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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第3部 第9章旅と野営、救う順番を選ぶ

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第38話 救済の列、刻印の熱

 荷車を避けて進んだ先で、土の上に人が寝かされていた。薄い布。乾いた藁。包帯は足りず、薬草の匂いも弱い。ここが施療院分院の手前だと、誰もが言葉より先に顔で伝えてくる。


「聖女様だろ……なら、うちからだ」

 腕をつかまれた。指先が震えている。震えの熱が、私の聖痕へ移るみたいで息が浅くなる。


 列が、順番になってない。軽い咳の人の隣で、唇が紫の子が眠っている。泣き声の奥で、誰かが吐いている。


「刻限までに出立を。救済は資格で行われます」

 乾いた声が割り込む。監督官が、記録卓を組み立てていた。封蝋の匂いが染みた手袋。通行札を指でなぞり、刻まれた刻限を私に見せる。


 救わなければ死ぬ。救えば、通行札の規定に遅れる。

 遅れれば、失効。戻される。帰る癖が、喉の奥で待っている。


 黒い外套が、私の視界の端に入った。ルシアンは私の前に立たない。横に立つ。盾の形が、檻にならない距離。


 町の代表らしい男が声を張る。

「順番? そんなの、死人には関係ない!」

「皆、同じ金を払ってるんだぞ!」

 怒号が混ざり、誰かの肩がぶつかる。小さな子が泣き止んで、泣く力すら失った顔になる。


 私の口は、いつもの返事を探す。

 はい。

 従え。

 戻れ。


 違う。


 私は息を吸って、目を上げた。

 視線を上げると罰が来る、と教えられてきたのに。土の上の命は、教えより重い。


「……列を作ります」

 声が震えた。震えたまま、続けた。

「重い方から。今、呼吸が浅い方。血が止まらない方。熱で意識が飛びかけている方」


「聖女様、うちは!」

「うちの婆さんは!」


 祈りの言葉が、要求の言葉に変わる。

 私は胃が冷えた。ここで間違えれば、誰かが死ぬ。ここで従えば、私はまた器に戻る。


 私の背後で、紙が擦れる音がした。


「……札、書きます。読める大きさで」

 ミロが紙束を抱え、真面目な顔で木札を並べ始めた。筆先が細かく動く。細かすぎて、本人が読めないくらい。


「字が、小さすぎます」

 私が小声で言うと、ミロは口の端を噛み、顔だけ赤くした。


 監督官が、淡々と机を整える。

「記録が無ければ救済は無い」


 救うための言葉なのに、鎖みたいに響いた。

 救う順番まで奪われたら、私はまた器に戻る。


 その言葉が胸の中で膨らみ、痛みになって、次の瞬間に口へ出た。


「救う順番まで奪われたら、私はまた器に戻ります」


 ざわめきが揺れる。怒り。戸惑い。期待。

 私はその全部の前で、手の甲を隠さない。


 最初の患者に膝をつき、冷たい手を取る。皮膚は紙みたいに薄い。

 祝福を流す、と決めるだけで胸の奥が冷える。出せば終わりではない。行き先がある。だからこそ、今ここへ流す。


 淡い光が指先から滲んだ。呻きがほどけ、呼吸が深くなる。

 助かった、と誰かが言う。


 同時に、私の手の甲がきしんだ。

 熱。焼ける前の予告みたいな、嫌な熱。


 私は顔を上げず、次へ移った。重い方から。泣き声の奥へ。

 祝福を重ねるたび、手足が冷える。息が浅くなる。私は倒れない。倒れるわけにはいかない。


 けれど現実は、私の決意より先に足を引く。

 包帯が足りない。薬草が薄い。ここへ届くはずのものが、届いていない。

 救う前に、奪われている。


 記録卓の方で、ルシアンと監督官が向かい合っていた。

 ルシアンの声は低く、短い。


「記録は残す。だが、命の順は彼女が決める」


 監督官の指が、通行札の刻限をまたなぞる。

「救済は資格で行われます。規定を外れれば、報告が上がる」


 ルシアンは眉も動かさない。

「上げるなら、上げろ」


 その言い方は剣じゃないのに、刃だった。

 監督官のペン先が紙へ落ちる直前、ルシアンが続ける。


「その欄は、今は空けろ」


 監督官の目が細くなる。

「救う言葉ほど、奪う時に便利だ」


 私はその言葉で、背筋が冷えた。

 守る手続きだと思っていたものが、救済の優先順位を奪う手続きに変わる。紙と印は、鎖にもなる。


 遠くで、ミロが監督官へ頭を下げた。胸につけた通行札がぶらんと揺れて、監督官が無言で指先で直した。ミロは固まって、また礼だけは完璧に繰り返す。


 笑いそうになって、私は笑えなかった。

 この場で笑ったら、罰が来る気がした。


 応急の救済を終えたころ、太陽が傾き始めていた。

 怒号は疲労へ変わり、列はやっと列になった。ミロの札が、地面の命を縛るみたいに並ぶ。紙の鎖。木札の鎖。


 私は最後の患者の額に触れ、熱を散らした。

 その瞬間、手の甲の熱が跳ね上がった。


 痛い。

 痛みは罰に似ている。


 私は立ち上がろうとして、膝がわずかに揺れた。

 すぐ隣に、ルシアンの影が落ちる。


「君は、どこまでやる」


 命令じゃない。確認だ。

 止めないと言っている。私が選ぶ権利を守ると言っている。

 その代わりに、矢面に立つ準備をしている。


 私の喉が詰まる。助けたいのに、助けるほど怖くなる。


「……ここまでです」

 震えたまま、私は言う。

「次は、分院で」


 ルシアンが頷く。

「君を運ぶんじゃない。君の選択を、運ぶ」


 その言葉が胸を叩いた。

 檻じゃない。隣だ。


 馬車が動き出し、車輪の振動が手の甲へ直に伝わった。

 熱が消えない。


 ミロが向かいの席で紙束を抱えたまま、私の手を見た。

「……熱、印の形です」


 ミロは慌てて冷やし布を取り出し、結び目を作った。指が焦って絡まって、結び目がほどけない。ミロの耳まで赤くなる。


「待って、ほどけない……」


 私は息を吐いて、布を受け取った。

 冷たさが皮膚へ染みるのに、熱は奥で燃えている。


「救ったのに……どうして、罰が先に来るの」


 言ってしまった瞬間、胃が冷えた。

 言葉にしたら、現実になる気がした。


 ミロが布の下を覗き込む。真面目な瞳が、紙より白くなる。


「……輪郭が、いつもの形じゃないです」


 私は布を少しずらした。

 花弁のはずの刻印の縁に、焦げ跡みたいな別の線が混じっている。封蝋の印面みたいな、硬い線。


 ミロが震える指で、自分の紙束から端の紙を引き抜いた。そこには、薄い写しがある。さっき監督官の手元で、無意識に写したのだろう。


「この印面、見たこと……ある、気がします」


 私の背中を、冷たいものが滑った。

 王都優先の封蝋。あの匂い。

 命令は、通行札の束だけじゃない。


 熱が、ある印影にだけ焼けている。

 それが意味するのは、命令が1枚ではない、ということだった。


読了ありがとうございます。救う順番を自分で選んだ代償として、刻印が別の印影に焼け始めました。隣で背負うと決めたルシアンの言葉が、ここから効いてきます。次話、誰の印なのかが見えてきます。

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