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異世界姫騎士、新橋の牛丼に屈服する。――宮廷料理人と安飯の魔力  作者: 水前寺鯉太郎
新橋編

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第10話:芳醇なる静寂(しじま)と、黄金の円盤(ごまだんご)

第10話:芳醇なる静寂しじまと、黄金の円盤ごまだんご


 二〇二六年三月二五日。

 二人は根岸線を乗り継ぎ、横浜中華街の地に降り立った。

「ハンス……見ろ。この極彩色の門、そして漂う濃密な香気。ここは……我が国の旧王都の市場に酷似しているぞ」

 エルナが目を細める。朱塗りの門が春の陽光を反射し、観光客たちの多言語が混ざり合う騒音は、新橋の無機質な地鳴りとは違い、どこか生命の脈動を感じさせた。

 二人が目指したのは、路地裏に佇む名店『悟空茶荘』。その重厚な木造の扉を開けた瞬間、喧騒は扉一枚隔てた過去へと消え去った。

「エルナ様、ここは……」

 ハンスが息を呑む。彼らの祖国アステリアでも、茶は水以上に重要な精神の安定剤であった。店内に満ちているのは、古い木材の温もりと、悠久の時を閉じ込めた茶葉の香り。

 ——コポコポ、トトト……。

 茶器に注がれる湯の音。それは急流の激しさではなく、春の小川が滑らかな石をなでるような、繊細で清らかな響きだ。

 差し出された青茶の香りを、エルナは深く吸い込む。

 ——カチャ。

 磁器の蓋が茶杯に触れる、硬質で上品な音。一口含めば、喉を通る際にスゥ……と、高潔な花のような香気が鼻腔を駆け抜けていく。

(……この音、この喉越し。王宮のテラスで、迫りくる戦火を忘れ、ただ一時の平穏を分かち合った、あの日の味がする)

 二人の間に、言葉は不要だった。ただ、茶器が触れ合う微かなチィンという音だけが、異郷の地で彼らの魂を繋ぎ止めていた。

 茶荘を出た二人は、再び極彩色の喧騒の中へと踏み出した。

「ハンス、見てみろ。あの山積みになった黄金の円球を!」

 エルナの視線の先には、店頭で誇らしげに並べられた「ごま団子」があった。

 ——ハイ、焼きたてだよ!

 店主の威勢の良い叫び。

 ——チャリン。

 小銭がトレイに落ちる、律儀な金属音。

 エルナは厳格な騎士の表情をかなぐり捨て、小走りでその黄金の球体を手に入れる。

「ハンス、これだ。……これこそが、私の戦いを支えてきた魂の食糧ソウルフードなのだ!」

 エルナは、手の中に伝わる熱量を両手で包み、意を決してかぶりついた。

 ——サクッ……。

 表面を覆う無数の白ごまが、歯の圧力でプチプチと爆ぜる快音。続いて、揚げられた餅がむにゅりと粘り強く抵抗し、断裂していく官能的な音。そして最後、中心部に封じ込められていた黒ごま餡の濃厚な香りが、脳内を直撃した。

(……これだ! この外側の冷徹なごまと、内側の熱烈な情熱あんの二重構造。これこそが、私の理想とする騎士道そのものではないか!)

 ——ムシャ、ムシャ……。

 なりふり構わぬ咀嚼音。口の周りを白ごまの粒子で汚しながら、少女のような無邪気さで団子を頬張る主君の姿に、ハンスは静かな微笑を浮かべた。

「エルナ様、そんなに急がずとも、団子は逃げませんよ」

「何を言う。このサクサク感は、時間という残酷な魔導士によって刻一刻と奪われるのだ。ハンス、今、この瞬間の音を聴け!」

 食べ歩きを続けながら、二人は中華街の雑踏を見渡す。異国の文化がこの国に根を下ろし、独自の進化を遂げた姿。

「ハンス。……この国は、外からの音を拒まないのだな。茶の音も、団子を揚げる音も、すべてを飲み込んで『日本』という音楽に書き換えている」

「左様ですね。我々の出す音も、いつかこの街の喧騒の一部になるのかもしれません」

 夕暮れに染まる中華街。

 ——カラン、カラン。

 鳴り響く自転車のベル。

 ——ジャァァァッ!!

 どこかの路地裏で鳴り響く、強火の炒め音。

 その中に、エルナが最後の一口を噛みしめるサクッという満足げな音が、小さく、だが誇らしげに響いていた。

 二人の留学記は、甘い黒ごまの香りと共に、また一つ新しいページを捲った。

 遠くで鳴り響く銅鑼どらの音を、祝福のファンファーレとして聴きながら。

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