第3話 削除されたセーフティネットと、勇者たちの泥船
「あー、清々しい! やっぱ朝の空気はこうでなきゃな!」
雲ひとつない快晴の空の下、勇者レオンは大きく伸びをした。
王都の正門前。これからS級ダンジョン『嘆きの地下墓地』へ挑むパーティ『光の剣』の面々は、かつてないほどの高揚感に包まれていた。
昨日までパーティの空気を澱ませていた(と彼らが信じ込んでいる)陰気な雑用係、アルトを追放したからだ。
邪魔者がいなくなり、代わりに華やかな美女が加わった。これ以上ない最高の朝だ。
「本当ですわね。なんだか、魔力の巡りも良い気がしますわ。あの男、やっぱり私たちの運気を吸い取る疫病神だったんじゃありませんの?」
聖女マリアが白磁のような肌を朝日に晒し、艶やかに微笑む。
彼女の杖には最高級の聖石が埋め込まれているが、今朝方、その輝きが少し濁っているように見えたのは気のせいだろうか。いや、気のせいだ。マリアはそう結論づけていた。
「皆さん、お待たせしましたぁ~!」
そこへ、新品の軽鎧を身にまとったリリアが小走りで駆けてくる。
歩くたびに豊かな胸が揺れ、金髪がさらさらと風になびく。男なら誰もが振り返るような愛らしさだ。
「遅れてごめんなさいっ! 装備の点検をしてたら時間がかかっちゃって……。私、ドジだから」
「いやいや、リリアちゃんのためなら何時間でも待てるぜ!」
レオンが鼻の下を伸ばして迎える。
賢者ソフィアも、同性の華やかな友人ができたことが嬉しいのか、以前より表情が明るい。
「リリア、装備の調子はどう? 昨日の夜、ちょっと剣にヒビが入ってるような気がしたんだけど」
レオンがふと思い出したように尋ねる。
昨夜、宿屋で見た愛剣の異常。今朝見直してみると、ヒビのような線は消えていた(ように見えた)。あるいは、アルトがこっそり直していったのか? いや、あんな無能にそんな技術があるわけがない。きっと見間違いだ。
「え? 全然大丈夫ですよぉ! この双剣、奮発して買ったミスリル製なんです。切れ味抜群ですよ!」
リリアがシャキンと双剣を抜き放ち、くるりと回ってみせる。
その軌道に合わせて、キラキラとしたエフェクトが散る……はずだったが、なんとなく剣の残像が遅れて見えた。
コマ落ちしたような、カクカクとした動き。
だが、恋は盲目と言うべきか、レオンたちの目にはそれが「素早すぎて残像が見える」という風にしか映らなかった。
「すげえ! さすが期待の新人だ。こりゃ今日の攻略は最高記録が出るぞ!」
「ええ、行きましょう。ボスドロップで新しい指輪が欲しいですもの」
意気揚々と歩き出す四人。
彼らは気づいていない。
足元の影が、時折本体と分離して勝手な方向に伸びていることを。
歩くたびに、靴底と地面の接地音が「カッ、カッ」ではなく、「グチャ、ヌルッ」という異質な音に変わりつつあることを。
世界を維持していた『修正パッチ』が剥がれ落ち、生のままのバグだらけの世界が牙を剥き始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。
◇
『嘆きの地下墓地』、地下5階層。
ここはアンデッド系の魔物が蔓延るエリアだが、『光の剣』の実力ならば散歩コースのような場所だ。
……そのはずだった。
「せえええいっ! ……あれっ!?」
リリアの甲高い声が響く。
彼女が得意の速攻でスケルトンに斬りかかったのだが、その剣撃は空を切った。
いや、正確には「当たっているのに通り抜けた」。
ミスリルの剣が、スケルトンの肋骨を幽霊のようにすり抜け、ダメージ判定が発生しないままフォロースルーされる。
「きゃっ!?」
勢い余ったリリアがバランスを崩す。
そこへ、スケルトンの錆びた剣が振り下ろされる。
本来なら、彼女の回避能力(AGI)ならば余裕でかわせる速度だ。だが、彼女がステップを踏もうとした瞬間、足元の地面の摩擦係数が突如としてゼロになった。
氷の上、いや、油を撒いた鉄板の上よりも滑る。
「うそっ、滑っ――!?」
ズデンッ! と派手な音を立ててリリアが転倒する。
そこへスケルトンの剣が迫る。
「リリアちゃん! クソッ、何やってんだ!」
レオンが割り込み、聖剣でスケルトンの剣を受け止める。
ガギィィン!
激しい金属音と共に、レオンの手首に嫌な痺れが走った。
重い。異常に重い。
たかが下級スケルトンの一撃が、まるでオーガの棍棒のような質量を持っている。
「ぐぅっ……! なんだこいつ、馬鹿力かよ!?」
「レオン、下がって! 『炎の矢』!」
後方からソフィアが援護魔法を放つ。
三本の炎の矢が生成され、スケルトンに向かって飛翔する。
だが、その軌道はおかしかった。
直線的に飛ぶはずの矢が、まるで酔っ払いのように空中で蛇行し、あさっての方向にある壁に着弾した。
ドカンッ!
「ええっ!? 何でそっちに飛ぶのよ!?」
「ソフィア、どこ狙ってんですの! 真面目にやってください!」
「真面目にやってるわよ! ターゲットロックがおかしいのよ!」
ソフィアが杖を振って抗議する間にも、スケルトンの群れが集まってくる。
普段なら一撃で倒せる敵が、攻撃がすり抜けたり、魔法が当たらなかったりするせいで、一向に数が減らない。
それどころか、敵の動きも不気味だった。
関節がありえない方向に曲がったまま迫ってくるゾンビ。
首が180度回転しながら高速移動するグール。
地面に半分埋まったままスライド移動してくるスケルトン。
まるで悪夢のような光景だ。
「キモチワルイ……何なのこれ……」
リリアが涙目になって後ずさる。
レオンは額の汗を拭いながら、苛立ちを隠せずにいた。
「チッ、今日はダンジョンの調子が悪いみたいだな。磁場か何かが狂ってやがる」
「ダンジョンの調子ってなんですの? そんなの聞いたことありませんわ」
「うるせえ! とにかく、気合でねじ伏せるぞ! 俺たちのステータスならゴリ押しできる!」
レオンは聖剣に魔力を込める。
アルトがいれば、「魔力充填時のエネルギーロス」を修正し、効率よく光を纏わせてくれただろう。だが今は、注いだ魔力の半分以上が熱エネルギーとして霧散し、剣の持ち手が火傷しそうなほど熱くなっている。
「あつっ! ……クソ、我慢だ!」
レオンは無理やり剣を振り回し、力任せにスケルトンを粉砕していく。
物理法則がバグっていても、圧倒的なステータス差があれば、ある程度はなんとかなる。それが彼らの不幸だった。
「変なことが起きても、ビビるな! 俺たちは最強なんだ!」
その言葉を信じて、彼らはさらに奥へと進んでしまったのだ。
引き返すという選択肢は、彼らの辞書にはなかった。
◇
地下10階層。ボス部屋前。
ここまで来るのに、彼らは既に満身創痍だった。
レオンの鎧はあちこちが凹み、マリアのドレスは泥だらけだ。リリアに至っては、自慢の金髪が爆発したかのように乱れている。
ソフィアの魔法が暴発して、味方の頭上で小爆発を起こしたせいだ。
「もうやだぁ……帰りたいぃ……」
「リリアちゃん、もう少しだ。ボスを倒せば転移クリスタルが出る。それで帰れるから」
レオンが荒い息を吐きながら励ます。
徒歩で来た道を戻る気力は、もう誰にも残っていなかった。ボスを倒してクリア報酬の転移装置を使うのが、一番手っ取り早い脱出方法なのだ。
「ボスは『デュラハン・ロード』だ。首のない騎士。動きは速いが、俺の必殺技『グランド・クロス』なら一撃だ」
「頼みますわよ、レオン。私の魔力も、なぜか回復薬を飲んでも全然回復しないんですの」
「ああ、任せとけ。……行くぞ!」
レオンが重い扉を押し開ける。
広大なドーム状の空間。その中央に、黒い馬に跨った巨大な首なし騎士が佇んでいた。
デュラハン・ロード。
手には漆黒の長剣を持ち、全身から紫色の瘴気を立ち上らせている。
「ヒヒヒィィィン!」
馬がいななき、デュラハンが突撃を開始する。
速い。
だが、それ以上に恐ろしいことが起きた。
「迎え撃つ! 合わせろ、リリア!」
「は、はいっ!」
二人が左右に展開し、挟撃を仕掛ける。
リリアが右から双剣を突き出す。デュラハンの脇腹を捉えた、と思った瞬間。
ガキンッ!
彼女のミスリルの剣が、デュラハンの鎧に触れた瞬間、パリーンと音を立てて砕け散った。
「え……?」
リリアの手には、折れた柄だけが残されている。
ミスリルだぞ? 鋼鉄より硬い魔法金属だぞ? それが、まるでガラス細工のように。
アルトがいれば、衝突時の衝撃分散処理を行い、剣の耐久値を維持していただろう。だが今の世界において、物質の強度は単なる数値データのぶつけ合いであり、バグによりデュラハンの防御力が『無限大(Infinity)』に近い値になっていれば、どんな名剣も砕ける。
「きゃああああ!」
「リリア!」
武器を失ったリリアに向かって、デュラハンの剣が振るわれる。
レオンが割り込もうと地面を蹴るが、今度は地面が裏切った。
ズボッ。
「なっ!?」
レオンの右足が、石畳の中に沈み込んだ。
落とし穴ではない。テクスチャのコリジョン抜けだ。膝まで地面にめり込み、抜けなくなる。
「動けねえ!? クソッ、なんだよこれ!」
動けないレオンを無視して、デュラハンは馬の蹄でリリアを蹴り飛ばした。
ボールのように吹き飛び、壁に激突するリリア。
「がはっ……!」
「リリアさん! 『ハイ・ヒール』!」
マリアが叫び、回復魔法を飛ばす。
光がリリアを包み込む。だが、次の瞬間、リリアが絶叫した。
「ぎゃあああああ! 痛い、痛いぃぃぃ!」
「えっ!? なんで!?」
マリアが青ざめる。
リリアの傷口が塞がるどころか、光が触れた箇所から煙が上がり、皮膚がただれていく。
回復魔法の極性反転。
正のエネルギーであるはずの回復魔法が、計算式のバグにより負のエネルギー(ダメージ)として処理されたのだ。
「やめて! マリア、殺す気!?」
「ち、違いますわ! 私は助けようと……!」
「うろたえるな! ソフィア、援護だ! 最大火力で奴を止めろ!」
地面に埋まったままレオンが叫ぶ。
ソフィアは震える手で杖を構える。もう細かい制御は無理だ。最大出力の広範囲魔法で、敵ごと吹き飛ばすしかない。
「『爆裂紅蓮地獄』!!」
上級火魔法。ダンジョンのボス部屋全体を焼き尽くす大技だ。
普段なら、アルトが味方へのフレンドリーファイアを無効化する処理(判定除外)をリアルタイムで行っていた。
しかし、今は誰もいない。
「待てソフィア! 俺たちが範囲内に……!」
レオンが気づいた時には遅かった。
ソフィアの杖から放たれた灼熱の業火は、デュラハンだけでなく、地面から動けないレオン、壁際で倒れているリリア、そしてソフィア自身をも飲み込む勢いで膨れ上がった。
いや、それ以前の問題だ。
魔法の制御パラメータが壊れているため、炎は前方へ飛ばず、ソフィアを中心とした全方位への自爆として拡散した。
ドゴオオオオオオオオオン!!
「あぎゃああああああ!」
「熱いぃぃぃぃ!」
狭いボス部屋が火炎の坩堝と化す。
デュラハンは炎の中でも平然としていた(魔法耐性バグで無効化されているため)。
対して、勇者パーティは自分たちの放った炎に焼かれ、転げ回る。
「消えろ! 消えろぉぉ!」
レオンは必死に聖剣を振り回し、炎を切り裂こうとする。
だが、聖剣は既に限界を迎えていた。
昨夜の小さなヒビ。それは、アルトというメンテナンス役を失った聖剣が発していた悲鳴だった。
強引な魔力放出と、高温の炎。
その負荷に耐えきれず、伝説の聖剣エクスカリバー(仮)は、バキリという音と共に真ん中からへし折れた。
「……は?」
レオンの手元に残ったのは、無様な柄と、半分の刀身。
最強の象徴だった剣が、ただの鉄屑に変わった瞬間だった。
炎が収束していく中、黒焦げになり、髪はチリチリ、服はボロボロになった四人が残された。
目の前には、無傷のデュラハンが、嘲笑うかのように馬の鼻を鳴らして立っている。
「嘘だろ……」
レオンは折れた剣を握りしめ、ガタガタと震えた。
恐怖。圧倒的な恐怖。
これまで彼らが築き上げてきた「最強」の称号が、砂上の楼閣のように崩れ去っていく。
なぜだ。なぜこんなことになった。
昨日までは、どんな強敵も一撃だった。魔法は必中し、敵の攻撃は当たらず、自分たちは無敵だったはずだ。
それが、たった一日で。
たった一人、あの「無能」を追い出しただけで、世界がここまで敵に回るというのか。
「アルト……」
レオンの口から、無意識にその名前が漏れた。
だが、すぐに怒りが湧き上がってくる。
違う。これはあいつのせいじゃない。いや、あいつのせいだ。
あいつが呪いをかけたんだ。
俺たちに、こんな理不尽な不幸が降りかかるような、陰湿な呪いを!
「あいつだ……アルトの野郎が……何か仕掛けやがったんだ!」
レオンは血走った目で叫んだ。
自分の実力不足を認めることなどできない。この惨状は、すべて裏切り者による妨害工作に違いない。そう思わなければ、精神が崩壊してしまう。
「撤退だ……! 総員、逃げるぞ!」
もはや攻略どころではない。
レオンは地面から強引に足を引き抜く(靴が脱げて素足になったが構わない)。
マリアとリリアを担ぎ上げ、ソフィアの襟首を掴んで引きずる。
デュラハンが追撃してくるが、奇跡的に天井の一部がバグで崩落し、デュラハンの進路を塞いだ。
その隙に、彼らは這うようにしてボス部屋を脱出した。
◇
数時間後。
王都のギルド前に、異様な集団が現れた。
全身煤まみれ、装備は半壊、髪は爆発し、異臭を漂わせる四人組。
かつて国民的英雄として持て囃された『光の剣』の成れの果てだ。
「おい、あれ……レオン様か?」
「嘘だろ? 乞食じゃないのか?」
「S級ダンジョンで何があったんだ……」
周囲の冒険者や市民たちがざわつく。
好奇と憐憫の視線が突き刺さる。
プライドの高いレオンにとって、それは死ぬよりも屈辱的な状況だった。
だが、今の彼を突き動かしているのは、羞恥心をも上回るどす黒い憎悪だった。
「アルト……アルトはどこだぁぁぁッ!!」
レオンがギルドのロビーで絶叫する。
喉が裂けんばかりの怒声に、受付嬢が悲鳴を上げて竦み上がった。
「あいつだ……あいつが俺たちを嵌めたんだ! 呪いをかけやがったんだ! 出てこい! ぶっ殺してやる!」
折れた聖剣を振り回し、狂ったように喚き散らす勇者。
その後ろで、リリアは「私の髪がぁ……」と泣き崩れ、マリアはショックで虚空を見つめ、ソフィアはブツブツと意味不明な魔法理論を呟いている。
S級パーティの威光は、もはや見る影もない。
その時だった。
ギルドの扉が静かに開き、二つの人影が入ってきたのは。
「随分と賑やかですね。何か面白い見世物でもやってるんですか?」
聞き覚えのある、落ち着いた声。
レオンが弾かれたように振り返る。
そこには、以前とは違う、仕立ての良いローブを身に纏ったアルトが立っていた。
そしてその傍らには、この世のものとは思えないほどの美貌を持つ銀髪の少女が、冷ややかな瞳で勇者たちを見下ろしていた。
「……見つけたぞ、クソ虫がァ!」
レオンの理性が弾け飛んだ。
彼は折れた剣を構え、アルトに向かって突進した。
それが、自分たちの破滅を決定づける最後の悪手だとも気づかずに。
「俺たちをコケにしやがって! 死ねェェェェッ!」




