表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界姫騎士、新橋の牛丼に屈服する。――宮廷料理人と安飯の魔力  作者: 水前寺鯉太郎
食いしん坊探偵誕生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/87

第17話:黄色の要塞(ラーメン)と、束の間の休戦

第17話:黄色の要塞ラーメンと、束の間の休戦


 二〇二六年四月五日。

 佐伯との決戦から二日。エルナの右拳にはまだ微かな痺れが残り、ハンスの研ぎ澄まされた神経も、ようやく日常の弛緩を受け入れ始めていた。

「ハンス。……山本殿が言っていた『戦士の休息に相応しい糧』とは、ここか?」

 二人が立っているのは、新橋の路地裏。強烈な醤油とニンニクの香気が、物理的な圧力となって鼻腔を突く「二郎系」の店前だった。看板の黄色は、警告色か、あるいは未知なる豊穣の合図か。

「……エルナ様。ここからは未知の領域です。心してかかりましょう」

 店内は、一種の異常な熱気に包まれていた。

 ——ジャッ、ジャッ!

 巨大な平ザルが麺の湯を切る、力強い打撃音。

 ——ゴォォォ……。

 巨大な寸胴の中で、豚骨と脂が濁流となって唸る重低音。そして。

「ニンニク入れますか?」

「——ヤサイマシマシアブラカラメ」

 客たちが発する、感情を排した呪文コールの響き。それはアステリアの魔導士たちが唱える詠唱よりも、遥かに実戦的で、容赦のない音だった。エルナはカウンターに置かれた黒檀のマイ箸を、戦斧のように握り直した。

「お待たせしました」

 ——ドンッ!!

 目の前に置かれたのは、もはや料理の概念を逸脱した「山」だった。標高二十センチはあろうかという茹で上げられた野菜。その頂面を覆うのは雲海のような背脂。地層のように分厚いチャーシューの塊。

「…………ッ」

 ハンスが絶句する。だが、エルナの瞳には戦士特有の歓喜が宿っていた。

「……いいだろう。この要塞、私が一気呵成に攻略してくれる!」

 ——ズ、ズズズッ……!

 エルナが極太の麺を啜り上げた。それは啜るというより、強靭な生命力を引き摺り出す音だった。ワシワシとした食感の麺が、強塩価のスープを纏い、彼女の喉を「ゴキュッ」という音を鳴らして通り過ぎる。

「……強い。この麺の弾力、まるでアステリアの剛剣を受け止めた時の手応えだ」

「姫、この豚も……。繊維が崩れる際のホロリという音の後に、脂が爆ぜる音が聴こえます」

 二人は一心不乱に食らいついた。かつての王宮の優雅な会食では決して許されなかった、魂の叫びのような食事。十五分後。そこには、空になった丼と、一筋の汗を拭う主従の姿があった。

「……ふぅ。山本殿の言った通りだ。これは、戦いだった」

 店を出ると、四月の夜風がニンニクに火照った肌に心地よい。だが、その夜、アパートへ戻った二人に、本当の「休息」が訪れる。

 ——シュゥゥゥ……。

 ハンスがキッチンで静かに火を点ける。二郎系の暴力的な熱量を鎮めるための、澄み渡った音。

「……外の戦いも良いですが、やはり最後はこれで締めねばなりません」

 差し出されたのは、アステリア王宮伝統の「翡翠の蒸し餃子」。

 ——パカッ。

 蓋を開ければ、朝露のような繊細な湯気がエルナの顔を包み込む。先ほどのニンニクの残響を、ハンスの手料理が優しく、だが鮮烈に上書きしていく。

 ——ハフッ、ジュワッ。

 薄い皮が弾け、中から帆立とセリの清涼な香りが溢れ出した。

「……ハンス。二郎という戦場の後に聴くこの蒸気おとは、まるで凱旋門を潜る祝歌のようだ」

「もったいないお言葉です。明朝には、ニンニクのノイズも消えていることでしょう」

 新橋の夜。二DKのアパートから漏れるのは、安らぎに満ちた咀嚼音。

 

 カチッ。

 エルナが、満足げに箸を置いた。

「休息の時は、終わりだな。……次は、どんな音が私を呼ぶだろう」

 夜風に混じる微かな醤油の香りと、アパートに満ちる優しい湯気の香り。

 二つの世界を繋ぐ音の中に、姫騎士探偵は次なる戦いの予感を感じ取っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ