第22話:不名誉な称号(コードネーム)と、立ち食い蕎麦の洗礼
第22話:不名誉な称号と、立ち食い蕎麦の洗礼
二〇二六年六月一五日。
事件解決から数日、新橋署の廊下には、ある噂が風のように吹き抜けていた。
「おい、例の音の探偵、また山本警部と飯食ってたらしいぞ」
「ああ、あの姫騎士だろ? 現場検証の帰り、あいつ、血生臭い路地のすぐ横で唐揚げ串を三本も平らげてたってよ。……付いたあだ名が『喰いタン』だ」
クスクス……という刑事たちの忍び笑い。その不協和音は、一階下の受付ロビーにいたエルナの耳に、鮮明すぎるほど届いていた。
「……ハンス。聴こえたか。『喰いタン』。これはこの国における、高潔な騎士に対する敬称か?」
パタン、とハンスがタブレットを閉じる。
「……恐らく、その両方かと思われます。姫が事件を解決するたび、何かしら頬張っている姿が、彼らの規律には異様に映ったのでしょう」
「……解せんな。私は常に、最良のパフォーマンスを出すために補給をしているだけなのだが。……不名誉を晴らすには、さらなる実績を積むまでだ」
そう言ってエルナが足を踏み入れたのは、新橋駅のガード下にある立ち食い蕎麦屋だった。
——ズルズルズルッ!!
店内に響き渡る、一斉に蕎麦を啜り上げる轟音。それは、時間の流れる速度が異常に速いこの街で、戦士たちが束の間の休息を貪る突撃のラッパのようだった。
「かき揚げ蕎麦、二つだ!」
わずか数十秒で差し出された丼。エルナは立ったまま、その熱気と対峙した。
「……ハンス、聴け。このつゆの蒸気が立てる音。そして、揚げたてのかき揚げが汁を吸ってジュワッ……と泣いている音を。……これを聴かずに、どうして事件を語れようか」
——ズルッ、モグモグ……。
出汁の香りが鼻腔を抜け、蕎麦の粒子が歯を叩く。その時だった。店内の喧騒の裏側、テレビから流れる「新橋納涼祭」のニュース映像から、エルナの耳が「異質な音」を拾い上げた。
——ピッ……ピッ……ピッ……。
和太鼓の練習風景の背後で、一分間に一度、正確に刻まれる高周波の電子音。
エルナの箸が止まる。
「……山本卿。貴殿の部下が私を喰いタンと呼んでいるようだが、今、その余裕はないようだ」
背後に立っていた山本警部が、ギクリとして足を止める。
「……おい、また食ってるのかと思えば、今度は何だ。その怖い顔は」
「音が言っている。この街の浮かれた祭りのリズムに、死を告げる秒針が混ざっていると。……山本卿、納涼祭の会場に爆発物の探知犬を出せ。これは『嘘』ではない」
店を出ると、夕暮れの新橋にはゴォォォ……という電車の地鳴りが響いていた。だがその響きは、どこか導火線が燃える音に似ていた。
「……ハンス。決めたぞ。『喰いタン』。その名が、この街の毒を食らい尽くす者の称号だというのなら、甘んじて受け入れよう」
「流石はエルナ様。……では、今夜は爆発的な活力を生む、特製餃子を用意しましょう」
軍靴が、新橋のアスファルトをコツ、コツと叩く。その足取りは、蕎麦で満たされた胃袋の重み分だけ、より力強く、より迷いがない。
「喰いタン、か。……悪くない響きだ」
夕陽を浴びて、エルナの黒檀の箸がキラリと光る。
姫騎士探偵エルナ、またの名を「喰いタン」。彼女の伝説は、祭りの太鼓を打ち消す「警告の音」と共に、次なる戦場へと加速していく。




