第32話:廃材の旋律と、鉄の「双牙(そうが)」
第32話:廃材の旋律と、鉄の「双牙」
二〇二六年七月二〇日、午後四時。
秋葉原のメインストリートから一本、また一本と路地を折れるごとに、音の質感が変わっていった。高い電子音は影を潜め、代わりに聞こえてくるのは、換気扇が古びた油を吸い込む低い唸りや、無造作に積まれた電子基板が風に触れて鳴らす、乾いた「カサカサ」という死着音。
「……ハンス。ここには、捨てられた夢の残響が溜まっているな」
「ええ、エルナ様。ですが、この堆積物の層こそが、真実という名の掘り出し物を隠す土壌でもあります」
二人は、会員制「アケロン」の所在地とされる雑居ビルのすぐそば、看板すらない古びた金物店の前で足を止めた。店内には、プロ仕様の包丁から正体不明の金属棒までが、秩序なく、しかし確かな殺気を放って並んでいる。
——キィ……。
店先に吊るされた、黒ずんだ鉄製の菜箸が風に揺れた。エルナはその「音」に足を止めた。他の器具が軽い金属音を立てる中で、その菜箸だけが、地響きのような重く静かな余韻を引いたからだ。
「……ハンス、あれを見ろ。あの菜箸、ただの鉄ではないな」
「……ほう。アステリアの北方鉱山で採れる『重晶鉄』に似た、極めて密度の高い合金のようです。大鍋を力任せに掻き回すために特注された、調理器具の皮を被った鈍器ですね」
エルナは迷わずその菜箸を手に取った。ずしりと、腕の筋肉を直撃する重量。新調したマイ箸が「精密な剣」ならば、これは「断罪の槌」だ。
——ガチンッ。
二本の菜箸を打ち合わせる。火花が散るような硬質な音。
「これを貰おう。……アケロンの扉を抉じ開けるには、このぐらいの無骨さが必要だ」
潜入直前。二人は軒下の煮込み屋を見つけた。鉄の匂いに満ちた街に、味噌とモツの脂の香りが漂っている。
「……ハンス、最後の『熱』を入れておきたい」
「御意。……戦場に向かう前の、泥臭い補給もまた一興です」
注文したのは、黒い鉄鍋で煮込まれた「大盛りモツ煮」。エルナはさっそく、手に入れたばかりの鉄の菜箸をその熱い海へと突き立てた。普通の箸ならしなってしまうほどの大ぶりなシロを、鉄の菜箸は無造作に、かつ力強く掴み上げた。
——ガツッ、ガツッ……。
口に放り込む。赤味噌の濃厚なコクと、モツの野性味あふれる脂が、胃の腑から闘志を再点火させていく。
——ゴツッ、ゴツッ。
咀嚼するたびに、重晶鉄の菜箸が器の底を叩く。繊細なパフェとは対極にある、生きるための、泥臭いエネルギーの略奪。
「……ふむ。この菜箸、私の指先の力を一滴も逃さず肉へと伝える。……よし、ハンス。準備は整った」
「御意。……アケロンへの『鍵』は、既にその手の中にあります」
エルナは最後の一滴まで汁を飲み干すと、鉄の菜箸を懐のホルスターへと収めた。
——ゴクリ。
喉を鳴らす音。それは、不協和音の源泉たる「アケロン」の静寂を、力尽くで粉砕せんとする決意の証。
薄暗い階段を下り、二人は一枚の、重厚な鉄の扉の前に立った。
扉の向こうからは、何の音もしない。ただ、不自然なまでに冷たい、真空のような気配だけが漏れ出している。
「……開けるぞ、ハンス。この無音の裏で震えている、メイドたちの叫びを拾い上げるために」
——ドォォォン……ッ!!
鉄の菜箸の先端が、扉のロックを粉砕する。その重厚な衝撃音と共に、秋葉原の深淵「アケロン」への幕が開いた。




