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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第3部 第7章帳簿が奇跡を守る

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第30話 数字の傷、増えないはずの流量

「受領印と封蝋番号が無い数字は、存在しない」

 国庫実務官の声は、刃物みたいに乾いていた。

 分厚い帳簿が開かれた瞬間、私の胸の聖痕が熱を持つ。祈りの言葉じゃない。インクの匂いと、印章の重みが、奇跡を裁く場所に私を引きずり込む。

 欄は整いすぎていて、空白だけが目立つ。空白は、誰かの指が通った跡に見えた。


 国庫会計室は静かだった。羽根ペンの擦れる音、封蝋の粉が紙に落ちる音、遠くの時計の針。

 リーネが腕まくりしたまま、椅子の背に手を置いている。施療院の匂いをこの部屋に持ち込む人だ。

 監督官バルドは面会簿を机に置き、赤い印を指先で押さえていた。視線だけで、人の動きを遅くする。

 そしてルシアンは、私の前に立たない。壁際、記録用の机の横。護衛ではなく、立会いの位置だ。


「照合します」

 国庫実務官は指ぬき手袋のまま、封蝋番号の欄をなぞった。

「封蝋番号、合致。次、受領印」

 印が押された欄は、確かに揃っている。揃っているほど、抜けた場所が痛い。


「……聖女さま」

 ミロが私の袖をつまみ、薄い紙片を覗かせた。条文番号のメモ。数字がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

「字が小さいのが悪です……」

 愚痴の形をした深呼吸。笑う場面じゃないのに、喉の奥が少しだけほどけた。


 帳簿の列は5つ。発令日、供給量、受領印、封蝋番号、備考。

 私が供給した祝福は、体の中を通って外へ出ていく。流れの感覚がある。温度と、重さと、息の抜け方。

 その感覚が、ある行でひっかかった。


 私の指が止まった行の供給量は、増えている。

 でも受領印の欄が、空白だ。


「存在しない、って……」

 声にしかけた途端、胸が冷える。私は昔から反射で頷く。反射で、許可を求める。

 戻る癖が、喉の奥で甘く囁く。


 ルシアンの靴音が、ほんの少しだけ近づいた。

「近づけない。だから――紙の上で守る」

 低い声は命令に似て、でも違う。

 彼の外套から、革と鉄と遠い雪の匂いがする。近づけない距離が、私の息を楽にした。

 触れたいのに触れない。その代わりに、言葉が手になる。そう理解した瞬間、聖痕のある手を隠す癖がほどけた。


「それは、命令ですか」

 私の口が先に動いた。怖さが、言葉に形を与えた。


「違う」

 ルシアンは即座に否定した。

「君が決める。俺は立会いで、逃げ道を残す」


 心臓が跳ねた。檻の言葉じゃない。檻にならないように削った言葉だ。

 私は息を吸い直し、机の上の空白を見た。


「……はい。……でも、帳簿は見ます」


 バルドの視線が刺さる。

「噂は罪ではない。罰の前触れだ」

 言葉の温度が無いのに、背中が冷える。


 ミロが計算用の紙を広げた。

「数字は裏切りません!」

 声が少しだけ裏返る。必死さが、頼もしい。


 私は供給の感覚を、数字へ落とし込む。出力の重さ、持続の長さ、息の残り方。

 帳簿の行は、私の体の記録でもある。

 だから分かる。この増え方は、私の感覚と合わない。


「この行……痛いです」

 ミロが小声で言い、指で空白を叩いた。

「消せません」


 その瞬間、感情が跳ね上がった。

 怖い。怒りたい。泣きたい。全部が同じ速さで来て、私は机の縁を掴んだ。

 奇跡を盗まれたのか。私の名前で、誰かが別の場所へ流したのか。

 領民を巻き添えにしないと決めたのに、既に巻き込まれている気がした。


「足りないのよ」

 リーネが短く言った。

「量じゃない。届くはずの物資が、届いてない」

 施療院の現場の声が、数字の上に落ちる。


 国庫実務官は淡々と、筆を置いた。

「受領印と封蝋番号が無い数字は、存在しない」

 同じ台詞なのに、今度は宣告だった。


 宣告の直後、回廊の足音が増えた。


 扉が開き、白い飾り札を胸に下げたフィオナが入ってきた。

 笑顔は整っている。けれど目の奥が、硬い。


「私が補佐します。皆のために」

 甘い声。拍手を呼ぶ声。


 バルドが面会簿をめくり、赤印の位置をずらした。

「公務のみです。席の追加は、記録が要る」

 止めているようで、通す口実も探している。制度の手は両方に伸びる。


 私は反射で頷きそうになった。

 はい、と。

 昔の私なら、その瞬間に終わっていた。


 唇を噛んで、飲み込む。


「同席者の条件を確認します」

 声が震えなかったことに、私が驚いた。

「受益者は誰で、どの役職が立会いで、誰が記録を取るんですか」


 フィオナの眉が動いた。

「姉さま、そんな言い方……」

 正義の言葉にするつもりだったのに、苛立ちが混じって荒くなる。

 空洞が、そこに見えた。


「それ、姉さまのためじゃないですよね?」

 私の口が、勝手に刺した。刺してから、怖くなる。


 ルシアンが机の端へ歩き、記録用紙を指で押さえた。

「その席は要らない。監査を遅らせるだけだ」

 剣を抜けない場所で、剣より冷たい言葉を使う。


 フィオナは微笑みを崩さないまま、言い返した。

「封蝋?……そんなの、誰でも――」

 言い切る前に、国庫実務官が視線だけで止めた。


「照合します」


 その場は、手順が勝った。

 小さくても、確かに逆転だった。


 夜。

 国庫の灯りは細く、紙は白く、指先は封蝋の粉でざらつく。

 実務官の監督の下、写しを3通作る。目録を付け、封蝋番号を記す。紙の重さが、命綱になる。


 ミロは該当行だけを集め、机に並べた。

 増えた流量。空白の受領印。揃う封蝋番号。


「同じ条件の時だけ……歪みます」

 ミロは条文メモを開き、数字を口の中で復唱した。

「発令日が……寄ってます」


「……数字、裏切らないですから」

 照れたみたいに小さく言って、封蝋番号を数え直す。


「もう確認したでしょ」

 私が言うと、ミロは真顔で指を折った。

 封蝋番号、封蝋番号、封蝋番号……。

 最後に自分の指まで数えて、止まった。


 国庫実務官が紙束を受け取り、受領印欄の空白を指先で叩いた。


「印が無い。――それが答えです」


 私は喉の奥が冷えるのを感じた。

 増えた流量の行だけ、受領印が存在しない。

 存在しないはずの数字が、ここにある。


 誰が、印を止めた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。『存在しない数字』の正体、次話で一気に掘ります。面白かった/続きが気になったら、ブックマークと広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると執筆の燃料になります。


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