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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第2部 第6章引き離し命令、隣が遠い

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第26話 通行札の影、信じる相手が減る

 ミロが紙束をめくる手を止めた。

「……同じ条文なのに、印が違う」

 その言葉で背筋が冷えた。誰かが嘘をついた、と決めつけるより先に、手続きそのものが勝手に口を開く匂いがした。


 閲覧机の上には、封蝋の欠片みたいに硬い書面が積まれている。保護誓約の写し。面会簿の差戻し理由。通行札の発行控え。全部、私の呼吸を浅くする紙だ。

 ミロは回覧印の位置を指でなぞり、次の紙へ移った。朱の印影が、さっきと微妙に違う。

「押し直した跡……です。たぶん」

 彼の声が震える。怒りというより、正しさが崩れる音だ。

 私は指先で紙の端を触った。乾いた繊維。正しいふりをした硬さ。

 机の端には、薄く滲んだ印影がもう1つあった。消したいものを、上から塗りつぶしたみたいに。

 面会簿の赤い線が、頭に浮かぶ。あれも、丁寧な朱筆だった。


 私の喉に「はい」が浮かびかけて、消えた。今ここで返事をすると、また紙に従う側へ戻ってしまう気がした。


 ミロは小さな手帳を開き、条文番号と印の並びを淡々と書きつける。癖みたいに、迷いなく。

 私はその手元から目を離せなかった。私の言葉より、彼の筆記のほうが強い証拠になる。そう思う自分が、悔しい。

「私の言葉は……紙に負けるの?」

 漏れた声は、立会いのない場所でも薄く震えた。

「負けません。負けない形にします」

 ミロは顔を上げずに言う。優しいのに、戦う言い方だった。


 机の奥で、鍵束が小さく鳴った。閲覧室の出入りを監督する神官が動いたのだろう。

 その音が、解放ではなく管理に聞こえる自分がいる。私は、いつからこんなに音に怯えるようになった。


 通行札の検札所は、回廊の途中にある小さな机だった。門番は慣れた手つきで札を受け取り、穴の空いた板に通して回収する。

 ミロは礼法どおりに頭を下げ、規則を暗唱し始めた。

「本日付の通行札は、用務先、同行者、立会い名、印……えっと、印……」

「落ち着け」

 門番が短く言い、笑いもせずに私たちを見た。ミロの耳が赤くなる。

「礼法って……筋肉ですね……」

 ミロが息だけで呟く。私は息を抜きかけて、すぐ飲み込んだ。笑えば、油断になる。


「回収した札は、どうなりますか」

 ミロが声を整える。

「保管。足りなけりゃ刷り直し」

「刷り直し……誰の記録になります?」

 門番の眉が動く。答えに困る顔ではない。困る必要がない顔だ。

「控え帳に書く。決まりだ」

 決まり。たったそれだけで、穴は完成する。

 私は札の束を見つめた。安全の札が、情報の札になる。守るための手順が、漏らすための導線になる。

 札の番号が、昨日耳にした噂の数字と重なって頭を刺した。欠片を買う話に、神殿の通行札番号が混ざるはずがない。なのに、混ざっていた。


 門番は札を束ねながら、ぽつりと呟いた。

「昨日……札が1枚、余った」

 余る。発行と回収が決まりなら、余るはずがない。

 ミロの筆先が止まった。

「余った札は、どうしますか」

「廃棄……いや、倉へ戻す」

 門番の視線が泳いだ。誰かを庇う泳ぎではなく、言い慣れていない言葉を探す泳ぎだ。

 私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。余った札は、誰かの手の中に残る。紙が喋る前に、人が喋る。


 候補者区画へ戻る途中、祈祷室の前で監督官エルヴァンに呼び止められた。

 丁寧な微笑み。慈悲の口調。だから余計に、刃みたいに痛い。

「セレスティナ殿。面会や移動の希望があるなら、立会いの上で伺いましょう」

 隣の神官が筆と板を構える。最初から記録する形だ。

 私は息を吸って、言いかけた。会いたい。話したい。名前で呼ばれる場所へ行きたい。

 その瞬間、喉の奥が締まった。言えば言うほど、凍結が増える。私の言葉が、私を縛る。

 私は口を閉じた。

「……沈黙も、記録に残りますよ」

 監督官は穏やかに言う。

 穏やかさが、逃げ道を消していく。

「残して。構いません」

 私は視線を上げた。上げられたことが、少しだけ自分でも怖い。

 監督官が書面に朱筆を走らせ、短い赤線を引いた。差戻しの線。

 私の背中が反射で縮む。あの家の朱筆と、よく似た速さだった。

「私の癖です。……あなたの癖にしないで」

 言い終えた瞬間、胸が痛んだ。言葉は刃にも、盾にもなる。私はまだ、扱いに慣れていない。


 回廊の角で足を止めた。私は姿を見せられない位置に立ち、壁越しの声だけを拾う。

 革と鉄と、遠い雪の匂いが近づいた。視界に入らなくても分かる。

 ルシアン。

 新しい護衛の声が低く続く。

「命令通りに。面会は凍結されています」

「……会えば、凍結が増える」

 ルシアンの声は、いつもより乾いていた。会えないのではなく、会わない。私を避けているのではなく、罠を避けている。

 そう思いたい。思いたいのに、足場が足りない。

 胸の奥に、疑いの形が生まれる。小さくて、でも重い。

 私が疑った瞬間に、恋は壊れる。そんな迷信を信じ込んでいた。

 だけど、壊れるのは恋ではなく、私の逃げ道かもしれない。

 新護衛が言いかけた。

「通行札は――」

 そこで声が落ちる。紙が擦れる音だけが残った。


 候補者区画の小卓に戻ると、ミロが机いっぱいに番号のメモを並べた。条文番号。回覧印。通行札の控え。線が、少しずつ繋がりかける。

「写しが複数系統で回っています」

 ミロが指先で印影の差を示す。

「誰が回した、じゃなくて……紙が2種類ある」

 私は言ってから、唇を噛んだ。人を疑うほうが簡単だ。名前を付ければ、怒れる。泣ける。許せる。

 仕組みを疑うと、出口が見えない。


「人を疑うと、楽になります」

 ミロがぽつりと言う。

 楽になる。責める相手が決まれば、考えなくて済む。

 私は手の甲の聖痕を覆い、深く息をした。

「でも、それは私の癖だ」

 言ってしまってから、胸が熱くなった。私はまた戻る。黙って、誰かの都合に合わせる。

 それでも。

「疑いを罪にしない。証拠だけ増やす」

 言葉にした瞬間、喉の痛みが少しだけ軽くなる。

 ミロが頷き、控え帳の棚の位置を指さした。

「触れる棚です。誰でも」

 誰でも。だからこそ、誰かの悪意がなくても漏れる。

 紙が勝手に喋る。

 制度が勝手に裏切る。


 私は通行札の控えの末尾にある空欄を見た。再発行欄。そこに、細い赤線が引かれている。印がない。処理が終わっていない。

 未処理の札が、この神殿のどこかで息をしている。

 その札が、どこへ行くのか。

 そして、誰の名前で動くのか。


 窓のない部屋で、私は外の気配を探した。ルシアンの足音は遠い。近づけば、檻が強くなるのだろう。

 信じたい相手から、少しずつ距離が奪われる。

 それでも私は、信じるために動く。

 漏らしているのは神殿か。王宮か。

 それとも――私のすぐそばか。


読了ありがとうございます。通行札の余りは誰の手に――次話で名義の影を追います。面白かった/続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります。ひと言感想も大歓迎です。


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