第48話 変わっていく距離感
「鷹城さん! 今日はありがとうございました! また別のコス着させてくださいね!」
「お先に失礼します」
「二人とも気をつけて帰るんだよ。体育祭、応援してるよ」
鷹城さんに見送られて武琉姫璃威を出る。
「あれ? デス美さんはまだ迎えに来てない?」
周辺を見回しても四脚ビークルは見えず、元気いっぱいな声も聞こえてこない。
「あー……うん。たまには電車で帰ろうかなって。学生として時には社会の荒波に揉まれないとダメだと思うんだよ」
髪の毛を弄りながらボソッと呟く獅子王さん。
明らかに声がトーンダウンしている。
別にデス美さんに乗って帰っても問題ないし、学生の身分を気にする必要なんてないのに。
だけど、獅子王さんには思うことがあるからだろうし、変に指摘するのも野暮だ。
「なるほど。じゃあ、駅までは同じ道かな」
「うん! 早速帰ろー!」
声に明るさが戻り、獅子王さんが一歩踏み出した。
やっぱり俺が変に気にしていただけかな。
自転車を押して、邪魔にならないように隅っこを歩く。
「うーむ。兎野君サイズだと自転車も大きいよねー」
数歩前に進んだところで、獅子王さんが俺の自転車に興味を示し、
「ちょっと乗ってもいい?」
また難しいお願いをしてきた。
「さすがに危ないんじゃないかな?」
「もちろん分かってるよ。ちょっと乗るだけ。こがないからさ。ダメ?」
両手を合わせて上目遣いで頼み込んでくる獅子王さん。
「まあ……乗るだけなら」
そんな風に言われてしまったら断れない。
つくづく甘いなと思いつつ、自転車を止める。
「抑えておくから暴れるのはなしだよ?」
「兎野君? 私のことデス美みたいな暴走マシーンだと思ってない?」
「……思ってないよ」
「怪しいけど、いいでしょう! 信用します!」
獅子王さんは俺のあやふやな言葉を信じてくれた。
今は自転車の方に興味があるから深く追求はされずにすんだ。
「お、おおー……! これが兎野君が見ている景色かー」
すぐさま自転車に乗った獅子王さんが前を見て呟く。
嬉しそうな声にホッとする。
ただいつバランスを崩して倒れないか心配で、抑える力を適度に調節する。
「うん、満喫ー。兎野君ビジョン、堪能させていただきました。そして、問題が」
獅子王さんの笑顔が固まり、俺を見た。
「問題? どうかした?」
「足が届かないわけですが」
獅子王さんの足下に目をやる。ペダルにはギリギリ届いてるけど、地面にはほど遠い。つま先まで伸ばした足が不安そうに揺れている。
予想していたことが現実に起きてしまった。
「どうやって降りれば……跳ぶ?」
「跳ぶのは危ないから。ゆっくり横に倒すから、足をつけてくれる?」
「ご、ごめんね。お願いします」
ハンドルと後輪を抑えて、ゆっくり倒していく。
獅子王さんの足が地面に着いたのは見届け、ホッとする。
よかった――と思った瞬間、胸を中心に軽い衝撃が広がっていく。
獅子王さんが俺の胸に手をつき、見上げていた。
「……大丈夫?」
思わず目をそらして、分かりきっていたことを聞いてしまった。
今までよりも遙かに近い距離で。
俺にとって慣れていない距離だったのもあるけれど。
それ以上に獅子王さんだから驚き、ドキッとしてまったんだと思う。
「う、うん。大丈夫、だいじょーぶだよ」
胸の辺りから暖かさが消え、獅子王さんが離れたのが分かった。
名残惜しいとも思えたけど、そんな欲張りな考えは押さえ込む。
「ごめんね。私ももう少しスタイルよければ、兎野君の手を煩わせずにすんだのにねー」
「謝らなくていいよ。身長はともかく、獅子王さんのスタイルが悪いなんてないよ。モデルとしてデッサンしても映えるだろうし」
と、口に出してからハッと気づく。
余計なことを口走ってしまったんじゃ?
それだけ獅子王さんとの接触が俺にとって強烈だったのだ。
「あ。今のはその、お世辞じゃなくて素の感想で。他意はないんだ」
「そ、そっか。他意はないんだ?」
他意がないのも問題じゃないか?
「だから……あまり食べ過ぎないように?」
「思わぬところから刺客!?」
獅子王さんが思わず驚いた。
「分かってるよー! 体育祭前だし、食事制限はちゃんとしてるから一日三食! おやつはちょっとだけにしてるし!」
「うん。食べないのも身体によくないしね」
……本当におやつはちょっとなのかは気になるところだけど。
「あ! 信じてないでしょ! マジで一日300円制限してるから!」
「300円でも毎日だとそこそこの量にならない?」
「いやいや! 日々の応援練習でカロリー燃焼してるからむしろマイナスだし! 体重グラフは確実に下がってるから!」
自転車のスタンドを上げ、並んで歩き始める。
さっきまで気恥ずかしさは消え、いつもの空気に戻っている。
「兎野君はさー。おやつ――お菓子なら何が好き?」
質問を受け、考える。
「じゃがぽりかな。スティック系の堅めのやつ」
「分かるわー。無心でぽりぽり食べちゃうよねー」
獅子王さんが共感して笑い、
「ほら! じゃがぽりだって300円に収まる範疇! 私が食べてるのはそのくらいの量だから!」
強引すぎる説得を試みてきた。
「うん。分かってるよ」
「分かってるようで、分かっていない感じ。兎野君、さては最近じゃがぽり成分を摂取してないな?」
「そうだね。食べてる時間がないって言ったほうがいいかな」
「ストイックだなー。でも、そんだけマジでガチってことだもんね。私のおやつ300円分の甘さだなんて茶化せもしない。レベち」
「誇るようなことでもないしさ。人それぞれだと思うよ」
本当に誇ることじゃない。あくまで俺個人のケジメでもあるのだから。
「獅子王さんだって応援団、競技の練習、用具や看板とかの準備も手伝って。忙しさが俺とは全然違うしね」
顔が広い分も頼られたり、何かと声をかけられたりする頻度が多い。
それでも獅子王さんは一切断らずにやってしまう。見ていて大変そうだと思う。俺も手を貸せたらと思っても、なかなか役に立てないでいる。
変に周りを萎縮させて、作業を遅らせてしまう可能性だってあるし。
「ま、帰宅部で暇人だからね。こういうイベントで張り切って貢献しないとダメなわけですよ。そういう意味じゃ、同じ部員として兎野君の活躍。期待してるぞ?」
「頑張ります」
体育祭の話は学園でもしてるけど、話してないことがまだまだあるんだと思い知る。
「……あ。もう着いちゃった」
それも獅子王さんの言葉を聞いて、終わりなのだと知らされた。
明るい街灯に照らされた駅前に辿り着く。
じゃーあ、と獅子王さんが駅の方に一歩跳びはね、振り返る。
「兎野君! また明日ー!」
「また明日。気をつけて帰ってね」
「兎野君もね! 暴漢にはくれぐれも気をつけるよーに! 危ない時はいつでも連絡していいからね!」
「獅子王さんもね」
まあ、俺よりもデス美さんに連絡した方が心強いだろうけど。
りょ! と獅子王さんが敬礼し、歩き始める。
獅子王さんの姿が駅の構内に消えた後、視線を落とす。
スマホを操作し、先ほど武琉姫璃威で撮った写真を見る。
獅子王さんの明るい雰囲気にあった眩しい笑顔。
いつまでも色あせることがないように輝いている。
比較して俺の表情は硬いし、影があって暗く感じる。家族で撮った写真と比べてもぎこちない。
やっぱり怖い、な。
自分の顔ながら怖いと思ってしまう。
長々と見ていると胸が苦しくなる。
それでも、いつか……いや、体育祭までにはもう少し自分を受け入れられるようになって。
次は獅子王さんと同じくらいに笑顔で写真を撮れたらいいな。
そんな欲張りなことを考えながら、自転車をこいで帰路についた。
◆
体育祭も明後日に迫り、学園中がより慌ただしくも賑やかになってきた頃。
「なあ、兎野さ。明日暇か?」
休み時間に安昼君が尋ねてきた。
明日は土曜日で、体育祭の準備に参加する人以外はお休み。準備自体は今日でほぼ終わっている。明日は設営くらいのはずだ。
俺は手伝いに呼ばれていない。
最後の練習と調整をしたいと思っていたから、ちょうどよかった――なんて空しい言い訳をするくらいには暇です。
「……暇だけど、どうかした?」
「なぜそんな悲しい顔を……。まあ、とにかく暇か。ならよし。リレーメンバーで親睦会をしようと思うんだが、どうだ? 既に根津星と瑠璃羽には声をかけてオッケーをもらってる」
親睦会。
俺には縁遠い言葉だ。どんなことをするのか想像が難しい。
あ、でも〈GoF〉の〈スイパラ〉のギルド狩りみたいなものなのかな……?
ダンジョンで狩りをしながらだらだら喋って遊ぶ感じの。
安昼君のことだし、俺のことを気遣って提案をしてくれたのかもしれない。
リレーでの俺はこの期に及んで全力を出せないままでいる。
……それに邪な考えではあるけど、男友だちと遊ぶのも何年ぶりかというレベルだ。純粋に嬉しい気持ちがあって断りたくない。
「うん。いいよ」
「よかった。運動できる服装で……体操服を持ってきてもいいぞ。明日10時郷明駅集合な」
安昼君が爽やかな笑みで、不思議なことを言ってきた。
「運動? 体操服? どういうこと?」
「どうもこうも。親睦会って言っただろ?」
何を言ってるんだ? と安昼君は俺以上に首をかしげる。
忘れていたけど、安昼君も水泳部で体育会系だ。
俺が想像している親睦会と違うことはハッキリしていた。




