第34話 追跡は足跡じゃなく番号
検札板が、乾いた音で机に置かれた。
「番号が違う」
門番の指が、私の通行札と板の溝を行き来する。呼吸が浅くなる。昨日まで鎖だったものが、今日は紙で首を締める。
背後には、次の検札を待つ靴音が溜まっていた。誰も私を見ないふりをするくせに、札だけは覗き込んでくる。
「……今朝、再発行してもらいました」
「だから違う ここに載ってない」
載ってない。言葉が胸の奥へ落ちる。欠片の封蝋に残っていた擦れ跡と同じで、触れられた事実だけが冷たい。
札を握る指先に汗が滲む。握れば握るほど、紙はよれて弱くなる。弱いものほど、奪われやすい。
隣でミロが札を覗き込み、喉を鳴らした。
「発行番号は合ってます 印も……合ってる、はずで」
「はずで通すな」
門番の目が私の手の甲へ滑り、聖痕の花弁で止まった。怖い。怖いのに、戻る癖が囁く。黙って下がれば楽だ、と。
でも下がったら、また奪われる。
「もう1度だけ、確認させてください」
声が震えた。震えたまま、落とさない。ミロが小さく頷いた。
発行所は、回廊の角を曲がった先にあった。鍵束の音が、規則みたいに乾いている。
監督官が面会簿を閉じ、赤印を押す前に間を置いた。
「再発行は……記録にあります」
その言い方が、優しさの顔をして怖い。私は背筋を伸ばした。
ミロが机の横に置かれた棚へ視線を向ける。誰の背も届く高さ。背表紙の擦れた控え帳が、そこにある。
「帳簿と同じです 触れる棚が、弱点です」
監督官の眉が動く。
「勝手に触る者はいません 規則です」
「規則なら、触れた痕も規則で残りますよね」
ミロは控え帳の角を指した。爪で擦ったみたいに新しく白い。私は昨日の封蝋を思い出す。白い粉と、剥がれかけた縁。
監督官は帳面の上に手を置き、紙を隠すように指を揃えた。隠す仕草が、答えに見えるのが悔しい。
「事故は困ります」
「事故なら、もう起きてます」
ミロの声が低くなる。私の胸が、同じ低さで鳴る。怒りが熱くならないように、わざと冷やす声。
ミロが頁をめくろうとして、指先を見て固まった。
「……証拠って粘りますね……」
砂を振ったみたいな粉が、指に薄く付いている。監督官は咳払いをしただけで、否定もしない。
ミロは紙面を見下ろし、番号と印の位置をセットで控えた。数字が、彼の癖になる速度で並んでいく。
私は横から覗き込み、印章の欠けを覚えた。欠けているのに、同じ欠け方で並ぶ。偶然が、同じ形をするはずがない。
「発行番号、印章の欠け……ここまで揃えば、偶然じゃないです」
私の胸が少しだけ軽くなる。人を疑うより先に、紙を固められる。
発行所を出た廊下で、書記神官がすれ違いざまに囁いた。
「ここで話すな 壁に耳がある」
囁きは優しくない。優しくないから、現実だと分かる。
私は頷くだけで返した。声を落とす癖は、私の鎖だった。今日は、その鎖を使って息を繋ぐ。
検札所へ戻ると、門番はもう待っていた。待っているのに、こちらが遅れた罪みたいに見えるのが腹立たしい。
「控え帳、確認した」
「しました 再発行の記録もありました」
ミロが控えた紙片を差し出す。門番が目を走らせ、舌打ちの代わりに息を吐いた。
「増えてるな 矛盾が」
板の溝に並ぶ番号は、通行札の列と噛み合わない。1枚だけじゃない。2枚、3枚。偶然の顔で、繰り返す。
私の頭の中で、足跡が消えていく。代わりに数字が残る。踏んだ石じゃなく、通った手順が残る。
ミロが規則を口にしかけ、途中で噛んだ。
「えっと……再発行は、申請者が……その……」
「落ち着け」
門番が短く言う。ミロは真っ赤になって頷き、もう1度だけ数字を指で追った。
門番の指が、ある並びで止まる。
「この番号……内側の手順だ」
内側。頭の中で、冷たい扉が閉まる音がした。外からの侵入じゃない。外に見せる番号じゃない。
「誰が、誰の名で?」
門番の問いは、私の胸を直接叩いた。喉に「はい」が上がる。反射で、逃げる返事が。
でも今は、逃げるために来たんじゃない。
「私の名で出入りしたなら、私のせいにされます」
言葉にした瞬間、怖さが形を持った。形になったものは、握れる。
ミロが控え帳の写しを抱え直し、息を吸う。
「だから番号が残ってるんです 開けた者がいるって言える」
紙が、武器になる。
大神官の応接は静かだった。杖の先が床を叩く音だけが、判断の合図みたいに響く。
「疑う前に、記録を固めろ」
ディオニス大神官は私を慰めない。だから信じられる時がある。
「……内側の番号だと、門番が」
「なら尚更だ 人を刺すな 穴を塞げ」
胸の奥で、怒りと安堵がぶつかって揺れる。誰かを名指ししたい衝動。名指しすれば、今夜だけは眠れそうな気がした。
でも、それは救いの形をした逃げだ。救いの言葉は、奪う時ほど滑らかになる。
「救う言葉ほど、奪う時に便利だ」
大神官の声が、昨日の封蝋の剥がれと繋がる。正しさが刃になる。
私はミロの紙束を受け取った。重い。けれど重いのは、私の罪じゃない。
「……ありがとう 今度は、隠さない」
言った瞬間、胸の奥に空白ができた。そこへ、誰かの影が入ってきそうで怖い。
影の主はここにいない。ルシアンは不在だ。それでも、守りの形だけは届いている。
扉の外で足音が止まり、書記神官が封のある報告を差し出した。騎士団の印。
大神官が封を切り、短い文だけを読み上げる。
「出どころではなく、流通ルートを押さえる 火を広げるな」
命令が冷たいのに、私の肩から少しだけ荷が降りた。剣で守れない場所でも、守りは作れる。前に立たれなくても、隣は作れる。
応接を出る直前、ミロが胸ポケットへメモを押し込み、はみ出した紙端に自分で気づいて固まった。
「……あ」
彼は慌てて引っ込めようとして、逆に広げてしまう。紙端に並ぶ数字の列。
私は目を凝らした。並びの中に、ひとつだけ反転した番号がある。
「これ……」
ミロの指が震える。
「意図です……偶然じゃない 内側の誰かが、わざと残してる」
大神官が赤印を手に取り、押す前の間を置いた。
「明朝までに、地方行きの手順を通す 王都優先の命令が降りる前に」
期限が落ちる。反転した数字が、私たちを急がせる。
そして私は、1つだけ分からないまま立ち尽くす。
この番号で出入りしたのは、誰の名だったのか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。番号の違和感が、誰の手に繋がるのか……次話で一気に迫ります。面白かった/続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援して頂けると励みになります。




