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「連載版」聖女は妹じゃない。祝福を搾取した毒家族を私が切ってざまぁ、騎士団長に溺愛される長女です  作者: 夢見叶
第1部 第3章公開審問、契約を切り替える

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第11話 名を呼ぶ距離、隣の距離

「守るために前に立たない。――隣へ行ける距離にいる」

 そう言われた瞬間、胸が少しだけ楽になった。

 同時に、石段の上が処刑台みたいに高く見えた。


 神殿の控室は、石の匂いと紙の匂いが混ざっていた。私の隣で、ミロが紙束を抱えて小刻みに揺れている。揺れるたび、角が私の袖に当たって痛い。

「順序、順序……まず聖遺物の判定、それから契約先の宣言……」

 口の中で転がすみたいに暗唱して、ミロは自分の指を折った。折った指が足りなくなると、慌てて別の紙を足した。

「ミロ、紙が増えてる」

「増えてません! 増えてるように見えるだけです!」

 見えるだけ、なわけがない。腕から滑り落ちた紙を拾おうとして、ミロは礼儀正しく頭を下げたまま額を机の角にぶつけた。

「だ、大丈夫ですか」

「大丈夫です! 痛いですけど!」

 痛いのに大丈夫と言う癖まで、私に似なくていいのに。


 私は自分の手の甲を見下ろした。聖痕の輪郭は薄く、でも消えない。息を吸うと、昨日と同じ白い花の匂いが喉の奥に触れた。

 この匂いが、私の人生を壊しに来たのか。救いに来たのか。まだ判断できない。

 判断できないまま、壇上へ行く。


 扉の向こうから、ざわめきが布みたいに押し寄せてくる。民衆の息と、貴族の香と、神官の沈黙。全部が「公開」という形で固まっている。

 誰かの咳払いも、椅子の軋みも、全部が私に向けられた矢みたいに聞こえた。


 私の喉が勝手に「はい」の形を作りかけた。

 戻れば楽。従えば早い。痛みは短い。

 そう囁く癖を、私は舌の奥で噛んだ。


「……セレスティナ」

 呼ばれて、心臓が跳ねた。肩書きじゃなく、名だけ。

 ルシアンが戸口に立っていた。黒い外套の影が、控室の灯りを細くする。目は冷たいのに、声は押しつけてこない。

「行くぞ」

 命令に聞こえないのが、逆に怖い。逃げてもいい、と言われているみたいで。

 だから私は、逃げないための言葉を探した。

「……怖い、です」

 言った瞬間、涙が出そうになって、慌てて瞬きを増やした。

「怖いと言えるのは強い」

「強くありません。喉が、勝手に……」

 私はうまく続きが言えなかった。喉の内側に、鎖の跡が残っている気がする。

 ルシアンは私の前に立たなかった。半歩だけ後ろ。私が伸ばせば触れられる距離、でも私が拒めば触れられない距離。

「守るために前に立たない。隣へ行ける距離にいる」

 繰り返されると、その言葉が誓約みたいに胸に沈んだ。


 回廊の手洗い場で、私は指先を濡らした。冷たい水が、手の震えだけを正直にする。

「怒鳴らない」

 独り言みたいに言うと、ルシアンの視線が来た。

「何だ」

「怒鳴ったら、私が悪者になるから」

 言葉にした途端、怖さが形を変えた。黙るための怖さじゃない。話すための怖さだ。

 怒鳴れば、父は泣く。妹は怯えたふりをする。群衆は正義の顔で私を殴れる。

 その絵が、頭の中に勝手に完成してしまうのがいちばん怖い。


 ルシアンの口元がほんの少しだけ動いた。笑いではない。息を整えるみたいな動き。

「なら、言葉を置け。短く。曲げられない形で」

 私のための助言なのに、私を子ども扱いする匂いがしない。腹が立たないのが不思議だった。

 むしろ、腹が立たないことが怖かった。優しい言葉は、いつも鎖の内側から来たから。


 会場入口は、思っていたより狭かった。狭いのに、外側から覗き込む目が多い。扉が開くたび、視線が流れ込んでくる。

 護衛の手が腰の剣に触れかけて、止まった。ここは神殿だ。刃は、簡単な正義にならない。

 書記が進み出て、深紅の封蝋が付いた議事録を掲げた。蝋は光を鈍く返し、神殿の紋が潰れないように盛り上がっている。

 喉が乾く。あの蝋の下に、今日の私が閉じ込められる。

「封蝋、触っていいですか……」

 ミロが小声で言いかけて、私に袖を引かれて口を閉じた。すると今度は、封蝋の端を目だけで追って、唇が小さく動いた。

「……番号だけ……」

 声にならないまま、証拠の形を覚えようとしている。ミロの怖さも、私と同じ方向を向いていた。


 ディオニス大神官が杖を床に鳴らした。乾いた音が、ざわめきの形を切る。

「順に従え。それが最も公平だ」

 公平。私はその言葉が好きじゃない。公平はいつも、弱いほうを先に折る。

 でも今日だけは違うかもしれない。公開は、さらし者の場じゃない。逃げ得を許さない刃だ。

 父も、妹も、ここから逃げられない。私も逃げられない。だからこそ、ここで折れたら終わる。


 石段の下で、待っていたみたいにマルクスが立っていた。涙を拭うふりをして、指輪の紋章石を撫でる。祈りより先に、欲が動く仕草。

「セレスティナ。お前は優しい子だ。だから分かるだろう。家のためだ。皆のためだ」

 優しい、はいつも檻の鍵だった。

 隣でフィオナが微笑む。昨日と同じ、泣ける睫毛。

「お姉様は、心が弱いのです。きっと怖くて、正しい判断ができません」

 正しい判断。誰が決めるの。

 私の喉がまた「はい」の形を作りかけた。反射の形。父に合わせる形。

 私は唇を噛んで、それを潰した。


 ルシアンが前に出ないまま、私の横へ寄った。肩が触れない距離なのに、空気だけが硬くなる。

「開始前の印象操作は無駄だ」

 淡々とした声が、父の仮面を少しだけ剥ぐ。

 マルクスの眉が動いた。怒鳴りたいのに、怒鳴れない。ここは公開だ。外聞が命だ。

「……娘が危険だと分かったら、隔離して頂きたいだけだ」

 隔離。言葉だけで、足首に冷たい輪が嵌まる。

 フィオナの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。拍手が起きない未来を想像してしまったみたいに。


 私は石段を見上げた。上へ行くほど、顔が消えて、目だけが残る。針みたいな視線。

 足がすくむ。逃げたい。戻りたい。楽になりたい。

 その全部を抱えたまま、私は第1歩を踏み出した。石が硬い。足裏が痛い。痛みがあるから、今ここにいると分かる。

 段を上がるたび、息が浅くなる。喉が、また「はい」を作ろうとする。私はそのたび、舌で口の中を押し返した。

 ルシアンの靴音が、半歩遅れて付いてくる。前じゃない。後ろでもない。隣へ行ける距離。

 振り返りたくなる。確かめたくなる。だけど振り返ったら、その瞬間に足が止まる気がした。

 止まったら、私はまた回収される。丁寧な言葉で、正しい札で、正しい隔離で。


 壇上の中央に、聖遺物が置かれていた。銀の枠の水晶。昨日、私を避けなかった光。

 見た瞬間、白い花の匂いが濃くなる。幻じゃない。私の手の甲が熱を持った。

 私は掌を握り込んで、ほどいた。怖さで握った手は、触れる手になれない。


 ディオニスの杖がまた鳴る。

「今この場で、応えを示せ」

 空気が止まった。私の呼吸も止まりそうになる。

 遠くでミロが息を吸い込みすぎて、むせた音がした。誰かが咳払いで押し潰す。

 ディオニスは表情を動かさないまま、続けた。

「応えが無ければ隔離だ」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

壇上でセレスティナが応えを示す瞬間、誰が味方で誰が敵かがはっきりします。

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