第90話 百獣の女王様
レオナさんのお父さんは衝撃を殺しきれずに倒れ、ソフトボールがお腹にぽてんと乗っかった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですかお父さん!」
駆け寄ると、お父さんの額にソフトボールの跡が薄らと赤く残っている。
「まだ君にお父さんと呼ばれる筋合いはないよ!」
「そ、それじゃあ! レオナさんのおじさんがいいですか!?」
「それはなんか色んな意味でもっと嫌! 背筋がぞわっとする!」
寝そべったままだけど、返事をする余裕はあるみたいで少し安心した。
お父さんが上半身を起こし、痛そうに顔を歪めながら額をさする。
「それに本来はこの流れが正しい。気にしないでいい」
「そう、なんですか。その……」
なんて呼べばいいのか分からず言葉に詰まる。
「私の名前は、獅子王、迅だ」
「……えっ?」
「だから、今後は迅さんと尊敬の念を込めて呼びなさい。私も約束は守る。父親に二言はない。君を――兎野君をレオナの新米彼氏初心者(仮)としては認めてあげよう」
迅さんがぶっきらぼうに言った。
許し、をもらえた。
それが嬉しくて。
「ありがとうございます! 迅さん!」
俺の中から感情が溢れ、思わず迅さんの手を取ってしまう。
「グハッ! あ。やっぱりむ、無理かも……」
「大丈夫ですか、迅さん!?」
「グヌゥゥッ! 新米彼氏初心者(仮)に私の名前が呼ばれることがこれほどのプレッシャーとは……!」
迅さんの額は赤く、顔は青ざめたようになってしまった。
とりあえず額を冷やして手当てをした方がいいよね。
「迅は運動音痴なんデスから。キャッチなんてできないのに無理しちゃって。可愛いデス」
「パパ、ちょっと見直しちゃった。潔いじゃん」
レオナさんとリオーネさんが中腰で俺たちを見て笑っている。
「レ、レオナ! 本当かい! パパのこと見直してくれたのかい!?」
「うん。見直したよー? だから、もう一回立ってくれる?」
レオナさんは迅さんの手を取って立たせてあげる。
「ありがとう、レオナ。ここに立ってればいいのかい?」
「うん。オッケー」
笑顔だけど、いつもの笑顔とは雰囲気が違うのが分かる。
どうしてしまったんだろう?
「真白君。ちょっと傘とメガネ貸して?」
「え? いいけど……?」
意図が見えないままレオナさんに傘とだてメガネを渡す。
レオナさんはさらにソフトボールを掴み、足早に入り口に向かっていく。
「マシロさん、危ないデスよ。下がりましょう」
リオーネさんが俺の服の裾を掴み、小声で言った。
これまた意図が見えないけど、素直に従って迅さんから離れ……あれ? この流れって。
レオナさんは残っていたオレンジジュースを豪快に飲み、
「えーと? 礼節が人を」
早回しのようにテキパキと動き、傘をぶん回し、
「作る――」
「ギャッ!?」
ソフトボールがまた迅さんの顔面に直撃し、倒れ込んでしまう。
「だっけ?」
レオナさんは傘の柄を迅さんに向けて笑っている。
嗜虐的な行為が成功したことに喜び、冷笑を浮かべて。
だてメガネ越しに見える目は鋭く、眼光は獲物をかみ殺す気満々の殺気を放ち、口角を吊り上げて楽しそうに笑っている。
イメトレも一切なしの正真正銘の一発勝負をいとも簡単に成功させてしまった。
「レ、レオナ!? い、いったいなにを……?」
さっきよりも真っ赤になった額をさする迅さん。
俺も同じように驚き、戸惑い、レオナさんを見つめるしかなかった。
「意味はマジで全然分からないし、教わる気もないけどさ」
レオナさんは聞いたことのない低音で喋りながら近づき、迅さんの股の間に傘の石突きを叩きつける。
腰を下ろし、迅さんに顔を近づけた。
「試験ってことはさ。私も、同じだよね? 私も成功したから新米彼女初心者って認めてくれるよね?
私たちガチだから。(仮)は外させてもらうけどいいよね? ね? パパ?」
「あ、え? た、確かに言われてみれば……そう、だね?」
「だよね。でもまーあ? 私はパパに大反対されても絶対に真白君と別れないから。あ。そーだ。さっき真白君にレベル110あげないと認めない、とか言ってたよね?
それもさ。私も110にする必要、あるよね? 私と真白君でパーティー組んで一緒にレベリングするから。文句、ないよね? 分かったよね、パパ? 分かった、よね? 返事は?」
……レオナさんがガチギレしてらっしゃる。
「は、はい」
迅さんが何度も頷く。
「迅。レオナも高校生なんですから。信じてあげましょう? マシロさんはレオナが初めて好きになった人なんデスから」
「リオーネ……はぁ……そう、だね」
助けに入ったリオーネさんが、迅さんの手を握って起こしてあげた。
「レオナさんも、その、ほどほどにね」
俺もようやく動けるようになり、レオナさんの側に寄って手を握り、立たせてあげる。
「分かってるよー。ちょっとガチってみただけだし」
レオナさんは苦笑いをして続ける。
「それよりごめんね。せっかくの真白君の見せ場、奪ったみたいになっちゃって」
「いいよ。確かに俺だけじゃなくて、二人の問題ではあるから……正しいんだろうけど。ちょっと力業すぎた気も」
「しょーがないじゃん。このネタ試験思いついたのパパなんだし? こんなので失敗すると思われて、私たちの交際が認められないって舐められるの嫌じゃん?」
迅さんにソフトボールをあえてぶつけたことに対し、レオナさんは悪びれた様子はない。
これでレオナさんと迅さんの仲が改善するのかは、まだ不明。
「……それは、そうだね。成功してよかったね」
「うん。私が成功したのは真白君が成功したのを見たおかげだし。かっこよかったし、スッキリしたよ」
「ありがとう。レオナさんも……その、かっこよかったよ?」
「んー? マジかなー? 今疑問形じゃなかった? あ、や、し、いー。真白君の目、泳いでない?」
レオナさんの顔が近づき、うっかり顔を背けてしまうもレオナさんが追いかけ、また逃げ、追いかけ捕まる。
「き、気のせいだよ。あ、そうだ。正しくはかっこかわいいの方だった」
慌て軌道修正。
「うん。私はかっこいいよりかっこかわいいのが嬉しいな。ありがと、真白君」
いつもの大好きなレオナさんの笑顔に戻り、一安心。
俺はまだレオナさんの家族のことをほとんど知らない。
これから知って、理解していくしかない。
新たに理解できたのは、変わった試験もレオナさんの家族なら当たり前かなってことだ。
「おっほん! まだ私の話は終わっていないよ!」
少し回復した迅さんが、わざとらしく咳払いをした。
額のソフトボールの跡が痛々しい……。
話を切り上げ、耳をかたむける。
「私の完敗だ。二人の交際を認めよう。新米彼氏彼女初心者として、ね。(仮)は特例として外してあげよう」
簡単に折れないのもレオナさんのお父さんらしい。
だけど、今日想像していた中で一番の最高の答えだった。
色々予想外な展開に力業すぎる解決方法もあったけど、今言うべきは。
一礼する。
「ありがとうございます。レオナさんのこと必ず幸せにしてみせます」
「ありがと。ママにパパ。私も真白君のこと絶対に幸せにしてあげるよ」
俺に微笑むレオナさんは恐ろしいほどに綺麗だった。
レオナさんが俺の手を握り、初めて指が絡められ、強まる。
彼女の愛は俺が想像しているよりも――鮮烈で、強烈で、苛烈で。
激しく燃え盛っているのかもしれない。
少し前にレオナさんが自分の性格に思い悩み、迷走した時に言ったことがあるけど。
太陽が照りつけるサバンナを元気に走り回って、狩りをして、仕留めた獲物を食べちゃうライオンの中でも。
獅子王レオナさんは本当に百獣の女王様なのかもしれない。
そして時にツンギレ……モードになるのかもしれない。
〈GoF〉で離婚した時みたいに。
レオナさんをガチギレさせてはいけないとも理解した。今後気をつけよう。
もちろん俺の気持ちは変わらない。
だって、普段見られないメガネ姿は知的なのに可愛いし。
自分で思うより俺はレオナさんのことが大好きで、とてつもなく惚れているみたいだ。
「――デス美さん。一部始終は撮れていますか?」
「もちろんですわ。バッチリデス美ストレージに記録されていますわ」
「グッジョブです。ではまた従者の皆さん宛てに、推し推し上映会の開催のお報せを配らなければなりませんね。ああ……尊み……」
……なにか背後で不穏な会が催されるのが聞こえた。
え? また? ということは以前にも?
ってことはつまり、体育祭の一部始終とかも?
息を吐く。
本当に……レオナさんの世界は、俺の知らないことで満ちあふれているな。
 




