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「完結済」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第2部 5章保護誓約(仮)、署名の鎖

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第21話 署名の熱、消えない刻印

 監督官の赤い指先が、封蝋の箱の鍵に触れた。

 かちり、と乾いた音がして、祈りより先に蝋の匂いが立つ。

「――封蝋を。署名はここでです」

 羽根ペンを渡されただけなのに、指先だけが熱くなった。紙に触れる前から、鎖が鳴っている気がした。


 小礼拝室は、夜の呼吸をしていた。灯りは少なく、石壁が近い。

 ミロが机に紙片を並べ、喉を鳴らす。

「想定問答、いきます。……ええと、ええと。『保護誓約の趣旨を理解しましたか』」

 彼は真面目に読み上げるほど、声が硬くなる。私の胸も硬くなる。

 返事の型は、もう身体が覚えている。

 はい。

 舌が動きかけた瞬間、喉の奥で止まった。空気が薄くなる。聖痕のある手の甲が、勝手に袖へ隠れる。

「……セレスティナ?」

 名で呼ばれて、さらに息が乱れた。呼ばれたのに、返せない。

 私の返事は、ずっと誰かの都合だった。父のため。妹のため。家のため。聖女のため。

 私のための返事は、いつも遅い。

「返事は、短くていいです。言葉が長いと、取られます」

 ミロが言い切ってから、息を止めていたのに気づいたように小さく吸った。必死さが、生活の匂いを連れてくる。

「……ミロ」

「はいっ」

 返事が速すぎて、逆に可笑しくなりそうで、私は唇を噛んだ。

 可笑しくなる余裕があるなら、私はまだ戻っていない。

 喉の奥の「はい」を、別の形にする。

「……理解しました」

 声は震えた。でも、私の声だった。


 書面室へ移ると、卓の上が整列しすぎていた。誓約書の束、朱の印、封蝋、面会簿。やさしさの顔をした秩序。

 ディオニス大神官が杖を鳴らし、沈黙を作る。

 硬い声が紙を撫でるように、条文が読み上げられていく。意味は全部追えないのに、冷たさだけは分かる。

「保護は恩恵ではない。手順だ」

 その言葉が、私の胸の奥の鎖を正しい形に整えようとする。

 監督官が、誓約書の端を揃えた。表情より先に、インクの匂いが近づく。

「期限は明朝まで。……いえ、今夜でも」

 淡々と告げるだけで、脅しになる。善意の刃は、声を荒げない。

 ミロが紙片を抱え、視線だけで私へ合図した。内容ではなく、入口を残すために。

 彼は小声で言う。

「……番号、控えました」

 紙片の端に、細い字で「第17条」と書かれているのが見えた。小さすぎて、怒りが湧く。

「……字が、小さすぎます」

 私が呟くと、ミロの頬が熱で染まった。監督官の前で崩れないようにしているのに、耳まで赤い。


 読み上げの終わりが近づくと、ある言葉だけが耳に残った。

 誓約印。

 その瞬間、聖痕が返事より先に脈を打つ。痛くないのに、痛みの形で。

 私は手袋の上から手の甲を押さえた。息が浅くなる癖が、戻ろうとする。


 署名台へ案内される。木の板が、あまりにもまっすぐで怖い。

 溶けた蝋が落ちる音は、小さくて、だからこそ嫌に正確だ。

 監督官が印面を押し当てる。鎖が物質になったみたいに、封蝋が沈む。

 私の名の欄が、白すぎる。

 羽根ペンを握る。指先が熱い。紙に触れた瞬間、熱が皮膚の内側へ潜る。

 署名する。

 線が私の名を作るたび、手の甲の聖痕が痛くない痛みで脈打った。祈りの光とは別の、焼ける熱。

 息がしやすくなるどころか、空気が狭くなる。檻が完成した感覚だった。

「……守るために署名する。……でも、私まで渡さない」

 声にした途端、監督官の視線がほんの少しだけ揺れた。人の欄が、ひと息だけ人に戻った気がしたのに。

 すぐ、紙へ戻る。

「違反時の返りは、可能性としてあります。……噂は罪ではない。罰の前触れです」

 具体は言わない。言わないから、想像が増える。都合の良い奇跡を封じるための、空白。


 同室へ移されると、扉の外の気配が消えないまま残っていた。公の視線は、布みたいに薄くて、切れない。

 扉が開く。

 革と鉄と、遠い雪の匂いが入ってきた。

 ルシアン様が入室し、状況を見て、足を進めかけて止まった。

 近づいて止まる。その仕草が、私の胸を余計に痛くする。

 止めないなら、手放すのか。

 私の喉が冷える。返事の癖が戻りそうになる。

「……止めないんですね」

 自分でも驚くほど、刺さる声が出た。沈黙に飲まれないための、釘。

 ルシアン様の手が腰へ伸びかけて、そこで止まる。剣に触れない。触れられない。

 代わりに、封蝋の印面へ視線が落ちた。ほんの短い間だけ。知っている顔を見るみたいに。

 それが何より怖い。

「止めない」

 短い。命令の形じゃない。確認の形だ。

「――止めたら、君が2度と選べなくなる」

 その言い方が、私の中の誤解を裏返す。

 冷たいんじゃない。ここで止めたら、私の選択が守られた扱いで奪われるのだ。

 分かってしまうと、別の痛みが来る。分かっているのに、近づけない痛み。

「会えるのに、会ってはいけないみたい」

 言葉が漏れた。恥ずかしさより先に、苦しさが出た。

 ルシアン様の目が細くなる。怒りではない。耐える形だ。

「ここで触れたら、君が罰を受ける」

 触れない理由が、私の身体へ降りてくる。さっきの熱が、答え合わせみたいに脈を打つ。

「……じゃあ、隣は」

 言いかけたところで、扉の外がわずかに鳴った。

 私もルシアン様も、同時に黙る。照れじゃない。制度に耳があると知っている沈黙。

 それでも私は、引き返さない。

「……隣は、やめないで」

 ルシアン様の息が、ほんの少しだけ乱れた。

「……離れても、隣はやめない」

 その言葉だけで、私の胸の奥の鎖が、別の音に変わった。締め付けじゃなく、支えの音。


 帰路の廊下は冷たかった。石の匂いが、蝋の匂いを薄めない。

 ミロが布を取り出し、私の手を取ろうとして躊躇する。

「手、冷やします。……失礼します」

 監督官の前で見せた完璧な礼を思い出しているのか、言葉が固い。

 布が手の甲に触れた瞬間、熱は逃げないまま印の形を残した。消えない刻印が、皮膚の下で息をしている。

 ミロは真剣すぎて布を巻きすぎ、私の手が包帯みたいになった。

 私たちは無言でほどく。ほどく指が、同じ速さで動くのが可笑しいのに、笑えない。

「……誓約は、紙じゃないですね」

 ミロが呟く。

「……匂いで来る」

 私が答えると、彼は頷き、紙片を守るように胸へ押し当てた。


 廊下の向こうから、回覧文書の束がすれ違った。封蝋の色が違う。印影も違う。

 その瞬間、手の甲が焼けた。

 同じ熱じゃない。さっきとは別の形で、刺すように。

 私は足を止めた。息が浅くなる癖が、また戻る。

「……同じ熱じゃ、ないです。今のは」

 ミロの声が掠れる。彼も気づいたのだ。

 視界の端で、面会簿が棚へ戻されるのが見えた。背の角に、爪で擦ったみたいな新しい空白がある。

 誰かが触れた跡。誰かが削った跡。

 私の手の甲は、さっきすれ違った封蝋の輪郭だけを覚えていた。

 命令は、1枚じゃない。

 じゃあ、誰が、この記録に手を入れているの。

ここまでお読みいただきありがとうございます。署名の熱が示す刻印と面会簿の空白――次話で、誰が記録を書き換えたのかを追います。続きが気になったら、ブクマ&広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると励みになります!


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