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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第3部 第10章誓約の刻印、命令者の名

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第42話 帳簿の傷、同じ日の印

「受領印と封蝋番号。揃わぬ数字は、国庫に『存在しません』」

 実務官リーネの声は、紙より硬かった。

 国庫会計室の窓は高く、冬の光だけが机に落ちている。棚の鍵は複数。扉の外には見張りの影。ここで『無い』と言われたら、それで終わる。


 机に置かれた帳簿は、私の腕より厚い。表紙の革に擦り傷。背の金具に、封蝋の甘い焦げの匂いが残っていた。

 ミロが綴じ紐をほどく。指先が震えているのに、手つきは正確だ。紙束の端に爪を立て、ページを開くたびに呼吸が浅くなる。


「この列が受領印。こっちが封蝋番号」

 リーネは指で示すだけで、余計な言葉を足さない。


 私は数字を見た。

 祈祷の光みたいに曖昧じゃない。もっと嫌な確かさで、流量の手触りがわかる。

 合っている行は、紙が静かだ。

 合っていない行は、インクの下で引っかかる。小さな棘みたいに。


「……ここ」

 ミロが指を止めた。


 発令日。供給量。受領印。封蝋番号。備考。

 全部そろっているのに、受領印の輪郭だけが薄い。押したはずの角度が違う。

 そして封蝋番号が、帳簿の端にある目録と食い違っていた。


 リーネが顔を上げる。

 視線が私の手の甲に落ち、すぐに帳簿へ戻った。見ないふりではない。見て、戻した。


「この行は、どこへ流れた」

 リーネの問いは責めではなく、手順だった。


 答えようとして喉が固まる。

 昔なら、反射で口が動いた。

 はい。

 私が悪い。

 私が黙れば済む。


 胸の奥が冷え、指先が痺れる。

 それでも私は、息を入れ直した。ここで黙れば、誰かの言葉にされる。私の沈黙が、また奪われる。


「……確認します」


 計算机の脇に、ミロが紙を並べる。リーネが別の帳簿を持ってきて、机の角に置いた。紙の山が増えるほど、私の頭は冴えていく。奇妙だ。救うほど弱くなる出力とは逆に、数字は私を立たせる。


 ミロが鉛筆で線を引く。

 合っていない行だけを、太線で囲っていく。


「同じ……癖があります」

 ミロの声がかすれた。


「癖」

 リーネが短く返す。


「不自然流量です。増えないはずの量が、増えた形だけ残ってます」


 私は囲まれた行を追った。

 供給量の数字は、私が感じた出力と合わない。

 あの頃の私は、鎖と命令の中で、ただ流した。流す先は選べない。けれど身体は覚えている。流した感覚の重さ。空になる速度。


 帳簿の数字は、私の感覚より軽い。

 軽いのに、増えている。

 矛盾が、紙の上で成立している。


 吐き気がした。

 誰かが私の祝福を、薄めて、増やして、切り分けて……そして『正しく流れた』顔をしている。


「……帳簿は中立じゃない」

 口から出た声が、自分のものに聞こえなかった。


 ミロが頷く。


「嘘を刺せる」


 その言葉に、胸が揺れた。

 私は長いあいだ、奇跡だけが真実だと思ってきた。光は嘘をつけない。だから奪われても仕方ないと。

 でも今は違う。奇跡は数字から逃げない。逃げさせない。


 囲みの中で、発令日が揃っているのが見えた。

 何度もページをめくり直す。見落としを探す。けれど同じだ。


「同じ日です」

 ミロが言った。


 指が勝手に、手の甲の聖痕を隠そうとする。

 やめた。

 隠せば、私はまた戻る。


 そのとき、扉の外で靴音が止まった。

 会計室の空気が張りつめる。リーネが視線だけで合図を出し、見張り役が扉を開ける。


 入ってきたのは、黒い外套の男だった。

 騎士団長ルシアン。

 近づきすぎない距離で、ただそこに立つ。


「ここは国庫だ。剣は抜けない」

 リーネが先に言った。


「抜かない」

 ルシアンの返事は短い。


 私は立ち上がり、帳簿の端を押さえた。

 逃げたくなる。頼んだら縛られる。頼った瞬間に、私は『保護』の名で箱に入れられる。

 誤解だとわかっていても、身体が覚えている。


 それでも口を開いた。


「……証人になってください」


 ミロが目を見開く。

 リーネは何も言わない。言わないことで、責任を私に返した。


 ルシアンの視線が、私の顔に触れた。


「護衛ではない。……証人だ」


 差し出した紙は、私の震えを隠さない。

 署名欄は空白だ。空白のままでは、誰かが好きな名前を入れる。


「それは、命令ですか」


 言ってしまってから、息が止まった。


「違う」

 ルシアンが即座に否定する。


「決めるのは君だ。俺は、隣にいる」


 隣。

 檻の言葉じゃない。

 けれど、甘い言葉でもない。

 制度の中で、私が立つ場所を残す言い方だ。


「なら、名で呼んで。『聖女』じゃなく、私を」


 ルシアンの喉が動く。


「セレスティナ」


 名前は、手首に巻かれた鎖を外すみたいに軽かった。

 それだけで泣きそうになる自分が嫌で、私は紙を見た。


 ルシアンが署名する。

 インクの匂いが強くなる。文字の形が整い、紙が落ち着いた。


 その背後で、ミロが小さく息を吸い、盛大に紙を落とした。

 計算用紙が床に散り、拾おうとして固まる。


「……すみません。数字は裏切りません!」


 ルシアンが無言で屈み、紙を拾ってミロの腕に戻した。

 ミロの耳が真っ赤になり、リーネが咳払いで空気を切り替える。


「続ける。時間が無い」


 書面室へ移る。

 印面照合机には、名義ごとの印の写しが束ねられ、日付札が挟まっていた。綴じ紐は硬い。ほどけば音が出る。だからこそ、触れた痕が残る。


 ミロが帳簿の該当日付を抜き、印面の写しを並べた。

 紙の上で、線が繋がっていく。

 同じ名義が、同じ日に動く。


 私の手の甲が、微かに疼いた。

 封蝋の匂いに反応する、嫌な熱。


「……同じ名義が、同じ日に……」

 ミロが呟く。


 印面の欄に刻まれた文字を、私は声に出さず読んだ。

 監督官長名義。


 机の端にある参照欄に、細い数字がぶら下がっている。

 ミロが反射で、紙片に書き写した。


「条文番号だけ控えておきます」


 その癖が、今は頼もしい。


 私は帳簿に指を置いた。

 冷たい紙が、刃みたいに正しい。


「監督官長の印を自由に使える手は……本人だけのはずだ」


 言い切った途端、室内の空気が重くなる。

 リーネが口を引き結び、ルシアンが視線だけで扉の外を測る。


「じゃあ、誰が」


 答えは無い。

 けれど疑問だけは、紙に残った。


ここまでお読みいただきありがとうございます。『監督官長の印』の正体、次話で一気に追います。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります。


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