第86話 推しを、推して、推していきたい
ガラガラと台車が音を立てて、デス美さんのメインサーバールームに入る。
「真白様、ここなら安心安全ですわ。もう出て大丈夫ですわ」
「分かりました」
スニーキングダンボール試作五号から出る。
メインサーバールームというだけあって、サーバーが収められた筐体が何台も並び、少しひんやりしている。
レオナさんからウサミミフードのパーカーを借りて正解だった。
「三毛さん、ここまで運んでいただきありがとうございました」
「いえいえ。いい運動になりました。それに真白様を運んだのはレオナお嬢様より先ですから。少し自慢できちゃいますね」
三毛さんはしたり顔で言った。
「レオナさんもいつか運びたいと言うかもしれませんね」
ゲームのちょっとしたミッションをクリアした感覚で、三毛さんとも少し親しくなれた気がする。
「レオナさんの方は……どうなっていますかね。お父さんは機嫌よさそうでしたけど」
あの様子をみると今日は家族水入らずで、邪魔をせずにこのまま帰った方がいいのではという思いが強くなっている。
本当に久々に一緒にいられる日だろうから。
「真白様、一つ問題を出してもよろしいですか?」
「今、ですか?」
デス美さんがドローンを傾け、頷く真似をする。
「ええ。以前にも告げたとおり現在のワタクシの最優先事項はレオナお嬢様のサポートですわ。でも、初めは違う目的でマスター――迅様に生み出されたのですわ。ヒントは今日見てきた中にありますわ」
今すべきことなのかと思いつつも、デス美さんのいつになく真剣な声を聞いて考える。
「警備とか……自動運転制御に、配膳ロボ……システム管理、とかですか?」
「ぶっぶー、全部違いますわ。正解は」
デス美さんは俺の頭を一周回ってから告げる。
「猫語翻訳AIですわ。猫と人を繋ぐもの。ディルパスヴィニア――それがデス美の初期登録名でしたわ。マスターは幼いレオナお嬢様が寂しくないようにと、三匹の赤ちゃん猫を飼い始めたのですわ。
今度はレオナお嬢様が語尾ににゃーとつけ始め、まずいと思ってワタクシを生みだしたのですわ」
「そう、だったんですか。じゃあ、猫……もち太郎さん、プリ子さん、ごま萌さんの言葉が分かるんですか?」
「ぜーんぜん分かりませんわ。今もなんとなーく声の波長で察するくらいですわ。むしろネコパンチを避けるのに必死ですわ」
正解に困惑しながらも、やっぱりデス美さんの意図が見えない。
三毛さんはただ静かに聞いているだけだ。
「だから代わりにレオナお嬢様の翻訳……話相手になりましたわ。
そしてため口生意気お嬢様に成長した頃、ディルパスヴィニアが長いと言い始め、ワタクシはデス出州美に登録名変更を余儀なくされ、猫たちも変な愛称をつけやがってくれたのですわ」
「本当にずっと一緒だったんですね」
「バグと思えるくらいに影響されてしまいましたわ。まーあ、今では? ワタクシをモデルにした妹たちが獅子王グループのAI事業の根幹となって頑張っておりますわ。
〈GoF〉の管理AIのティニアもその一つですわ」
「なるほど。じゃあ、デス美さんは彼女たちのお母――」
「真白様! AIにも乙女心があるのですわ! 母ではなく姉! ビッグシスターな感じでお願いしますわ!」
「は、はい! すみませんでした!」
デス美さんがずずいと近づいて、プロペラの駆動音が怖い。
「分かればよろしいのですわ。さ、真白様。こっちに」
そして今度は奥へと案内される。
「マスターはAI研究の第一人者でもありまして。未だに反AI派の声は根強いですわ。いつ私たちが人類に牙を剥くのかと。だからこそ私は、私たちは人のよき隣人となるべく学ばねばなりませんのですわ。
うんざりするくらいレオナお嬢様といますが、未だに人の心の全容を完全に理解するには至っておりませんわ」
一番奥には一際大きく、頑丈で、厳重にロックされた筐体があった。
これがデス美さんの本体、ってことなんだろうか。
「だから、真白様にも協力してほしいのですわ。レオナお嬢様との恋路。側で最期まで。見届けさせてほしいのですわ。その時に、きっと人を理解できる気がするのですわ」
デス美さんはその前で、俺に向かって静かに願った。
……なんとなく、デス美さんは俺たちのことを応援、励ましてくれているのだと分かった。
「ありがとうございます。俺もレオナさんといられるように頑張ろうと思います」
「ええ、ええ! 真白様ならその言葉を告げてくれると計算していましたわ! ふふふ! では! 殿方のホットスポットに失礼ごめんあそばせですわ!」
「え?」
デス美さんのドローンが機敏な動きをし、俺のスラックスのポケットに近づき、コードを差し込んだ。
そこにはスマホが入っていたはずだ。
「はいミッションコンプリートですわ! デス美SOSエマージェンシーコール並びにドキドキトーク、アンチウィルスアプリをインストールさせていただきましたわ!」
デス美さんがコードを収納し、高らかに宣言した。
急いで自分のスマホを確認する。
確かにピンクの猫マークのアプリが三つ増えてる。それぞれデス美EMC、デス美ドキドキトーク、デス美バスターと名付けられている。
「手始めにデス美ドキドキトークを起動してみてくださいですわ」
言われたとおりにデス美ドキドキトークを起動する。
するとスマホの画面が暗転し、
「この度はデス美アプリシリーズをインストールしていただき、感謝感激雨あられですわ! これでいつでも真白様のデバイスにアクセスできますわ!
サイズもリーズナブルで容量はとりませんのでご安心をですわ! 本体がシャットダウンした時も避難先として使えますし、一石三鳥くらいの価値がありますわ!」
ピンク髪の猫耳……幼女? ワンピースもピンク色で、尻尾が二つある。妖怪の猫又みたいな子が現れた。
俺はドローンとスマホの画面を何度も見る。
「この女の子がデス美さん?」
「そのとおりですわ! レオナお嬢様とこの先も共に歩いて行くのなら必要になりますわ! 危険だろうが、困難だろうが! アプリ一つで超加速カタパルトでお空からビークルデストロイモードで即参上! どこでもデリバリーなお助けに参りますわ!」
アプリ画面のデス美さんが楽しげに猫ダンスを踊り、ドローンがその動きに連動している。
俺のスマホに潜入できたことがよっぽど嬉しかったのかな。
驚きはある。
でも、また一つレオナさんとの繋がりが増えたみたいに思えて俺も嬉しい。
「はい。その時がこない方がいいと思いますけど、もしもの時はよろしくお願いします」
「そう仰るのなら、敬語はおやめになさってくださいですわ。そーしたら本来なら年会費10万円のところを永久無料体験版にしてあげますわ」
「分かったよ。その時はお願いします」
「ガッテンショウチですわ。あっ」
デス美さんが手を口に添え、小声で喋る。
「もちろん真白様のプライバシーは保証しますわ。真白様がむふふなコンテンツを見ようと、デス美は知らぬ存ぜぬを貫き、レオナお嬢様にぶっちゃけませんので思う存分楽しんでくださいですわ。ではではーご用命がある時までさよならですわー」
勝手にデス美ドキドキトークアプリが終了した。
……やっぱり危険なアプリでは?
でもアンインストールしても知らない間に再インストールされてそうだ。
「真白様、おめでとうございます。これで真白様も獅子王家の一員となった言っても過言ではありません」
黙って見守っていた三毛さんが拍手をして言った。
「どうなんでしょう。さすがにそこまでの自信はまだ……」
「ならば、僭越ながら私も一つ申しあげます。真白様、今日迅様と会っていただけないでしょうか?」
まさかそういったお願いをされるとは思わず、返答に困る。
「迅様の親バカっぷりにも限度というものがありますから。度が過ぎるのもいかがなものかと。そろそろ子離れが必要な時期なのです」
「そうですわよねー。さすがに娘の罵倒ボイスを無限ループをするのはやべーですわよねー」
「はい。やべーです。レオナお嬢様も高校生ですし。いつ我慢の限界を越えて、児童相談所に駆け込むか分かりません。それは非常に困ります」
「全くですわ。過保護すぎる弩級の親バカCEOなんてスキャンダルで獅子王グループのトップが辞任なんてやめてほしいですわー」
「本当です。私も職を失いたくありません。これからもレオナお嬢様の可愛く美しく成長していく尊さを見届けたいのです。もう血生臭い戦場には戻りたくないですから」
「ワタクシも妹たちが電子の海をたゆたうのは勘弁願い下げですわー」
なんだかメイドさんが休憩室でする愚痴大会になっているような……。
男の俺が割り込める空気じゃなくなっている。
「まあ、そういうわけですわ。レオナお嬢様も本当に大嫌いなら父の日にあんなプレゼントを渡しませんわ。まだまだひよっこ子どもなんですわ」
「ええ。今日が関係改善の絶好の日和なのです。迅様とレオナお嬢様が歩み寄る好機なのです。これは獅子王家に仕える者たちの総意でもあります。というわけで、真白様。いかかでしょうか?」
急に話を振られたけど、ここまで言われては黙って引き下がるわけにはいかない。
「分かりました。ただ一度レオナさんと話してからでいいですか? デス美さん、レオナさんに連絡をとることってできる?」
「ふっふー! そんなのクソザコウィルス野郎を駆逐するより楽勝ですわ! しばし、お待ちをー」
すぐにスマホに着信が入る。
相手はもちろんレオナさん。
「真白君、どうかした?」
「ちょっと話したいことがあって。今、一人?」
「うん。その、トイレにいるよ。も、もちろん電話するためだからね!」
顔を赤くしてるレオナさんがすぐに想像できた。
でも、想像はほどほどに。
「お父さんの様子はどう?」
「まーうん。家族団らんルームでくつろいでる。機嫌はいいよ。でもさー、聞いてよ真白君!
私が父の日にプレゼントしたクソダサトレーナーをマジで着てくるとは思わないじゃん! しかもパパったらディスプレイケースにいれて部屋に飾ってるんだよ! マジでキモいでしょ!」
……レオナさんも俺のイラストをグッズ化して部屋に飾ってるよね? 人のことは言えないんじゃ、と口に出したら荒れてしまうから黙っておこう。
「そっか。レオナさん」
「ん? なーに?」
「やっぱりレオナさんのお父さんに今日、会っちゃだめかな?」
会話が、途切れる。
少し待ってから、話を続ける。
「顔を合わす機会がないだけならいいんだ。でも今日はレオナさんの家にお呼ばれされて。告白して恋人になれた。
それは決して隠すような関係じゃないって俺は思ってるから。もし今日隠れて、隠してしまったらさ。この先もずるずる隠して、今日のことを悔やむんじゃないかなって」
スマホ越しに聞こえるのはレオナさんの息づかいだけだ。
それでもちゃんと聞いてくれてるって分かる。
「大反対されても俺は諦めないよ。俺は認めてもらえるまで頑張るよ」
だから。
「……彼氏の初めてのわがまななお願い、聞いてくれるかな?」
「……ずるいなー。真白君のそんなお願い。聞くしかないじゃん」
「ありがとう、レオナさん。またあとで連絡するよ。一緒に行こう」
「うん。待ってるね」
スマホの通話を切る。
「いい……青春、いい……尊さを拝見させてもらいました」
三毛さんがハンカチで涙を拭っていた。
「ワタクシのデス美ストレージにもまた新たなメモリーが記録されましたわ」
デス美さんも楽しそうにドローンで旋回してる。
俺は恥ずかしさを笑ってごまかした。
「服は……乾いていますかね」
レオナさんの家に行くとあって、清潔感のある服を選んで正解だった。
洗濯も結果的に綺麗になってまた正解。
「いえ、真白様。レオナお嬢様から頂いたウサミミフードのパーカーでいきましょう。彼ピアピールです」
三毛さんの助言に戸惑う。
「さすがに挨拶するのにこれはカジュアルすぎませんか?」
「時には荒療治も必要なのです。最善の戦略を用い、最高の戦術を駆使し、最大の戦果を上げる」
三毛さんが拳をグッと握りしめる。
「今回は電撃戦です。戦うのなら迅速に敵陣に食い込み、容赦なく、完膚なきまでに徹底的に潰す……という設定です。ええ、設定ですよ? 要はインパクトが大事なのです」
「そう、なんですか?」
「三毛様のいうとおりですわ。大丈夫ですわ。迅様よりレオナお嬢様と真白様を推せるー派が圧倒的大多数ですわ。超豪華クルーザーに乗った気分で参りましょう」
「分かったよ。これでいこうと思います」
レオナさんを支えてくれる人とAIに俺も背中を押され、頷く。
俺たちはまた地上へと向かった。




