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異世界姫騎士、新橋の牛丼に屈服する。――宮廷料理人と安飯の魔力  作者: 水前寺鯉太郎
新橋編

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第1話:騎士の矜持は、四五〇円の衝撃に崩れる

第1話:騎士の矜持は、四五〇円の衝撃に崩れる


 ギィ……。

 古いアパートの床が、悲鳴のような乾いた音を上げた。

「……落ち着いてください。エルナ様。ただの建材の軋みです」

 宮廷料理人ハンスは、腰のナイフ——今は手元にない護身具——を探る動作を辛うじて抑え、主君の肩を叩いた。

 新橋の夕暮れは、音の洪水だった。

 窓の外からは、暴力的な咆哮が絶え間なく流れ込んでくる。SL広場の蒸気機関が放つ、臓腑を揺さぶるようなボォォォ! という叫び。幾千もの人間がアスファルトを叩く無機質な足音。鉄の塊がタイヤを軋ませて走り去る唸り。それらが重なり合い、異世界から来た二人には、巨大な魔獣の胎内へ放り込まれたような錯覚を抱かせた。

 世話人の山本という男が残した茶封筒を、姫騎士エルナが指先で弾く。

 カサ……。

 紙幣が擦れる微かな音が、家具のない殺風景な室内で妙に大きく響いた。

「ハンス。この紙切れ数枚で、この魔獣の胎内のような街を生き抜けというのか」

「……山本殿の言葉を信じるしかありません。まずは、腹を満たしましょう。空腹は、騎士の判断力を鈍らせます」

 二人は、かつて敵陣へ夜襲を仕掛けた時と同じ、音を殺した鋭い足取りで、新橋の雑踏へと踏み出した。

 新橋駅前。仕事帰りの男たちの波が砕けるその一角に、戦場みせはあった。

 入り口で二人の行く手を阻んだのは、鈍く光る金属の筐体だ。

 ウィィィン。

 自動ドアが無感情に開き、店内の熱気と、微かな獣脂の匂いが混じった冷気が肌を刺す。

 ピッ、ピッ、ポーン。

 先客のサラリーマンが、迷いのない指先でパネルに触れるたび、筐体は鳥の鳴き声に似た電子音を発する。エルナは無意識に右手を腰に添えた。剣はない。あるのは山本から渡された「小銭」という名の、価値の定まらぬ鉄屑だけだ。

「魔導人形の宣告か……? ハンス、敵の意図が読めぬ」

「落ち着きを。これは……効率化の極致です」

 ハンスは鋭い視線で、機械から吐き出される「食券」を見つめる。

 チャリン、トントン、カラン。

 エルナが震える手で硬貨を投じる。投入口を滑り落ちる金属の反響音が、彼女の緊張を告げていた。冷徹な魔法が起動し、彼女の選んだ「並盛」という名の契約書が、吐き出された。

 カウンターの角に陣取った二人の耳に、新たな旋律が届く。

 カン、カン、カン!

 お玉が大きな鍋の縁を叩く、一定のリズム。それは正確なメトロノームのようであり、あるいは戦の始まりを告げる軍鼓スネアのようでもあった。

 パキッ。

 誰かが割り箸を割る乾いた破裂音。

 ドボボボ……。

 サーバーからコップに注がれる水の重低音。

 ハンスの視線が鋭くなる。厨房の男は、客の顔さえ見ない。一ミリの狂いもなく肉を掬い上げ、丼に盛り付け、余分な汁を落とす。その一連の動作には、音が伴わない「静寂」すら混じっていた。

(……無駄がない。この音の精度、この動きの最短距離。この厨房の主は、一流の暗殺者か、あるいは——)

 ハンスは戦慄した。異世界の宮廷厨房でさえ、これほどまでに洗練された作業の音を聞いたことはなかった。それは料理という名の儀式を、極限まで削ぎ落とした工業的な美学だった。

「並盛、お待ち」

 ドン。

 陶器が木のカウンターに沈み込むような、重厚で確かな着地音。

 エルナの眼前に、茶褐色の小宇宙が広がった。甘辛い香りが鼻腔を抜け、彼女の理性を包囲する。箸を震わせ、彼女は一切れの肉を口に運ぶ。

 ……刹那、静寂。

 新橋の喧騒が遠のき、世界からすべての音が消えた。

 ——直後、丹念に煮込まれた牛の繊維を、エルナの歯が断裂させた。

 ジュワッ。

 閉じ込められていた旨味の奔流が、一気に口内という名の戦場を制圧する。

 ゴクリ。

 喉が鳴った。静かな店内に、その嚥下音だけが妙に艶かしく響く。騎士としての、そして王族としての自制心が、四五〇円の鉄屑と引き換えに供された暴力的な美味の前に、音を立てて崩壊していく。

「あ……ああ……」

 それは、言葉にならない感嘆の溜息だった。ハンスは見た。鉄の自制心を持っていたはずの姫騎士が、丼という名の深淵に、ただひたすらに吸い込まれていく姿を。彼女の咀嚼音だけが、ハンスの耳に勝利の凱歌のように聞こえ始めていた。

 店を出ると、夜の新橋は先ほどとは違う表情を見せていた。

「乾杯ー!」

 階下の立ち飲み屋から聞こえるジョッキの触れ合う音。酔客の笑い声。アスファルトを叩く足音。それらが、今はなぜか祝祭の音楽のように心地よく耳に響く。

「……ハンス」

「心得ております。あの味、あの効率、あの音。我が調理技術のすべてを懸けて、解析してみせましょう。あの肉の繊維を断つ音の秘密を」

 エルナは満足げに頷き、夜風に髪をなびかせた。

「期待している。……帰ろう、我らの城へ」

 二人の足音が、夜のアスファルトに力強く刻まれる。

 コツ、コツ、コツ……。

 そのリズムは、異邦人がこの街に根を下ろし始めた、最初の鼓動だった。

 二階の窓から漏れる、階下の揚げ物の音を聴きながら。

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真面目なテンションのズレ漫才感(*‘∀‘)
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