第14話 逃げ得ゼロの読み上げ
「――爵位停止。審理が終わるまで、凍結」
大神官ディオニスの声が、白い天井に跳ね返って落ちてくる。冷たい言葉なのに、会場の空気だけが熱を失っていった。
私は壇上の端に立ったまま、指先の震えを隠せない。勝った、と言っていいはずなのに。息を吸うたび、胸の奥の鎖がまだ鳴っている気がした。
「ふざけるな! それは我が家の権限だ!」
父マルクスが声量だけで押し返そうとする。外聞の仮面は剥がれ、薄い汗が額に浮いていた。
「セレスティナ! 言え、あれは誤作動だと! お前は……家のために!」
喉が勝手に動きかける。
はい。
いつもの返事。楽になる返事。罰が来ない返事。
けれど私は、舌の先でその音を押しつぶした。押しつぶした瞬間、怖さが戻ってくる。逃げたくなる。膝が震える。
「……違います」
声が小さすぎて、自分でも聞こえない気がした。
父の目が細くなる。命令の目。私を道具に戻す目。
私は聖痕のある手を、隠さなかった。隠したら、また戻る。
息が浅くなる。視線の針が刺さる。壇下のざわめきが、波の形を変える。
「家が、私の光を吸っていただけです」
言ってしまった瞬間、背中が冷えた。言葉は刃だ。私にも刺さる。
でも、刺さっていい。ここで黙ったら、また誰かが「正しさ」で私を閉じ込める。
「黙れ!」
父が半歩踏み出した。指輪の紋章石が、ひどく目につく。白い光を閉じ込めたみたいな石。
その石が、呼吸するみたいに脈を打った気がした。
ぱきり。
乾いた音。花瓶が割れるみたいに軽いのに、会場の全員の背骨を叩いた。
父の指が止まり、次の瞬間、石が崩れた。指輪の上で、白い欠片が跳ねる。
父は膝をついた。王宮大聖堂の石床に、伯爵が。
「……違う、これは……!」
父の声が掠れる。周囲の貴族が距離を取る。民衆は息を止めたまま、拍手の手を持て余していた。
私は、勝利の快感より先に、怖さの反動が来た。今まで父が壊れる場面を見たことがない。壊れた父の破片が、次に何をするのか分からない。
それでも目を逸らさない。逸らしたら、また「はい」が戻る。
「静粛に」
ディオニスが杖を床へ当てる。響きは硬く、逃げ道を塞ぐ音だった。
書記が前へ出て、封蝋のついた紙束を抱え直す。赤い蝋が、灯りに鈍く光った。
「公開審問の議により、オルネア伯マルクスの爵位を停止する」
「……っ」
「領地運用の権限を凍結する。国庫監査の立ち入りを許可する」
「待て! 領民はどうする!」
父が叫ぶ。今さら、領民を盾にする声。
私は反射で息を呑んだ。巻き添え。私が何かを変えると、誰かが困る。そう刷り込まれてきた。
でも昨日、私は言った。領民は巻き添えにしない、と。
それは罪悪感の鎖じゃない。私が選んだ切り方だ。
「3日分の恵み雨は残します」
言葉が出た瞬間、会場の空気が少しだけほどけた。怒号が止まり、ざわめきが別の形になる。
「だから……家だけを外します」
ルシアンの気配が、半歩ぶんだけ近づく。前ではない。隣の距離。
私の肩に触れないまま、視線の針を受け止める位置に立ってくれる。
「続けろ」
低い声。命令ではなく、支えの声。
私は小さく頷き、また息をした。
「処分の執行に伴い、当該家の印章と紋章石の保全を命じる」
ディオニスが言うと同時に、書記が紙束を掲げる。封蝋が揺れない。揺らさない手つき。
父の背中が、やっと震え始めた。
床の上で、砕けた欠片が光を失している。小さな白。踏まれたら終わる白。
靴先が近づくのが見えた。誰の靴かは分からない。ただ、床の欠片へ真っ直ぐ来る。
私は声を出しかけて、喉が詰まった。
代わりに、私の斜め後ろから小さな影が滑り込む。
ミロだ。
見習い修道士の彼は、礼法のせいで動きが遅いはずなのに、その瞬間だけは速かった。
袖から布を取り出し、何事もないふりで欠片の上へ落とす。布の端が、床の冷たさを吸う。
「……踏ませたら、戻ります」
彼の小声は震えている。けれど意思は揺れていない。
「見えている」
ルシアンが同じくらい小さく返す。視線は会場全体を切っていた。
私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。誰かが、私の選んだものを「証拠」として守ってくれている。
「ありがとう」
言うと、ミロの耳が赤くなる。
「……今夜の夕餉、豪華になります?」
場違いな囁き。必死の現実逃避。私は思わず息を漏らしそうになって、唇を噛んだ。
笑ったら、泣きそうになるから。
読み上げは続く。停止、凍結、監査、接触禁止。言葉の槍が何本も突き立ち、父の逃げ道を埋めていく。
逃げ得はない。やっと、ここまで来た。
けれど私は、勝利の甘さに浸れなかった。
視線が、布の端に刺さっているのが分かる。遠い場所から、同じ1点へ向けて滑ってくる視線。
父でも妹でもない。もっと静かな、飢えた目。
会場の外縁で、家令バルドが膝を折り、深く頭を下げた。忠誠の礼。撤退の礼。
顔は穏やかなまま、目だけが動く。布の下。欠片の場所。次の段取り。
その視線と、別の視線がぶつかった瞬間だった。
群衆の中の誰かが、笑った。
「……あれが、残った」
声は小さい。けれど私の背筋だけが冷えた。
ルシアンの呼吸が、ほんの少しだけ変わる。
「セレスティナ、動くな」
今度は命令に近い硬さだった。私の恐怖の反動を、先に押さえるための硬さ。
布の端が、風もないのに揺れた。
誰かの靴先が、また近づいてくる。
靴の持ち主は、祈りの衣の裾を引きずっていた。神官の黒衣に似ているのに、袖口の縫い目が違う。見たことのない糸色。
その手が布へ伸びる。指先には、封蝋の粉が付いていた。
「それは保全対象だ」
ルシアンが言う。声は低いのに、刃みたいに硬い。
「保全するのは神殿です」
相手は顔を上げないまま答えた。丁寧な口調。丁寧さで踏み込んでくる声。
「聖女候補に関わるものは、すべて神殿管理と定められております」
私の喉が、また「はい」を探しにいく。従えば、話が早い。従えば、争いが減る。
でも、その早さが怖い。早い手続きは、檻になる。
「名を」
ルシアンが短く言った。
「監督官印を出せ。記録に残す」
伸びた手が止まる。布の端が、指先の影から逃げるみたいに揺れた。
相手の袖が少しだけ捲れ、手首に薄い印が見えた。聖紋に似ているのに、角が尖っている。
ディオニスの読み上げは、まだ終わっていない。けれど会場の温度は、もう次の戦いへ滑っている。
私は息を吸い直し、ルシアンの横顔を見る。氷みたいな目の奥に、囲いたい衝動が燃えているのが分かった。燃やしたまま、抑えている。
「セレスティナ」
名前で呼ばれる。呼ばれただけで、足が地面に戻る。
「君が決める」
彼は続けた。命令しない。けれど、逃げ道だけは塞いでくれる。
私は布の下の欠片を見た。私の光を盗んだ石の、白い残骸。
ここを奪われたら、父の罪も、私の選択も、また誰かの言葉にすり替えられる。
「……渡しません」
声が震えた。震えたまま、言えた。
相手の指が、布の端をつまむ。
次の瞬間、封蝋の割れる音みたいな小さなぱきりがして、誰かが囁いた。
「保護誓約を回せ」
私は、その言葉の意味を知らないまま、体だけが先に凍った。
ルシアンの手が腰へ伸びかけて、また止まる。
剣が抜けない場所で、誰が私を縛ろうとしているの。
読了ありがとうございます。爵位停止の読み上げで逃げ道は塞げた――はずなのに、欠片を奪おうとする神殿側の手が動きました。次話、保護誓約の正体とルシアンの一手へ。続きが気になったら、ブックマークと広告下の【☆☆☆☆☆】評価、ひと言感想で応援いただけると励みになります。




