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「連載版」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第1部 第2章回廊の夜、戻る癖を折る

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第8話 巻き添えの血、止まる息

 ……血の匂いだ。

 静かな回廊で、赤だけが先に届く。神殿では流血が禁じられている。だからこそ、鼻の奥に刺さった瞬間、息が止まった。

 足元で、ミロが膝を押さえてうずくまっている。指の隙間から、じわりと濃い色が滲んだ。

 私がここにいるせいで。そんな考えが、喉の奥を締めつける。


 さっきまで、血なんて無かった。

 回廊の合流点で、伯爵家の家令バルドが深く頭を下げた。礼は完璧で、声は柔らかい。けれど言葉は、鎖みたいに硬い。

「お迎えに参りました、お嬢様。お帰りの支度は整っております」

 私の口が勝手に動きかける。

「……は」

 言い慣れた返事の形で、戻ろうとする癖。

 その前に、ルシアンの外套が視界に差し込んだ。前に立って塞ぐのではなく、半歩だけ角度を変えて、私の退路を残したまま通路だけを消す。

「帰す権限は、今はない」

「争うおつもりは? 規則が許しませんよ」

 バルドの言葉に、ルシアンの手が腰へ伸びかけて止まった。剣の柄に触れない。触れたら、ここは戦場になる。血が出たら、私が悪者になる。

 規則は守るためのものなのに、今は刃より怖い。


 そこへ、石の上を転がる車輪の音が近づいた。

「し、失礼します! 礼法上まず……」

 ミロが荷車を引いたまま、律儀に頭を下げようとして、動きが遅れた。

 その間に回廊の空気が詰まる。従者が距離を詰め、ルシアンは肩と腕で押し返す。私は息を浅くしながら、ただ立っていた。

 荷車の車輪が石の継ぎ目に噛んだ。

 嫌な予感が、音で来る。

 次の瞬間、ミロの足が滑って、体が前に投げ出された。紙束が散り、膝が石にぶつかる鈍い音がした。


 そして今。

 血の匂いで、私の世界が狭くなる。戻れば楽。戻れば誰も困らない。脳がそう囁く。

 バルドが、ため息みたいに優しい声を落とした。

「血が出ましたね。規則に従いましょう。ここでの騒ぎは……お嬢様のためになりません」

 お嬢様のため。家のため。皆のため。

 その言い方が、私を黙らせてきた。

 喉の奥に「はい」が押し上がる。出せば、全て終わる。

 ルシアンの低い声が、私の耳にだけ届いた。

「セレスティナ。選べ」


 ミロは歯を食いしばって笑おうとした。

「だ、大丈夫です。これくらい……礼法通りに……っ」

「喋らないで」

 言った瞬間、自分の声が震えているのが分かった。怖い。私が動けば、また誰かが傷つく気がする。

 でも、目の前で痛がっている人を見捨てたら、私は結局、戻っただけだ。


 私はしゃがみ込んだ。

 ミロの膝に触れようとして、指が空中で止まる。触れたら、祝福が勝手に流れて、また奪われるのではないか。そんな恐怖が残っている。

 それでも、手を引っ込めなかった。

「助けたい。……それだけは、私の罪にしないで」

 祈り方は知らない。儀式の文句も知らない。

 知っているのは、私の中にある温かさが、意思の向きで変わることだけだ。


 掌が、じわりと熱を持った。

 光が集まる気配が、皮膚の内側で鳴る。怖いのに、怖さの奥で、何かがほどけていく。

 私は息を吸った。吐いて、指先でミロの傷に触れた。


 白い光が、静かに落ちた。

 血が止まる。皮膚が閉じる。

 奇跡の瞬間は派手じゃない。温度と匂いと、ミロの呼吸が戻る音だけが残った。


 回廊の端で、灯り番の修道士が息を呑むのが見えた。別の誰かが、手にしていた帳面を抱き直す。視線が集まる。噂は紙より速い。

 私は、褒められるのが怖かった。期待は檻になる。奇跡は、所有される。

 バルドの笑みが、整ったまま私の方へ向く。

「お心は尊い。ですからこそ、こちらでお預かりし――」

 その続きを、ルシアンが切った。

「剣は抜かない。――だから、記録を抜かせない」

 彼の視線が、ミロの散った紙束へ落ちる。拾う手が震えているのを見て、私も気づく。血は怪我だけじゃない。血の記録は、明日の刃にもなる。


 乾いた音がした。

 ぱきり、と耳の奥に刺さるような亀裂音。

 バルドの腰の紋章石に、細いひびが走っていた。光を吸うみたいに熱を持っていた石が、今は冷たそうに見える。

 バルドの視線が、私の手ではなく、自分の石へ落ちた。

 完璧な所作が、少しだけ遅れる。


「……今夜は、ここまでにいたしましょう」

 丁寧な声のまま、撤く。従者も動きを引いた。逃げ道が開いたのに、私の足は震えたままだ。

 勝ったわけじゃない。ただ、形勢が傾いた。その理由が、怖い。


 光を使った反動が遅れて来た。

 指先が冷える。胸が狭い。呼吸が浅くなる。

 ルシアンが外套を持ち上げかけて、止めた。私を包めば温かいのに、囲えば檻に似る。

 代わりに、彼は半歩だけ近づいて、私の倒れそうな軸に合わせて立った。

「支える。――縛らない」

 その言い方で、胸が痛くなる。優しさは怖い。けれど、ここには命令がない。

 私は頷きかけて、言い直した。

「……はい。……いえ。自分で立ちます」

 言えた。喉が熱い。


 ミロが治った膝で立ち上がろうとして、また律儀に姿勢を正そうとして顔を歪めた。

「お礼は……礼法通りに……!」

「今はいいから」

 ルシアンが短く遮ると、ミロは涙目で頷いた。インクの染みた指が、散った紙を集めようとして震えている。記録係の手だ。明日、ここで何が起きたかを書き残す手だ。

 ミロが紙束を胸に抱え、唇だけ動かした。

「血が……残ります。明日、『暴れた』にされます」

 その言葉が、私の背中を冷たく撫でる。


 ルシアンの声が、さらに低くなる。

「君が選んだ光だ。誰にも渡さない」

 心臓が跳ねて、私は反射で身を固くした。檻の音に聞こえたからだ。

 でも彼は、すぐ続きを足した。

「……だが、決めるのは君だ」

 同じ言葉なのに、形が違う。奪うためじゃない。私の意思を前提にしてくれる。

 その事実が、怖さの上に薄い板を置いた。踏める。まだ折れない。


 遠くで鐘が鳴った。

 明日が来る。公開審問の日が。

 乾いた亀裂音は、まだ耳に残っている。

 割れたのは石だけなのか。それとも、祝福の行き先そのものが、今夜から割れ始めたのか。

読了ありがとうございます。血と亀裂の音のあと、明日の公開審問へ――セレスティナは「戻らない」を言葉にできます。続きが気になったら、ブックマーク&広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援して頂けると励みになります。ひと言感想も大歓迎です。

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