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「連載版」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第1部 第2章回廊の夜、戻る癖を折る

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第6話 灯りの間隔、逃げ道の音

「確定前は、誰の手でも届きます。……だから記録します」

 記録係の声は淡々としていた。言葉だけが、薄い紙みたいに私の胸へ貼りつく。

 私の腕に通された革紐の先で、通行札が小さく揺れた。留め具が金具に触れて、かすかな音を立てる。

 守られているはずなのに、その音が檻の合図に聞こえた。


 回廊入口の卓には、面会簿と赤い印章が並んでいる。神殿門番のレネトは乾いた指先で札を弾き、印の位置を確かめた。

「暫定保護。……確定まで面会は不可」

 不可。守る言葉の形をして、穴を言い渡す言葉だった。


 ルシアン様の手が腰へ行きかけて、止まる。剣の柄に触れないまま、指だけが空を掴んだ。

「……神殿内での流血は禁じられている」

 レネトが規則を読むように言う。私の喉が乾く。

 剣が抜けない。強い人が横にいるのに、今夜の私は紙の札でしか守れない。


「記録しろ。歪めるな」

 ルシアン様は声を荒げない。札の端をつまみ、署名欄に短く線を引く。記録係が筆先を走らせ、赤い印を押した。

 印が落ちた音が、やけに大きかった。


 札が返される瞬間、記録係が小声で付け足す。

「……今夜は、特に」

 私は息を飲んだ。問い返せないまま、足だけが前へ出た。


 回廊へ入ると、空気がさらに冷えた。灯りの間隔が広い。光と光のあいだが、深い溝みたいに暗い。

「灯りは遠い」

 ルシアン様が前を見たまま言う。

「だから、止まるな。俺は前に立たない。……逃げ道を作る」

 命令の形じゃない。歩き方の提案だった。それなのに、背中が熱くなる。守られ方を、選ばされている気がした。


 私は頷きかけて、喉が勝手に言葉を作ろうとするのを感じた。

 はい。

 その癖が、舌の先まで出てくる。昔みたいに、従えば楽だと。

 でも、楽の先には、戻る場所がある。あそこは、光を吸う。


 口を開いて、別の言葉を探した。

「……怖いです」

 出た声が自分のものに聞こえなくて、私はさらに怖くなった。


 ルシアン様は振り返らない。けれど、声だけがきちんと私へ届いた。

「怖いなら、怖いと言え」

 責める響きじゃない。許す響きだった。

「言えるのは強い。……黙る癖は要らない」


 胸が震える。私はまた、はいと言いかける。

「……はい。……いいえ、戻りません」

 言い直すまでの間が、暗がりの中で長く伸びた気がした。


 その瞬間、灯りのひとつが風でふっと消えた。

 影が増える。回廊の壁が近づき、息が詰まる。

 ルシアン様の手が伸びた。触れない。けれど、私の肩の横を通って、壁側へ位置をずらすように空間を切った。

「止まるな」

 声が低く、短い。私は足を出そうとして、もたついた。自分の鈍さに腹が立つ。泣きそうになるのを、歯で噛み締めた。


 暗がりの向こうで、足音が増えた気がした。

 確かめられない。耳の奥だけが、余計な想像を増やす。

 続けて、金具の触れる音。鍵束か、札の留め具か。断定できないまま、背筋が冷えた。


 曲がり角の先に、小さな礼拝室の扉があった。ルシアン様が留め具へ指を当て、音を殺して確かめる。

「入る」

 短い指示。私は反射で従いかけて、また息を飲む。

 従うのは簡単だ。でも、従うだけだと、誰かの手に届く。


 留め具が動く。かちり、と乾いた音がした。

 不思議だった。その音が、檻の鍵じゃなく、逃げ道の合図に聞こえた。


 扉が開いた瞬間、後ろから慌ただしい気配が来た。

「し、失礼を……!」

 ミロの声。荷物を抱えたまま、礼法どおりに深く頭を下げすぎて、通行札を床に落とした。

「え、ええと……札、落としました!」

 金具が石床を打つ。甲高い音が回廊へ転がった。


「拾わないで。……音が出る」

 私の声は震えていた。ミロは固まる。拾う所作まで礼法でやろうとして、余計に時間を使いそうになる。

「で、でも……」

「そのまま。あとで」

 私は言い切って、自分でも驚いた。止める言葉を、誰かに向けて出したのは初めてだった。


 扉の隙間から、回廊の暗さが細い刃みたいに差し込む。

 影が、ひとつ止まった気がした。

 気配が止まる。聞かれた。見られた。どちらでも、もう遅い。


 ルシアン様が扉を閉める。留め具がまた鳴る。かちり、と。

 ここへ入るのは逃げじゃない。生き延びる手順だと、遅れて理解した。

 礼拝室の中は小さく、灯りは蝋の皿ひとつだけだった。光が弱い分、物音が大きい。

 安全って、こんなに音がするんですね。そんな感想が喉まで上がって、飲み込んだ。


 外で、布が擦れる音がした。足音が、丁寧に近づく。

 私の喉に、はいが浮く。帰る、と言えば楽だと、体が知っている。

 でも、楽のために誰かを巻き込むのは、もう違う。


「名乗れ」

 ルシアン様の声が扉越しに落ちる。


 返事はすぐだった。丁寧すぎる声。私の名前を、昔の家の呼び方で包む声。

「お迎えに参りました」


 扉の向こうで、呼吸を整えるみたいな短い沈黙が落ちた。敬語の端が、ぴたりと揃いすぎている。

 ミロが私の背後で小さく息を吸う。

「い、今の敬語……綺麗すぎて、怖いです……」

 感想がずれているのに、声が震えているのが分かって、笑いそうになってしまう。笑えないのに。


 私は手のひらを握り込んだ。爪が皮膚に食い込む痛みで、今ここにいると確かめる。

 戻れば楽。そう囁く癖が、まだ私の中に生きている。

 けれど、楽はいつも私だけのものだった。奪われるのは、いつも私の光だった。


 ルシアン様が半歩だけ横へ退く。扉の正面を空ける。私の声が外へ届く場所を、あえて残す。

 前に立って遮らない。命令で縛らない。

 逃げ道を作る。そう言った意味が、遅れて胸に落ちた。


 私は息を吸った。喉が勝手に、はいを作ろうとする。

 飲み込む。痛いほど、飲み込む。


「……戻りません」

 声は小さかった。けれど、消えなかった。蝋の灯りが揺れても、言葉は残った気がした。


 外の丁寧な声が、少しだけ低くなる。笑ったのか、息を整えたのか、判別できない。

「お嬢様」

 呼び方だけで、鎖が巻き戻されそうになる。


 そのとき、扉の向こうで金具の音がもう一度だけ鳴った。

 札か、鍵か。どちらでもいい。ここは神殿で、剣は最適解にならない。

 だからこそ、記録と規則の穴から、誰かが手を伸ばしてくる。


 私はルシアン様を見上げた。暗い瞳が、私の返事を待っている。

 守られている。けれど、選ぶのは私だ。

 その事実が、今夜いちばん怖くて、いちばん救いだった。


「お迎えに参りました」

ここまでお読みいただきありがとうございます。『戻らない』を選んだセレスティナに、次は迎えの正体と神殿の規則の穴が牙をむきます。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】で評価&ブックマークで応援して頂けると励みになります。


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