1 クリスタルゴリラ
「悪魔だー! 悪魔が襲ってきたぞー!」
街の誰かが叫んだ。
血相を変えた人々が次々と街の外へ逃げていく。
そこら中から悲鳴が聞こえる。
ここパドの街は、今まさに悪魔の襲撃を受けていた。
街を襲っている張本人は、街の中央広場を占拠している。
全身がクリスタルで出来ているゴリラの悪魔は、太陽の光を反射させてキラキラと輝いている。輝く怪物が、逃げ惑う人々に叫びかける。
「ヤッホー! みんなー輝いてるかー!」
高さ5メートルはありそうな巨大なゴリラは、誰もいない中央広場でポーズをキメる。
「はいキレイ~」
見るものなどいないというのに、怪物は見せつけるように、二の腕をまげている。クリスタルの筋肉を見せびらかす。自身の筋肉に相当な自信があるらしい。
「はいキラキラ~」
今度は腕を腰に回して、大きなボディを強調。光り輝く自身の体が、よほど自慢なのだろう。怪物は何回もポーズ変えて、自身の肉体美を見せつける。
「このクリスタルゴリラが世界を輝かせていくよー!」
悪魔の名前はクリスタルゴリラ。クリスタルボディの巨大ゴリラが、パドの街を占拠していた。
筋肉をさんざん見せびらかして満足したのか、ゴリラはゴキゲン顔で街を見渡す。
「……な~にぃ、この街ぃ」
ゴリラは、なぜか露骨に不満そう。
「ぜんっぜんキラキラしてない!」
さっきまでの上機嫌はどこに行ったのか。怪物は急に怒声を上げる。
「世界ってのはさあ、もっと輝かなくちゃダメッ!」
わけの分からないことを言いながらクリスタルの拳を握り込むと。
「こんな暗い街、無い方がいいよ! 消しちゃおーっと」
怪物の目つきが変わる。吊り上がった醜悪な目。見るからに凶悪そうなその表情。悪魔は街を破壊するつもりだ。と。
「おかあさーん!」
怪物のすぐ近くで幼い女の子が泣いている。まだ五歳くらいだろう。母親とはぐれてしまったのか、女の子は泣いたまま、立ちすくんでいる。街の外に逃げればいいものを、少女はなかなか動きだそうとしない。もしかしたら恐怖で動けないのかもしれない。無理もない。特大の怪物が街で暴れまわっているのだ。そんな状況、誰であっても恐怖を感じるだろう。まして幼い少女であればなおさらのこと。しかし街の人々はあらかた逃げつくしてしまった。少女に手を差し伸べる者はいなかった。
逃げ遅れた住人を見て、悪魔の口元が吊り上がる。と。
「うほーーー!」
クリスタルの悪魔がようようと少女に飛びかかった。怪物は躊躇なく足元の少女に拳を放つ。キラキラ光る拳が、泣き続ける少女に襲いかかる。怪物と比べて女の子は米粒のように小さく、か弱い。硬いクリスタルの拳を浴びたらひとたまりもない。だというのに怪物には、まるで容赦がない。相手は幼子だというのに、そんなことはお構いなしに、乱暴に拳を叩きつける。少女の人生が終わろうとしていた。その短い人生が、たった今、幕を下ろしていく。輝く腕が伸びきった瞬間、悪魔は目を見開いた。
「――!」
悪魔の拳は空を切った。その拳は何も、とらえることができなかったのだ。今の今まで目の前にいたはずの女の子が、悪魔の前からこつぜんと姿を消していた。虚空に突き出されたゴリラの拳がむなしく震える。
怪物は、おもむろに視線を奥に向けた。少女のいた場所よりも5メートルほど先。そこには少年がいた。そしてその隣には、さっきの少女も。
さっきまではいなかったはずの人物――銀髪の少年は、ツンツンとした独特なヘアースタイルをしている。彼は、透き通るブルーの瞳で悪魔を見据えている。赤いTシャツと白い長ズボンを、細い体でラフに着こなし、履きならしたブラウンのブーツで石畳を踏んでいる。背中一面を覆っている漆黒のマントが、風に揺られて静かになびく。少年の名はゼロ。
「町の外に、お逃げ」
ゼロは少女をそっと送り出す。しかしどういうわけか、少女は逃げようとしない。少女はゼロのことを心配そうな目で見つめてくる。自分が殺されるかもしれない状況で、少女は他人であるゼロのことを心配しているのだ。ゼロはそんな女の子に、ニカッと笑いかける。その表情にはまるで気負いがない。巨大な怪物を前にしているというのに、ひどく落ち着いている。そんなゼロの姿を見て、やっと安心できたのか、少女は街の外に向かって、よたよたと走りだした。離れていく少女の背中を見て、ふっと微笑むゼロ。
悪魔は逃げる子供を一瞥すると、ゼロを睨む。
「キミさ~、僕がクリスタルゴリラだって知ってる?」
怪物がイラ立っているのがわかる。口調にトゲがあるのだ。どうやらゼロが子供を逃がしたことが頭にきたらしい。イラつきを隠さずに悪魔は続ける。
「ゴリラがすでに偉いのに、その上、クリスタルなんだよ? わかる、この意味?」
そんな意味不明なことを言ってくる怪物。もちろん意味なんて、わかるはずがない。
「ゴリラえらい! クリスタルえらい!」
怪物はキレのある動きで腕を突き上げながら、声を張り上げる。
「キレイ、えらい! キタナイ、死! ほらキミも!」
意味の分からない言葉を大声でわめき散らす怪物。そのうえ怪しい大声大会にゼロを誘ってくる。もちろんそんな誘いにゼロは乗らない。奇妙な生物を興味深く観察するのみ。しばらく放っておくと、怪物は叫ぶのをやめ、不愉快そうに見下ろしてくる。
「うーん、なんだろう……。キミ、クリスタルへの敬意が足りない!」
クリスタルへの敬意とはなんだ。
「それに僕はA級悪魔だよ? 最も強い悪魔なんだ。偉いんだ! もっと敬意を持たなきゃ!」
そこまで言って怪物はやっとゼロに興味を持ったのか、少年をまじまじと見つめて。
「そもそもキミだれ?」
「俺は勇者だ」
ゼロは悪魔の質問に淡々と答えた。
「……うっほっほ」
少年の回答を聞くと、何を思ったのかゴリラは急に低い声で笑いだした。
「そっか。君、勇者なんだ」
にこやかに笑うゴリラ。ゼロの顔を見つめてニコニコしている。先ほどまでのイラつきがウソのような、おだやかな表情だった――のもつかの間、ゴリラは一転して顔を怒りに染め上げる。
「ゲームのやりすぎーーーーー!」
ゴリラが不意打ちのパンチを放った。その巨大な拳でゼロに襲いかかったのだ。至近距離から見舞われる拳には、手加減などまるでない。それは命を奪い取らんとする無慈悲の一撃。クリスタルの拳は、無常にもあっさりとゼロを潰した。最上位の強さを持つA級悪魔の手にかかれば、一人の人間をこの世から抹殺することなど、造作もないことなのだ。そう。造作もないこと。だというのに、拳の下にはゼロの姿がなかった。
「なに!? クリスタルパンチをかわしただと!」
攻撃をあっさりとかわされて、悪魔が取り乱す。ゼロの姿を完全に見失ったらしく、悪魔は必死の形相で敵対者を探す。
いともたやすく悪魔の攻撃を回避したゼロは、悪魔から10メートル以上離れた場所――北大通りに立っていた。幅の広いその道路は、クリスタルゴリラのいる中央広場とつながっている。
「いつの間に、あんな遠くに……」
そこまで言うとゴリラは目を丸くする。その視線が、とうとつにゼロに釘付けになる。なぜか? それは少年が片手に剣を持っていたから。ただの剣ではない。それは大きな剣。そしてただ大きいだけでもない。その剣は、ありえないくらいのサイズをしていた。5メートルはあるクリスタルゴリラの全身が、剣の下に完全に隠れる。超巨大剣は、太陽の光を完全に遮り、怪物を闇で包んだ。
「……えっ?」
鈍い銀色に輝く剣を見つめたまま、怪物は完全に固まってしまう。まるで身動きが取れなくなってしまう。その時。
「勇者の剣!」
叫びと共にゼロが剣を振り下ろす。少年はその巨大な塊を、なんと片手で軽々と操る。怪物を闇に閉じ込めた剣が、クリスタルゴリラに激突した。
「ウボラーーーーーーーーーー!」
絶叫するクリスタルゴリラ。同時、クリスタルの体が、粉々に砕け散る。超巨大な悪魔の体は、ゼロの放った、ただの一撃によって完全に崩壊する。街中に飛び散ったクリスタルのカケラが、霧のような消えていく。さっきまでそこにあった、キラキラの塊がウソのように消滅していく。すべての塊が消え去ると、さっきまでクリスタルゴリラが立っていた場所の空中に、手のひらサイズの光る玉があらわれた。玉は地面に落下すると、大通りをコロコロと転がっていった。
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