5 怪物
(バカなっ! あたしの魔力は並の魔法使いの何倍も強いのよ。ノーダメージだなんてありえない!)
信じがたい光景。これほどの威力の魔法をまともに食らえば、どんな怪物であっても、ただでは済まないはず。サーニャの右手が、かすかに震える。
魔法を切り裂いた当の本人は、つまらなそうに。
「それで本気ですか? だとしたら、そろそろ殺してしまいますが」
「バ、バカ言ってんじゃないわよ! 小手調べに決まってるでしょ!」
威勢のいい言葉に、カマキリ男が笑みを浮かべて口角を釣り上げる。
「流石は天才魔法使い! サービスがいいですねえ。そんなあなたに私からも特別サービス。ガードしないでおいてあげます。これなら私にダメージを与えられるかもしれませんよ。さあ、全力で撃ってみなさい」
よほど自信があるのか、体の前からカマをどかした怪物は、余裕の笑みで無防備な姿をさらす。
「その代わり、次つまらない攻撃をしたら、あなたには罰として死んでもらいますからね」
「くっ……」
「さあ精神を集中して! とびっきりの力で撃った方がいいですよー! 人生最後の魔法になるかもしれませんからねえ」
嘲笑い挑発すると、怪物はカマをクイックイッと動かして、魔法を催促してくる。まるで、やれるものならやってみろと言わんばかりに。
「……ふん。余裕こいちゃって! 後悔させてやるわ!」
今度は両手を体の前方に突き出す。これなら片手とは比較にならないくらいの魔力を込めることができる。
「はああっ!」
全身に力を入れて気合いを込める。すると手のひらに、ひとつの小さな炎の塊が現れる。しかし、さっきのファイアーボールよりも明らかに小さい。
「くっくっく! そのちっぽけな魔法があなたの本気なのですか? 笑わせてくれますねえ。それともさっきの攻撃で魔力を使い果たしてしまったのでしょうか?」
カマキリ男が、さらなる挑発をする。確かにこの魔力で怪物を倒すことは不可能だろう。魔法のサイズは、さっきよりも数段劣る。どう考えてもかなうわけが無い。しかしここでサーニャが負ければ、怪物はルラ村を滅ぼすだろう。友達や家族、仲の良いたくさん人が命を落とすことになる。それだけは絶対に防がなくてはいけない。この怪物を、何としてもここで止めなくてはいけない。サーニャが全身の魔力を開放する。
「はああああああーーーーーーーーーーーーっ!」
サーニャの絶叫が草原に響き渡る。サーニャの手の中で、小さな火の玉が急激に膨らみ始める。そのサイズは、さっき放ったファイアーボールを一瞬にして超えてしまう。2倍、3倍、4倍……火球のサイズが加速度的に膨張する。あっという間にサーニャの身長に匹敵するサイズにまで膨れ上がった。少女の手にあるその魔法は、最初に放ったファイアーボールとはケタ外れに大きい。巨大な火球が、まるで獲物を探すように炎を巻き上げる。
「なにいっ!?」
怪物が表情を崩し、うろたえる。
愉快になったサーニャはニヤリと笑い、大口を開く。
「あーっはっはっは! どうやら想像以上だったみたいね!」
「チィッ! こ、小娘め……!」
「でも、いまさら後悔してももう遅い! 行っけぇーーーーーッ!」
火球が放たれた。
「生意気なッ!」
ガードしないという約束はどこにいったのか、怪物が瞬時にカマを構える。直後、超巨大火球が怪物に激突する。周囲に炎が散った。
「ぐおおおおおおおおおっ!」
怪物は火球をなんの小細工もなしに真正面から受け止める。少女の放った巨大な魔力の塊を、怪物はそのパワーだけで止めて見せたのだ。
「なかなかやるじゃない! でもね」
サーニャには自信があった。この魔法であれば確実に勝てるという自信が。
少女がパチンと指を鳴らすと、怪物に止められた巨大火球が大爆発を起こす。巻き起こった炎が、怪物の全身を一瞬にして飲み込んでゆく。はるか上空に向かって、巨大な炎の柱が一直線に伸びていく。
「や、やった!」
圧倒的魔力が、完璧にカマキリ男をとらえた。今や怪物は完全に炎の中。このレベルの魔力に耐えられるものなど、この世にほとんどいないだろう。そう言い切れるほどの圧倒的魔力が、見事に炸裂したのだ。それもこれも、一流魔法使いサーニャの腕があればこそ。
怪物を倒したことに安堵したサーニャが「わーいわーい!」と、無邪気に飛び跳ねる。そのたびに淡い紫の長髪が、ふわりふわりと波打つように揺れる。
「あーっはっはっは! 偉そうにしてたくせに、ざまぁないわね! 所詮はカマキリ。このサーニャ様の敵ではなかったのよ!」
腰に手を当ててふんぞり返ると、少女は勝ち誇った顔で高らかに笑う。――すると。
「あたたかーい」
声がした。よく聞き覚えのある声が。
「え……」
サーニャは固まった。なぜこの声がするのか。なぜ怪物の声がするのか。そんなことはありえない。ありえないはずなのに、確かに耳に届いてしまった。状況が理解できない。思考が追いつかない。
少女の前方、燃え盛る炎の中に、カマキリのシルエットが浮かび上がる。
「君、結構強いね。"人間にしては"だけど」
シルエットは冷静な口調で言った。
「バ、バカな……」
炎の勢いが次第に弱くなる。火柱が消え去ると、その中から緑の怪物が姿をあらわす。怪物は最初と変わらずピンピンしており、その体はきれいなまま。ダメージらしいダメージはどこにもない。考えられないことだった。
「ま、所詮は人間。やはり下等な生き物ですね。つまらないので、もう死んでもらいます!」
サーニャは、あんぐりと口を開く。
「はああ!? なによそれっ! なんでダメージ受けてないの!? おかしいじゃない! インチキよ! あんた、なんかインチキしてるでしょ! イ~~~ンチキィ~~~~!」
「ほっほっほ。好きなだけ吠えなさい」
「ペテン師は帰れ! イーンチキ! イーンチキ!」
意味不明な耐久力を持つ怪物に、サーニャはキレた。拳を突き上げて、怒涛のインチキコールを浴びせる。
「イーンチキ! イーンチキ!」
「ほっほっほ」
「イーンチキ! イーンチキ!」
「ほっほっほ」
「イーンチキ! イーンチキ!」
「ほっほっほ」
「イーン「やかましい!」
コメカミに血管を浮かせたカマキリ男が、はるか前方にいるサーニャを怒鳴りつける。草原に響き渡っていた、しつこいインチキコールがピタリと止んだ。
「やさしくすれば、つけ上がりおって!」
「ふん! なによ! べー!」
怒鳴りつけてくる巨大カマキリに腹が立ち、露骨に不機嫌な顔でベロを出す。しかしそんな余裕を見せてはいるものの、内心は焦っていた。
(あの魔法を食らってノーダメージだなんて、どういうことよ……)
手加減はしていない。全力で放った。なのに、まるで効いていない。カマキリ男の、ありえないタフさ加減に、次の一手が思いつかない。あの魔法でダメなら何をしてもダメじゃないのか。そんな考えが頭をもたげる。
サーニャは、怪物に気圧されて後ずさる。この怪物、なにかがおかしい。
「ほほっ。さてと……」
落ち着き払った怪物は、片腕を引き、真一文字にカマを構える。
サーニャの背中を、ぞくりと冷たいものが走る。
(なんて殺気……)
さっきまでとは打って変わって、怪物から発せられる強い殺意。どうやら冗談ではなく、本当に殺す気でかかってくるつもりだ。
「私のカマは切れ味抜群です。よかったですねえ。苦しまずに死ねますよ」
(やばい、あの攻撃……。私の防御力じゃ防ぎきれない……!)