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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第3部 第9章旅と野営、救う順番を選ぶ

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第40話 救う順番、折れる膝

「全員は無理です」

 施療所の奥から飛んできた言葉が、朝の空気を裂いた。

 泣き声と怒鳴り声が混ざり、濡れた布の匂いが喉に張り付く。私の口は反射で「はい」を作りかけて、噛み潰した。


 入口の板戸が揺れるたび、列が押し寄せる。木札の角が肘に当たり、削れた番号が見えないまま握り締められていた。

 薄い包帯は棚の底が透け、薬草の籠は空に近い。湯を沸かす鍋も足りず、布は洗っても乾かない。足りない、が全部ここにある。


 寝台は布切れで区切られ、そこに人が詰め込まれている。咳の湿った音、吐息の浅さ。誰かの「お願いだ」がいくつも重なる。

 全員は無理。そう言われた瞬間から、ここは施療所じゃなく、順番という刃の台になった。


 私は深く息を吸う。息が浅いままだと、また戻る癖が出る。

 器に戻る。言われた順に、黙って差し出す。


 ――違う。


「……はい。今度は、私が決めます」

 声は震えた。でも、飲み込まなかった。


 手の甲の刻印が、じくりと熱を持つ。あの熱は優しい光じゃない。規則と封蝋の匂いに似た、硬い熱だ。


「ミロ、歩ける人には水を。奥は私がやる。あと、包帯の残り、数えて紙に残して」

「……はい。あ、いえ。はい」

 ミロは胸の通行札を揺らしながら頷き、筆を握り直す。小さすぎる字で、真剣に数を刻もうとする。


 私は寝台の間を抜け、まず呼吸が荒い男の胸に手を当てた。肋が内側で軋む感覚が指先に伝わる。

 祝福を流す。白い光が薄く広がり、男の息が少し整う。


 次の寝台では少女が腕を押さえて身を丸めていた。布の隙間から覗く指は紫に近い。

 傷を閉じる。痛みを鈍らせる。呼吸の道を確保する。ここでは全部が同じ重さで降ってくる。


 奥の端、子どもが泣きもせず目だけを開けていた。唇が青い。

 順番。――順番。


 胸の奥が掴まれる。誰かが「先に」と言うたび、私は罰の音を思い出す。

 助けてと言った瞬間に鎖が鳴る。鍵が遠のく。叩かれる。暗い部屋の匂い。


 私は目を逸らさないまま、次の手を伸ばした。

 子どもの額に触れる。冷たい。祝福が細い糸みたいに指から抜ける。

 光は出た。けれど、薄い。水面の膜みたいに、すぐ破れそうだ。


 その瞬間、刻印が熱く跳ねた。

 私は呼吸を詰め、手を引っ込めそうになる。

 ……やめない。


 外が騒がしい。叫び声が近い。板戸がまた揺れた。


 布の隙間から入口が見える。黒い外套が動線の真ん中に立っていた。ルシアンは剣に触れない。触れないまま、人の流れを切り分けている。

 入口の左に軽症、右に重症。出口は奥の小戸。待機は壁際。声は短い、でも通る。


「押すな。入口を潰すな。――死ぬ」

 命令じゃない。事実だけが落ちた。人の肩が少し引いた。


「聖女様だろ……なら、うちからだ!」

 町の代表らしい男が木札を突き出す。指の関節が赤い。

「うちの婆さんが、今にも……!」


「順番なんて、死人には関係ない!」

 別の男が怒鳴り、列が崩れかける。木札が床に落ち、踏まれた音がした。


 監督官が記録板を抱えて、冷えた声で割り込む。

「順番は記録されます」

 その言葉が油だった。怒りが、私ではなく紙へ向きかける。けれど次の瞬間、矛先はまた私へ戻る。


「記録? じゃあ書けよ、聖女様が救わなかったって!」

 誰かの声が刺さった。


 私は奥で手を動かしながら、その声が背骨を撫でるのを感じた。

 救わなかった。助けられなかった。足りなかった。

 いつも、その罪を私が着る。


 布の外で、短い靴音が位置を変える。ルシアンが監督官の横へ寄り、声を落としたのが聞こえた。

「名は残すな。時間と症状だけにしろ」

「救済は記録で成立します」

「成立させる。だから形を変える」

 言葉の刃がぶつかる。剣は抜かれないのに、空気だけが張り詰める。


 ルシアンの視線が1度だけ、奥へ刺さる。

「中、今どこまでだ」

 言葉は私に向いていないのに、私の胸だけが反応する。隣が、ここにある。


 私は最後の寝台の男に祝福を流し、歯を食いしばった。

 手足が冷える。指先が自分のものじゃないみたいに遠い。光が細くなる。


 助けたい。助けたいのに、息が足りない。

 視界の端が白く滲んで、天井の梁が揺れた。


 私は膝を曲げないように立つ。立っていれば、まだ器じゃない。

 でも、立っているだけじゃ救えない。救うには手が要る。息が要る。体が要る。


 次の寝台。胸が上下しない。

 私は震える指で、喉元に触れた。脈が弱い。

 祝福を流す。流せ、流せ、と心の奥が叫ぶ。


 光は、出た。

 出たのに、遅い。遠い。届くまでに時間がかかる。

 私の中のどこかが乾いて、擦り切れる。


 足首がすっと軽くなった。

 床が近い。近すぎる。


 膝が折れた。


 倒れそうな私の体が、硬い腕に受け止められる。布と革と、遠い雪の匂い。

 抱き上げられた、と理解した瞬間、喉が締まる。囲われる。運ばれる。戻される。


「違う」

 ルシアンの声が、耳の近くで低く鳴った。

「救護の手順だ。君が倒れる前に、俺を使え」


 その言葉は甘くない。逃げ道の言葉だ。

 私は息を吐く。吐けたぶんだけ、怖さが形になる。


 監督官が近づき、筆を止めないまま言う。

「署名は明朝まで。遅れれば配分は止まります」

 救う言葉で、奪う。

 刻印がまた熱を持ち、皮膚の内側が灼けた。


 私はルシアンの外套の端を掴みかけて、指をほどいた。掴んだら鎖になる気がした。

 代わりに、喉の奥から絞る。

「……助けたい。……それだけは、私の罪にしないで」


 彼は答えない。ただ、入口から見えない場所へ私を運ぶ。

 外套が風を切り、視界の揺れが少しだけ減った。配置を変えるだけで、世界の音が遠のく。


 裏の壁際に下ろされる。背中が石に当たり、冷たさが骨まで来る。

 私は手の甲を見た。熱い。熱すぎる。


 ミロが駆け寄り、濡らした布を当てた。

「……冷やします。いま、ここ」

 布の冷たさが染みるのに、熱は引かない。むしろ輪郭だけが濃くなる。


 私は息を吸おうとして、空気が入らないことに気づく。

 祝福を出そうとした。さっきと同じように。

 でも、指先から何も出ない。


「……でない……?」

 声が、喉の奥で折れる。


 ミロが布の端を押さえたまま、目を見開いた。

「……形が……ちがう」


 ぼんやりした視界の中で、刻印の輪郭が、いつもの花弁じゃなくなっていく。

 焦げ跡みたいに線が伸びる。

 文字みたいに。誰かの名みたいに。

 見知らぬ名の形に、寄っていく。


 私は祝福を出せない。――倒れた刻印だけが、見知らぬ名の形に灼けていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。祝福が出ない、刻印が名へ寄る――次話で真相が一気に動きます。続きが気になったら、広告下の【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆評価】で応援して頂けると執筆の燃料になります。


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