第4話 英雄のメッキが剥がれ、ただの「バグ」に戻る時
「死ねェェェェッ!」
ギルドのロビーに、勇者レオンの絶叫が木霊する。
煤け、血に汚れ、悪鬼のような形相で突っ込んでくるかつての英雄。その手には折れた聖剣の柄が握られ、切っ先のない刃が俺の喉元を狙っていた。
周囲の冒険者たちが息を呑む。受付嬢が目を覆う。
誰もが、無防備なローブ姿の俺が血祭りにあげられる瞬間を想像しただろう。
だが、俺の視界には、レオンの動きがコマ送りよりも遅いスローモーションとして映っていた。
彼の突進速度、筋肉の収縮、地面との摩擦係数。すべてが数値化されたデータとして展開される。
(……フォームが雑すぎる。これまでは俺が『自動補正』をかけてやってたから当たってただけだ)
俺はため息を一つつき、襲いかかるレオンに対して指一本動かさなかった。
代わりに、隣に立つ銀髪の少女――ノエルが一歩前に出る。
「不敬」
氷点下の声と共に、ノエルが軽くデコピンを弾くような動作をした。
パァンッ!
乾いた破裂音が響く。
それだけで、突進してきたレオンの身体が、見えない巨人のハンマーで殴られたかのように真横へと吹き飛んだ。
「ぐべっ!?」
レオンは回転しながらロビーの掲示板に激突し、依頼書を撒き散らしながら床に崩れ落ちた。
シン、と静まり返るギルド。
誰も言葉を発せない。あのS級冒険者、勇者レオンが、少女の指一本であしらわれたのだ。
「レオン!?」
「ひぃッ……な、何よあの女……!」
ソフィアとマリアが悲鳴を上げ、リリアは腰を抜かして震えている。
ノエルは冷ややかな瞳で彼らを見下ろし、俺に向かって恭しく頭を下げた。
「申し訳ありません、アルト様。害虫が視界に入ったもので、つい」
「いいさ。手加減してやったんだろ?」
「はい。殺さぬよう、衝撃値を0.01%まで絞りました」
その会話に、再び周囲がざわつく。
0.01%? あれで?
俺はゆっくりと、這いつくばるレオンの元へ歩み寄った。
「が、あ……くそっ……ふざけんな……!」
レオンは鼻血を流しながら顔を上げ、憎悪に満ちた目で俺を睨みつける。
「アルト……! お前、やっぱり呪いをかけやがったな!? 俺の剣を折り、魔法を暴発させ、こんな……こんな化け物を連れて!」
「呪い?」
「そうだ! そうでなきゃ説明がつかねえ! 俺たちは最強だったんだ! 昨日までは完璧だったんだよ! お前が出ていってから全部おかしくなった! お前が何かしたに決まってる!」
レオンの主張に、ギルド内の冒険者たちが疑惑の目を俺に向ける。
確かに、タイミングが良すぎる。追放された直後にパーティが崩壊し、追放された側が圧倒的な力を手に入れている。何らかの妨害工作を疑うのは自然な心理だ。
「……ねえ、本当なの?」
震える声で口を挟んだのは、賢者ソフィアだった。
彼女は黒焦げになったローブを握りしめ、必死の形相で俺を見ている。
「私の魔法が暴発したのも、マリアのヒールが逆流したのも、あなたが細工をしたからなの? そう言ってよ! 私の実力が落ちたわけじゃないって!」
「そう、ですわ……! 聖女である私が、人を傷つける魔法なんて使うはずがありませんもの! 全部あなたのせいですわよね!?」
マリアもまた、縋るように叫ぶ。
自分たちの無能さを認めたくない一心での責任転嫁。その醜悪さに、俺は心の底から呆れ果てた。
もう、怒りすら湧かない。ただただ、哀れだ。
「勘違いするな」
俺の声は、自分でも驚くほど冷徹だった。
「俺は、お前たちに『何かをした』わけじゃない。むしろ逆だ」
「あ? 何言ってんだ……」
「俺は、『何もしなくなった』んだよ」
俺は指をパチンと鳴らす。
空中にウィンドウを展開し、彼らの装備データを可視化して表示する。周囲の人間には謎の光の板に見えるだろうが、俺には明確なログが見えていた。
「レオン、お前の聖剣。あれはオリハルコン製なんかじゃない。ただの鉄剣に、金メッキの塗装をしただけの安物だ。古道具屋で騙されて買ったんだろ?」
「なっ……馬鹿な! あの輝きは……!」
「俺が『光沢度』と『硬度』のパラメータを常に書き換えていただけだ。修正をやめれば、ただの鉄くずになるのは当たり前だろ」
レオンの顔色が蒼白になる。
「ソフィア、お前の魔法制御力はFランク以下だ。着弾地点の座標入力すらまともにできていない。これまでは俺が、お前が放ったデタラメな魔力を、リアルタイムで敵の座標へ誘導させていただけだ」
「う、嘘……だって私は、賢者と……」
「マリア、お前のヒールも同じだ。プラスとマイナスの定義すら理解していない。俺が数式を反転させていなければ、お前は最初の冒険でレオンを殺していたよ」
俺は事実を淡々と突きつける。
それは彼らにとって、死刑宣告よりも残酷な真実だった。
「呪いなんて高尚なもんじゃない。お前たちが今日味わった不条理、剣が折れ、魔法が暴発し、泥に足を取られて転ぶ無様な姿……。それこそが、修正なしの、ありのままのお前たちの『実力』だ」
ギルド内が静まり返る。
冒険者たちは理解したのだ。
『光の剣』の栄光は、彼らの実力ではなく、後ろに控えていた地味な青年――アルトの神業的なサポートによって成り立っていた虚像だったということを。
「そ、そんな……」
ソフィアが膝から崩れ落ちる。
マリアは信じられないと首を振り続ける。
「じゃあ……じゃあ、俺たちは……」
レオンが震える声で呟く。
そのプライドは粉々に砕け散っていた。最強の勇者というアイデンティティが、他人の力で作られたハリボテだったと知らされたのだから。
だが、ここで終わらせるわけにはいかない。
俺はさらに追い打ちをかけるように、後ろで縮こまっている新人、リリアに視線を向けた。
「ひっ!?」
「リリア、お前もだ」
「わ、私は関係ないですぅ! 入ったばっかりだしぃ!」
「お前のそのミスリルの双剣。偽物だぞ」
「えっ」
リリアが目を見開く。
「露店で掴まされたな? それはミスリルじゃなくて、ブリキを加工した粗悪品だ。俺がいたら修正して『ミスリル相当』にしてやったかもしれないが……まあ、残念だったな」
「そ、そんなぁ……貯金はたいて買ったのにぃ……」
リリアが泣き崩れる。
その姿を見て、周囲から失笑が漏れ始めた。
「なんだよ、S級って言っても中身は素人以下かよ」
「とんだペテン師集団だな」
「あいつら、今まであんなに偉そうにしてたのに……」
軽蔑の視線。ヒソヒソという嘲笑。
それが、彼らにとって何よりの罰だった。
「待って……待ってください、アルトさん!」
突然、リリアが這うようにして俺の足元にすがりついてきた。
涙目で上目遣いを作り、胸元を強調するようなポーズをとる。
「私、騙されてたんですぅ! こんな偽物の勇者だなんて知らなくて……! 私、本当はアルトさんみたいな凄い人とパーティ組みたかったんです! ね、私を連れて行ってください! 何でもしますからぁ!」
変わり身の早さに感心するほどだ。
昨日、俺をゴミを見るような目で見ていた女が、今は媚びを売っている。
だが、その表情の裏にある打算――「この男につけばまた甘い汁が吸える」という下心は、俺の目にはステータス異常『強欲』として赤く表示されていた。
「触るな」
俺が言うより早く、ノエルが殺気を放った。
「ヒィッ!」
リリアが悲鳴を上げて飛び退く。
「悪いが、俺のパーティは定員オーバーだ。それに、バグだらけの『不良債権』を抱える趣味はない」
俺は冷たく言い放ち、彼女から視線を切る。
リリアは絶望と屈辱で顔を真っ赤にして黙り込んだ。
「さあ、茶番は終わりだ。行くぞ、ノエル」
「はい、アルト様」
俺は踵を返し、出口へと向かう。
もう彼らに用はない。社会的信用も、自信も、装備も失った彼らが、これからどう生きようと知ったことではない。
「ま、待てェェッ!!」
背後で、レオンが立ち上がる気配がした。
まだ懲りていないのか。
「逃げるのか!? 責任を取れ! 俺たちをこんな目にあわせて、タダで済むと思ってるのか! 元に戻せ! 俺の最強のステータスを返せよォォッ!」
錯乱したレオンが、折れた剣を振りかぶり、背後から襲いかかってくる。
ギルドのルールすら無視した、完全な暴挙。
ギルドマスターや職員たちが止めに入ろうとするが、それよりも早く、俺は立ち止まり、振り返ることなく指先を動かした。
「……しつこいな。最後のおまけだ」
俺が見ていたのは、レオン、ソフィア、マリア、リリアの四人が身につけている『装備品の耐久度』だ。
ダンジョンでの激戦で、彼らの防具は限界を迎えていた。
本来ならとっくに壊れているはずだが、俺が過去にかけていた維持プログラムの残滓で、皮一枚繋がっていた状態だ。
俺は、その最後のプログラム(セーフティ)を解除した。
『コマンド実行:全装備耐久度、強制リセット(Zero)』
カシャン。
小さな音がした。
「へ?」
レオンが間の抜けた声を上げる。
次の瞬間。
バキバキバキィッ!!
激しい破砕音と共に、レオンの鎧が、ソフィアのローブが、マリアのドレスが、リリアの軽鎧が、一斉に弾け飛んだ。
「うわあああああっ!?」
「きゃあああああッ!」
舞い散る布片と金属片。
後に残されたのは、薄汚れた下着姿で寒空の下に晒される、元・S級パーティの四人だけだった。
いや、彼らの下着すらも、長年の冒険で摩耗し、穴だらけでゴムの伸びきった、見るも無惨な代物だった(俺が下着の耐久度まで修正していたわけではないが、装備崩壊の衝撃に耐えられなかったのだろう)。
「な、ななな……!」
「いやぁぁぁ! 見ないでぇぇ!」
「私の、私の最高級ドレスが……ボロ布に……!」
隠すものもなく、赤っ恥を晒す四人。
ギルド内は一瞬の沈黙の後、爆発的な大爆笑に包まれた。
「ぶはははは! なんだあいつら!」
「勇者様のパンツ、穴開いてるぞ!」
「傑作だ! これが『光の剣』の真の姿かよ!」
指を差され、腹を抱えて笑われる。
スマホのような魔道具を取り出して、撮影を始める者までいる。
レオンは顔を真っ赤にして、手で股間を隠しながらうずくまることしかできなかった。
それは、物理的な敗北よりも遥かに深い、社会的な死だった。
「……サイズが合っていない鎧を着てイキるから、そうなるんだ」
俺はボソリと呟き、今度こそ彼らに背を向けた。
もう二度と、彼らが俺の視界に入ることはないだろう。
「参りましょう、アルト様。あのような汚らわしいものを見ていては、目が腐ります」
「そうだな。腹も減ったし、飯でも食いに行くか」
「はい! 私、お肉がたくさん食べたいです!」
ノエルが嬉しそうに俺の腕に抱きついてくる。
その柔らかな感触と温もりが、俺の荒んだ心を癒やしてくれる。
ギルドの扉を開けると、外はまぶしいほどの快晴だった。
空を見上げると、いつものカクカクした雲ではなく、滑らかな曲線を描く美しい雲が流れていた。
……いや、違う。
俺が無意識のうちに、視界に入る範囲の空を『高画質化』していたのだ。
「……職業病だな」
俺は苦笑する。
だが、悪くない気分だ。
これからは、誰かのためじゃなく、俺と、俺の大切なパートナーのために、この世界を面白おかしく書き換えていこう。
バグだらけの世界も、見方を変えれば、無限の可能性を秘めたサンドボックス(砂場)なのだから。
「アルト様? どうなさいました?」
「いや、なんでもない。……行こうか、ノエル。世界は広いぞ」
俺たちは歩き出す。
背後のギルドからは、未だに止まない爆笑と、勇者たちの情けない悲鳴が響き続けていた。
それが、俺の新しい冒険の始まりを告げるファンファーレのように聞こえた。




