第13話:嘘つきたちの円舞曲(ワルツ)と、肉の遺言
第13話:嘘つきたちの円舞曲と、肉の遺言
二〇二六年四月一日。
新橋の街を、季節外れの冷たい雨が濡らしていた。エイプリルフール。世界中がたわいもない嘘に興じるこの日、新橋四丁目の路地裏には、決して「冗談」では済まされない冷酷な真実が横たわっていた。
「……山本警部。この国では、死神まで嘘をつくのか?」
エルナは、規制線の黄色いテープを、騎士の外套を翻すように潜り抜けた。青いパトカーのライトが、濡れたアスファルトを毒々しいほど鮮やかな紫色に染めている。山本の顔は、雨に打たれ、彫刻のような険しさを増していた。
「嘘であってほしいがな。……被害者は三十代男性。身元はまだ確認中だ。エルナ、お前の耳には何が『視える』?」
エルナは目を閉じ、降りしきる雨の音を意識の隅へと追いやった。
——パチャ、パチャ。
現場を歩く鑑識官の、規律正しい足音。
——ザァァァ……。
排水溝へ流れ込む泥水の、濁った唸り。
——ワハハッ!
遠くで聞こえる、日常を謳歌する酔客たちの場違いな爆笑。
そのノイズの断層に、エルナは「あるはずのない音」の残響を嗅ぎ取った。それは生命が途絶える瞬間に発せられた、微かな、だが決定的な肉の断裂音。
「……警部。そこだ。被害者の右手の先、一メートル」
エルナが指さしたのは、ゴミ溜めの傍ら、泥水に半分浸かった状態で転がっている棒状の物体だった。それは、どこの出店でも売られている、ごくありふれたフランクフルトだ。半分ほど食べかけられた状態で、アスファルトの上に無造作に放り出されている。
「フランクフルト……? 被害者の買い食いか?」
山本が訝しげに顔を近づける。エルナは膝をつき、その肉塊を見つめた。雨に打たれ、安っぽいケチャップの赤が、被害者の血の色と混ざり合いながら流れていく。
「……いや、違う。聴こえるぞ、この肉がアスファルトを打った時の『拒絶』の音が」
(……ペチャッ、という鈍い着地音。これは、被害者が握りしめていたものが力なく落ちたのではない。……誰かが、あざ笑うように叩きつけた音だ)
「ハンス、見ろ。この断面を」
いつの間にか背後に控えていたハンスが、ライトを照らし出す。
「……エルナ様。この切り口、いや『噛み口』は異常です」
料理人ハンスの目が、冷徹なプロのそれに変わる。
「見てください。この歯型。肉の繊維を断ち切る際、迷いが全くない。空腹を満たすための咀嚼ではなく、ただ破壊を楽しむような……。それに、このマスタードの塗り方。この国の規律から、僅かに、だが致命的に逸脱しています」
「……逸脱だと?」
山本の問いに、ハンスは鋭く頷く。
「このマスタードの線は、まるで何かの符号のようだ。ハンス、お前の祖国にあった……あの忌まわしき『暗殺教団』の刻印に、リズムが似ていないか?」
「…………まさか、この街にまで」
四月一日の雨の中、冷え切ったフランクフルトは、もはや食べ物ではなかった。それは、犯人が現場に残した、最高に悪趣味な「エイプリルフール」の招待状だったのだ。
「山本警部。このフランクフルトは、まだ中心核の熱を完全に失ってはいない」
エルナが立ち上がる。彼女の耳には、犯人がこの路地を立ち去る際に残した、僅かな「高笑い」の残響が、不快な耳鳴りのようにこびりついていた。
「嘘を真実に変えるのは、騎士の仕事だ。……ハンス、この肉の組成を解析しろ。犯人がどこのテリトリーから来た『不協和音』か、突き止めるぞ」
「御意」
新橋の闇。サイレンの音が雨音を切り裂き、パトカーが走り去る。エルナの脳裏には、犯人への手がかりとなる「歪な音」が、鮮明に録音されていた。
「四月一日。……この街の嘘、すべて私が噛み砕いてみせる」
彼女の軍靴が、アスファルトをコツ、コツと叩き、再び夜の深淵へと消えていく。その背中には、新橋の冷たい雨が、容赦なく降り注いでいた。
どこか遠くで、嘘を祝うような乾いた拍手の音が、冷ややかな幻聴として響くのを聴きながら。




