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後日談 『勇者』という名のバグが、修正(バン)されるまでの記録

王都の裏路地。

陽の光が届かず、ドブネズミと生ゴミの腐敗臭が支配するその場所に、かつてこの国で最も輝いていたはずの四人の姿があった。


「……おい、リリア。水だ。水を汲んでこい」


ボロ布のような毛布にくるまりながら、しわがれた声で命じるのは、元勇者レオンだ。

かつての黄金の髪は油と泥で汚れ、無精髭が伸び放題になっている。鍛え上げられていたはずの肉体は、連日の飢餓とストレスでげっそりと痩せ細り、その瞳からは英雄の覇気など微塵も感じられない。あるのは、ただの濁った絶望と、世界への逆恨みだけだ。


「はぁ? なんで私がそんなことしなきゃいけないんですかぁ? 自分でやってくださいよ、元勇者様」


鼻で笑い返すのは、元アイドル剣士のリリア。

彼女もまた悲惨だった。自慢の金髪は艶を失ってバサバサになり、肌は荒れ、着ている服はどこかの軒先から盗んできたツギハギだらけのチュニックだ。


「なんだと……? 俺は勇者だぞ! パーティリーダーの命令が聞けないのか!」

「ハッ、何が勇者よ。装備も金も信用も、ぜーんぶ失ったくせに。今のあんたはただのホームレスよ、ホームレス!」

「き、貴様ぁ……!」


レオンが立ち上がろうとするが、足がもつれてドブの中に顔から突っ込んだ。

バシャリ、と汚水が跳ねる。

本来なら、高い身体能力(DEX)で受け身を取れたはずだ。だが、アルトがいなくなった今、彼らの身体能力はステータス表記上の数値とは裏腹に、極めて不安定な挙動を示していた。

脳からの「動け」という指令が筋肉に伝わるまでに、コンマ数秒のラグ(遅延)が発生しているのだ。


「うう……あぁ……」


その様子を、体育座りで虚ろに見つめているのは賢者ソフィアだ。

彼女はブツブツと何かを呟き続けている。


「……計算式が合わないの。火の玉の角度、風速、マナ濃度……あいつ、アルトはこれを全部暗算でやってたの? 人間じゃないわ……嘘よ……」


彼女は自身の無能さに直面し、心が半分ほど壊れていた。

魔法を発動しようとするたびに計算エラーで頭痛が走り、まともな火種ひとつ起こせない。今の彼女は、ただの「頭のおかしい女性」でしかなかった。


「皆様……喧嘩はやめましょう……神が見ていますわ……」


聖女マリアが手を合わせるが、その手は黒ずんでいる。

彼女は怪我をした野良猫を見つけて「ヒール」をかけようとし、逆に猫の傷口を腐らせて殺してしまったトラウマから、二度と魔法を使えなくなっていた。


あの日。

ギルドで衆人環視の中、全裸同然の姿を晒されたあの日から、彼らの転落は早かった。

ギルドカードは剥奪。

「S級詐欺師」として指名手配されかけ、命からがらスラム街へと逃げ込んだ。

宿に泊まる金もなく、装備は全て壊れ、残ったのは莫大な違約金の請求書だけ。

まさに地獄だった。


「……腹減った」


レオンが泥だらけの顔を上げて呟く。

その一言が、彼らの現状の全てだった。


「ねえ、レオン。あんた、まだ隠し持ってるアイテムとかないの? ほら、S級クエストの報酬で貰った宝石とか」

「あるわけねえだろ! 全部装備のローン返済と、リリア、お前の契約金に消えたんだよ!」

「チッ、使えない男」


リリアは舌打ちをして、壁に寄りかかる。

彼女は後悔していた。

なぜ、あんな地味な男――アルトを馬鹿にしてしまったのか。

今にして思えば、彼は最高の優良物件だった。

戦闘中は汗ひとつかかずに勝利をプレゼントしてくれ、装備の手入れは完璧、野営の料理も美味かった。彼がいた頃は、自分が「天才剣士」だと錯覚できるほど、剣が吸い付くように敵に当たった。

それら全てが彼の「接待プレイ」だったと気づいた時には、もう遅すぎた。


「……稼ぐぞ」


レオンがふらりと立ち上がった。

その手には、ゴミ捨て場で拾った錆びた鉄パイプが握られている。


「稼ぐって、どうやって? ギルドには顔が出せないのよ?」

「地下水道だ。あそこならギルドの管轄外だ。巨大ネズミやスライムくらいなら、今の俺たちでも狩れる。素材を闇市で売れば、今日のパン代くらいにはなる」


腐っても元勇者。

プライドだけは捨てきれず、「狩り」で生き延びようとする。

ソフィアとマリアは無反応だったが、空腹に耐えかねたリリアは、渋々といった様子で腰を上げた。


「……はぁ。もし死んだら、化けて出てやるから」


   ◇


王都の地下水道。

湿気と悪臭が充満する、薄暗い迷宮。

かつてドラゴンや魔王と戦っていた(気になっていた)彼らにとって、ここは初心者がチュートリアルで訪れるような場所だ。

相手は、Fランクモンスター『ジャイアント・ラット』と『汚泥スライム』。

負ける要素などないはずだった。


「いたぞ! ラットだ!」


レオンが叫ぶ。

前方から、猫ほどの大きさのネズミが三匹、赤い目を光らせて迫ってくる。

動きは単調。ただ真っ直ぐ走ってくるだけだ。


「俺がやる! 見てろ、俺の剣技(鉄パイプ)を!」


レオンが踏み込む。

その瞬間だった。


ズリュッ!


「ぶベッ!?」


レオンが派手に転倒した。

地面の苔に足を取られたのではない。

地下水道の床のテクスチャの継ぎ目に、足の判定が引っかかったのだ。

アルトがいれば、そんな細かい地形バグは自動的に平坦化されていたが、今の世界はそんな配慮をしてくれない。


「チューッ!」


倒れたレオンに、ラットが襲いかかる。

鋭い前歯がレオンの肩に食い込む。


「ぎゃああああ! い、痛い! なんだこれ!?」


レオンが絶叫する。

痛み。それは彼が忘れていた感覚だ。

これまでは「ダメージ軽減処理」や「痛覚遮断パッチ」が常時適用されていたため、ドラゴンに殴られても「ちょっと重いな」程度にしか感じていなかった。

だが今は、ネズミの噛みつきひとつが、焼けるような激痛として脳を揺さぶる。


「レオン! 何やってるのよ! ソフィア、援護!」

「む、無理よ! ここはメタンガスの濃度が……火を使ったら爆発する……!」

「じゃあ氷でも雷でも何でもいいから出しなさいよ!」

「計算できないの! 式が……式が浮かばない……!」


ソフィアは頭を抱えて蹲る。

パニックになった彼女の脳内では、魔力回路がショートし、杖の先からプスン、プスンと黒い煙が出るだけだ。


「もう! 役立たずばっかり! 私がやるわよ!」


リリアが隠し持っていた果物ナイフ(盗品)を構える。

彼女はラットの背後を取り、突き刺そうとする。

しかし。


スカッ。


ナイフはラットの体をすり抜け、空を切った。


「は……? なんで?」


リリアは呆然とする。

ラットの背中には、当たり判定がなかった。

この世界の雑魚モンスターは、処理軽減のために「正面からの攻撃」しか想定していない手抜き仕様の個体が存在する。アルトはそれを裏で修正し、どこから斬っても当たるようにしていたのだが、今の彼らにそれを知る術はない。


「こっち見んな! 死ね! 死ねぇ!」


リリアは錯乱してナイフを振り回すが、判定抜けしたラットには掠りもしない。

逆に、ラットの尻尾が鞭のようにしなり、リリアの頬を叩く。

ミミズ腫れができ、リリアは涙目で後ずさる。


「痛い……痛いよぉ……お母さぁん……」


「退きなさい! 私が……私が癒やします!」


マリアがおぼつかない足取りで前に出る。

彼女は肩を噛まれているレオンに手をかざした。


「聖なる光よ……『ヒール』!」


彼女の中で、「治したい」という必死の願いが魔力となる。

だが、その魔力は歪んでいた。

彼女の根底にあるのは「恐怖」と「焦燥」。そして何より、「自分だけは助かりたい」というエゴだ。

アルトというフィルターを通さない生の魔力は、術者の精神状態を色濃く反映する。


ボウッ!


「ぎゃあああああああああ!」


レオンの肩が、青白い炎に包まれた。

癒やしの光ではない。聖なる炎による「浄化」だ。

傷口の細菌を焼き払うと言えば聞こえはいいが、それは肉ごと炭化させることを意味していた。


「あつ! 熱い! マリア、てめぇ殺す気か!?」

「ち、違います! 私はただ……!」


阿鼻叫喚の地獄絵図。

たかがネズミ三匹に、元S級パーティが蹂躙されている。

やがて、ネズミたちは満腹になったのか、あるいは彼らのあまりの不味さに興味を失ったのか、傷だらけの四人を残して去っていった。


汚水の中に横たわる四人。

もはや、立ち上がる気力すら残っていなかった。


「……なんでだよ」


レオンが空虚な天井に向かって呟く。


「なんで俺たちが、こんな目に遭わなきゃならねえんだ……。俺は選ばれた勇者だろ? 主人公だろ? なのに、なんで……」


彼はいまだに理解していなかった。

自分は「主人公」ではなく、アルトという優秀なプレイヤーによって操作されていた「アバター」に過ぎなかったことを。

操作主を失ったアバターは、ただのデータの残骸だ。


その時。

地下水道の入り口付近から、話し声が聞こえてきた。

新しい冒険者たちがやってきたようだ。


「おい見ろよ、ここにもバグだ」


若い男の声だ。

ランタンの光が、レオンたちを照らす。


「うわ、汚ねえ。なんだこのNPC? 変な格好してんな」

「バグって埋まってるんじゃね? 最近多いんだよなー、こういう処理落ちしたみたいな死体」

「触ると感染りそうだし、放置でいいっしょ。行こうぜ」


若者たちは、レオンたちを「人間」としてすら認識しなかった。

背景の一部。バグったオブジェクト。

今の彼らには、助けを求める価値すらないと判断されたのだ。


「ま……待て……」


レオンが手を伸ばす。

だが、その手は空しく空を切る。

若者たちは笑いながら、奥へと進んでいく。

その会話の端々が、レオンの耳に届いた。


「そういや聞いたか? 『神の目のアルト』の話」

「ああ! あの古竜を従えた新しい英雄だろ? すごいらしいな」

「なんでも、指先一つで荒野を緑に変えたり、壊れた城を修復したりしてるって」

「マジ神だよなー。あやかりたいわ」


遠ざかる声。

アルトの名前が出た瞬間、レオンの手がビクリと震え、そして力なく泥水の中に落ちた。


アルトは英雄になり、自分たちはバグ扱い。

その残酷な対比が、レオンの心を完全にへし折った。


「アハ……アハハハ……」


乾いた笑い声が漏れる。

もう、怒る気力もない。悔しがる権利すらない。

ただ、圧倒的な「差」を見せつけられ、自分が世界の不要物であることを突きつけられただけだ。


「もう……いいや……」


リリアが呟き、泥水に顔を埋めるようにして目を閉じた。

ソフィアは壊れたレコードのように「計算エラー、計算エラー」と繰り返し、マリアは虚空に向かって懺悔を続けている。


地下水道の闇が、彼らを飲み込んでいく。

世界は正常に回り続けている。

アルトという修正者が、世界のバグを直し、美しく書き換えているからだ。

だが、その「美しくなった世界」に、彼らの居場所はもうどこにも用意されていなかった。


彼らはそのまま、誰にも知られることなく、王都の地下で静かに腐り落ちていくのだろう。

処理落ちしたデータが、次のメンテナンスで削除されるのを待つように。


「……エラー……ログ……終了……」


レオンの最後の呟きは、地下水道の水音にかき消され、二度と誰の耳にも届くことはなかった。


   ◇


後日談。

王都のギルドでは、一つの噂がまことしやかに囁かれていた。

地下水道の奥深くには、『嘆きの亡者』と呼ばれる奇妙なモンスターが出るらしい、と。

それは、錆びた鉄パイプを振り回し、意味不明な計算式を呟き、触れるものを腐らせる、四体一組のアンデッドだという。

彼らは冒険者を見つけると、こう呻きながら襲ってくるそうだ。


『俺たちは……最強なんだ……』

『返せ……私のミスリル……』


その哀れなモンスターは、あまりにも弱く、あまりにも滑稽で、新米冒険者の格好の練習台になっているという。

かつて彼らが、自分たちの名声を高めるために弱いモンスターを狩り続けていたように。

今は彼らが、名もなき新人たちの踏み台として、永遠に狩られ続ける存在になったのだ。


それが、バグを利用して甘い汁を吸い続けた者たちへの、世界からの最大のしっぺ返し(デバッグ)だったのかもしれない。

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