第28話 隔離の正義、言いかけた名前
「隔離は正義ですもの、ね?」
面談室の扉が閉まる音より先に、妹の声が私の胸に刺さった。甘い笑みのまま、私を見ない。見なくても言える、という顔をしている。
監督官エルヴァンは机の上に面会簿を開き、朱筆を持ち替えた。紙の匂いが、鎖の金属より冷たい。
「面会は公務のみ」
「移動は通行札で管理」
「発言は立会いの上で」
淡々と並べるたび、朱筆の先が私の欄をなぞる。赤が、線ではなく扉になる。
「聖女候補は混乱を招きます」
フィオナが言う。
「お姉様は危険です、隔離を」
喉が勝手に動きそうになった。
はい、と。
従う癖は、罰の前に身を丸める。
けれど昨日、封蝋の位置がずれていた。欠片は残っていたのに、守れたはずの証拠が息をしなくなった。安全は、手続きを装って壊される。
なら、正義も同じだ。
「隔離は、救いじゃない」
声が震えたのがわかった。それでも逃げなかった。
「……黙らせるための言葉です」
朱筆が止まる気配がした。
でもエルヴァンは私を見ない。机の上だけを見て、咳払いを短く落とす。
「……お言葉は、立会いの上で」
「今が、立会いです」
言ってしまった瞬間、手の甲の聖痕が熱くなる気がして、私は無意識に指を握った。
フィオナの笑みが少しだけ固くなる。
「姉のためなんです」
「外に出れば、また混乱を招きますもの」
新しい護衛が壁のように立っている。記録に残さない顔をしているのに、腰のあたりから紙とインクの匂いがする。
カリ、とペン先の音が鳴った。私の言葉を、どこかで誰かが写している。
「隔離の必要性も、記録に」
エルヴァンが朱筆を動かした。赤い線が、私の呼吸を狭くする。
私は視線を上げた。フィオナの真珠の髪飾りが光を返し、光のまま冷たい。
あの光の中で私は黙っていた。黙ったまま、祝福を搾られていた。
もう戻らない。
面談室を出ると、回廊の空気が少し生ぬるかった。人の気配が近い。候補者区画へ続く道は、いつから見物席になったのだろう。
「距離を取るって……慎ましいのね」
笑い声が柔らかい針になる。
「騎士団長が熱心すぎると噂よ、だから隔離なんでしょう」
私は社交の微笑を貼る。頬の角度がずれそうになって、指先でそっと持ち上げた。
やり方を覚えたのは、伯爵家の食卓だ。笑っていれば叩かれにくい。
ささやきの単語が、耳の奥で引っかかった。
面会簿。
噂の語彙が、さっきの机の上と同じだ。公務、立会い、管理。
外の人間が勝手に作った言葉ではない。内の言葉が、外で喋っている。
胸が冷えた。
欠片を狙う噂は、もう噂じゃない。誰かが動いている。
そしてその誰かは、私から遠い場所じゃない。
回廊の角で、黒い外套が影を作っていた。ルシアンだ。
その存在だけで、息が浅くなる。守られているのに、檻の匂いがする。
「セレスティナ」
名で呼ばれた。その響きに、胸が痛い。
周囲の視線が集まるのがわかった。新しい護衛の肩章がきしむ。監督官の咳払いが遠くで待機している。
「……その呼び方、ここだと燃えます」
「燃やさない」
短い答え。剣じゃない言葉。
私は喉の奥で、欲しい言葉を噛んだ。
隣が欲しいのに、隣にいるほど罪になる。
だから、所有される言葉を自分から折る。
「なら、公の言葉で」
私は少しだけ前に出た。前に出たぶん、私が矢面になる。
「私は所有物ではない」
その瞬間、回廊のざわめきがわずかに鈍った。噂の刃が、切れ味を失う音がした気がした。
ルシアンが近づこうとして、止まった。
足の向きだけが私に向いたのに、距離は縮まらない。
触れないのは、冷たいからじゃない。
触れたら、檻が強くなる。
その優しさが、残酷に刺さる。
ルシアンの手が腰へ伸びかけて止まった。剣へじゃない。自分の衝動を押さえる動きだ。
私はその動きを見て、泣きそうになるのを飲み込んだ。
彼が息を吸う。
「セレス――」
咳払いが落ちた。私の背後から、よく磨かれた音が言葉を切る。
ルシアンの喉が動いた。飲み込んだのが見えた。
夜、候補者区画の小机は書面で埋まった。誓約の写し、通行札の控え、回覧印の押された紙束。
紙だけで私を縛ろうとするなら、紙で割るしかない。
ミロが紙束を抱えて入ってきた。扉の前では過剰に丁寧な顔をして、護衛に頭を下げる。
扉が閉じた途端、息を吐いて壁に額を軽く当てた。
「……生きてますか」
「生きてるよ、たぶん」
私が答えると、ミロは苦い顔で笑った。
彼は紙を広げ、指先で数字だけを追う。
「条文番号、控えました」
「通行札の番号も、控えました」
私は首を傾けた。
「内容じゃなくて、番号だけ?」
「内容は、誰かの言葉になるから」
ミロの声は小さい。
「番号なら、紙が勝手に喋ります」
胸の奥で何かが整う。怒りの向きが、人から制度へずれる。
誰かを疑うより先に、紙が勝手に喋る。
ミロが胸ポケットを押さえた。完璧に隠したつもりの重要メモの紙端が、ぴょこんと飛び出している。
「出てる」
「……えっ」
ミロが慌てて押し込み、耳まで赤くなった。
そのとき、扉の外で靴音が止まった。近い。
護衛の声が低く響く。
「公務の面会だ」
扉が開き、エルヴァンの気配が流れ込む。朱筆の匂いといっしょに。
その奥に、黒い外套が見えた。
ルシアンは視線だけで私の呼吸を整える位置に立つ。前に立たない。半歩横。
「明朝、護衛交代が完了します」
エルヴァンが告げる。
「以後の面会は、より厳格に」
私の喉がまた、はいと言いそうになる。
でも私は唇を噛んだ。
ルシアンが私を見る。言葉にしないのに、言葉より熱い。
彼が息を吸う。
「君を――」
咳払いが、また落ちた。
ルシアンの目がほんの少しの間だけ暗くなる。次の瞬間、騎士団長の顔に戻る。
「帳簿の部屋へ行く」
私ではなく、手続きへ向けた声。
言えなかった言葉を抱えたまま、彼は踵を返した。黒い外套の裾が回廊の灯りを切り、遠ざかっていく。
私はその背中を見送るしかない。
追いかけたら、檻が強くなる。
けれど、帳簿は檻じゃない。
紙が喋るなら、次は私が聞き取る。
読了ありがとうございます。隔離の正義の裏で、紙と噂が刃になり、ルシアンの言葉はまた途中で止まりました。次は帳簿が喋ります。
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