7 祈り
(ま、まずい!)
風を切る大鎌が、サーニャの頭頂部を目指す。
直撃すれば命はない。
すべての魔力を使い切ったサーニャは、全身に強烈な疲労感を覚えながらも、残された力を振り絞る。
「うるあああああっ!」
半ばヤケクソで地面を蹴る。同時、大ガマがサーニャの前髪をかすめる。標的を捉え損なったカマは虚空を切り裂くと、そのままの速度で大地に突き刺さった。
爆音。
地面に突き立てられたカマを中心に、大地にヒビが入り、四方八方へ広がっていく。破壊された大地が音を立てて崩れ出す。同時に発生した爆風が、周囲のあらゆるものを吹き飛ばし、カマの直撃を回避したサーニャにも襲いかかる。
「きゃあーーーーーーーーっ」
ものすごい勢いで彼方に吹き飛ばされるサーニャ。疲労が強い。体が言うことを聞かない。だというのに地面が近づいてくる。まともに受け身を取ることすらできず、猛スピードで地面に叩き付けられる。
「あぐっ!」
すでに体力は残っていない。体を止めることができず、ぶつかったままの勢いで転がり続ける。勢いは、しばらくの間、止まらなかった。さんざん転がされた後、やっとのことで、うつぶせで止まった。地面に触れる顔が苦痛に歪む。
さっきまでサーニャのいた場所は、大地が半球状にえぐれている。まるで隕石でも衝突したかのような巨大なクレーターが誕生していた。大穴は、岩のように巨大なカマキリ男がすっぽり収まっても、まだ余裕があるくらいに大きく、それが攻撃の威力の凄まじさを物語っていた。
クレーターのヘリに立ち、自分で作った穴を見下ろす怪物。全身を包んでいた炎は、攻撃時に発生した爆風によって消えていた。カマキリ男の視線が、クレーターを超えた、はるか向こうの草の上に倒れているサーニャに向けられる。
「おっと失礼。つい力が入り過ぎてしまいました」
たった一撃で草原の地形が変わってしまった。あり得ない威力。常軌を逸した強さ。追撃を食らえば命はない。うつ伏せに倒れているサーニャが、地面を押して上半身を起こす。その時、少女の顔が歪む。
「痛っ!」
片足に激痛が走る。
「おや? 足をひねってしまいましたか。回復魔法で治してもいいですよ。待っててあげます」
カマキリ男は余裕の態度で回復をうながす。追撃すればすぐに勝負は決まるというのに、そうはしない。まだこの戦いを楽しみたいのか、それとも自分が負けるわけが無いと高をくくっているのか。
サーニャの足に激痛が走る。しかしこのまま倒れているわけにはいかない。ここで立ち上がらないと、村が襲われてしまうのだ。足の痛みをこらえて、大地に押す。疲労はとっくにピーク。地面を押す腕が小刻みに震える。立ち上がるだけだというのに、たったそれだけのことが、ひどく億劫だった。痛めた片足をかばいながら、なんとか立ち上がる。それだけのことで、とてつもなく疲れる。息が切れる。酸素が、まるで足りていない。肩を上下させて必死に空気を取り込む。やっとのことで息を整えると、怪物に言い返す。
「……あいにく、あたしは攻撃専門でね。回復は使えない。攻めるほうが性に合ってんのよ」
途端、カマキリ男の両目がパッチリ開く。
「なにそのセリフ!? イカす! 僕も使っていい? いいよね? よし! 持ちネタが一個増えた~」
キラキラと目を輝かせて嬉しそうに顔をほころばせるカマキリ男。
上機嫌なカマキリ男に対して、サーニャは顔全体に疲労をにじませる。もはや立っているだけでも奇跡に近かった。
カマキリ男が、シュッシュッ! とカマを素振りする。その動きは機敏で、体力の低下をまるで感じさせない。
「ふむ。ダメージは、ほとんどなし」
ケタ外れの威力を持つ上級魔法を、まともに受けたというのに、怪物はピンピンしている。考えられないことだった。
「ど、どうなってんのよ。あたしの魔法が効かないなんて……」
「当たり前だ。人間ごときがA級悪魔にかなうか」
「え、A級悪魔ですって! な、なんでそんな上位悪魔がこんなところに……」
サーニャが取り乱す。A級悪魔は悪魔の中でも最も強い力を持つ。その強さは常軌を逸しており、腕利きの戦士が束になっても敵わないほど。一流の魔法使いであるサーニャであっても、戦うことは自殺行為に等しい。
それと同時に合点がいく。目の前の怪物がA級悪魔なら、これまでの不可解な強さにも筋が通る。サーニャの魔法をまともに食らって無傷で済む生物など、そうはいないのだ。
怪物は冷静な口調で少女に語りかける。
「あなたは勇敢に戦いました。褒めてあげましょう。これ以上の邪魔だてをしないのなら、特別にあなただけは見逃してあげます」
「あらそう? じゃあ、お言葉に甘えて退散させてもらおうかしら」
表情を柔らげて、おどけるサーニャ。
「そうそう。素直が一番です。では、私は村人たちを血祭りにあげてきましょう」
「ふざないで!」
聞き捨てならない怪物の言葉に、サーニャは声を荒げる。
怪物は首をかしげる。
「わかりませんねえ。せっかく助かるチャンスなのに」
「あんたみたいな奴に、わかるはずないわ。あたしはねえ、村のみんなを見捨てるくらいなら、ここで死んだほうがマシなのよ!」
語気を荒げて言い放つ。追い詰められてはいるものの、気持ちでは決して負けていない。威圧的な悪魔を前にしても、少女は一切退かない。
(ここでなんとかしなきゃ村が大変なことに……。シスタだって危ない……。でもA級悪魔相手にいったいどうすれば……)
威勢よく啖呵を切ったものの、策は無い。それは同時に、少女の敗北、すなわち死を意味していた。
すでに魔力を使い果たしたサーニャには、もはや、できることは残っていない。魔法を放つことは、もうできない。いや、仮に魔力が残っていたとしても、悪魔の防御力は、あまりにも強すぎる。もはや人間にどうこうできるレベルをゆうに超えている。
「ほっほっほ! では望み通り死になさい!」
節状の足が大地を蹴る。空気を押しのけ、巨体が天へ飛んでいく。クレーターを軽々と越えると、今度は急降下する。身動きの取れないサーニャに迫った悪魔が、大ガマを掲げた。
「キエーーーーーーーーーーーッ!」
殺意に満ちた絶叫が空気を震わせる。
殺気を全身に受け、サーニャは足がすくむ。いや、元より動く力は残っていない。
今度こそ息の根を止めるべく、怪物は渾身の力でカマを振り下ろす。怪物の攻撃力は異常。人間の防御力で防ぐのは不可能。であれば少女に残された道は逃げの一手。しかし今のサーニャにはその力さえも残されていなかった。
もう打てる手が無い。死を覚悟したサーニャは、せめて親友のシスタが、この怪物から逃げ延びてくれることを心の中で祈った。死が迫ったサーニャにできることは、もはや、そのくらいしか残されていなかった。
(……ごめん、シスタ。特訓、手伝えそうにないわ)
魔法が苦手な幼馴染とかわした約束は、どうやら果たせそうにない。最期の最期、サーニャにはそれだけが心残りだった。
大ガマが迫ってくる。サーニャは迫り来る攻撃になすすべもなく、目を閉じて顔を背けることしかできなかった。