の質量を叩き込まれた暗殺者たちは、油の海に沈み、動かなくなった。調理場には再び、換気扇の唸りだけが残された。
エルナは息を整えながら、巨大な冷凍倉庫のハッチを見据えた。あらゆる匂いを凍結させる冷気の中に、微かに混じる「小麦粉の、乾いた音」。
「……ハンス。お前だな」
エルナは懐のポルチーニを一度強く握りしめ、凍りついたハッチのレバーに手をかけた。
開かれた扉の向こう、氷点下三十度の世界で、彼女の耳はついに「相棒の心音」を捉えた。




