悪役令嬢デビュー当日
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「もー、登校初日なのに寝坊しちゃうなんて!」
シャロットは盛大な独り言で自分を呪いながら、慌ただしく朝の身支度を進めた。
寝坊と言っても始業には間に合う時間だったのが幸いだが、食堂で軽い朝食が出ると聞いていたのに顔を出せないことが心残りだった。
(入学式の日から準備してくれてる食堂のおじさんに、挨拶だけでもしたかったな…)
そのために遅刻する訳にもいかないと、シャロットは諦めて自室からまっすぐ寮を出て、敷地内にある学校へ向かった。
結果としておとなしく食堂に寄っていれば、始業ぎりぎりまで校内で迷子になることはなかったのだが、
無事に始業式の行われる大講堂に時間通り到着することはできた。
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(すっかり夜が明けたわね)
「んあ…寝てた…明るい。じゃああと1時間くらいで着くかしら…あわぁぁあ」
(寝てていいのよ、サイティ。あと1時間は着かないから)
「そうする…ジブレーはまたそれ読んでんの?眠くないの?てか酔わないの?はわあぁぁ…」
(幸い、馬車と違って列車は酔わないみたい)
ジブレーはすっかり内容を覚えた本を閉じ、車内の窓際にある読書用ライトを消した。
(眠くなくはないけど…いよいよ本番、と思うと何だか読み返したくなって)
「んー… そうね、初等部は家庭教師みたいなもんだったし、いよいよ学園生活本番だもんね」
「ふぁ…」
サイティにつられてあくびが出た。
はしたなかったかもしれない、とジブレーは周りを見回したが、車両ごとカルヴァドス家が貸し切っているため、ジブレーの後ろに侍女と護衛が座っているだけで反応もなかった。
「…」
明るくなった景色が車窓から流れていくのを眺めていると、列車が停車した。
列車というのは初めて乗ったが、この世界は以前の世界との差が色々と興味深く、ジブレーは大変満足していた。
魔法がある世界といっても、日常生活すべてが魔法で回っている訳ではなさそうだ。
ジブレーは実家にいた頃から、魔法の勉強だけはしたことがなかった。
そのため、自分に魔法が使えるのかどうかすら分からないまま魔法を学ぶことに不安を感じていた。
(それでも、自分で選んだのだから、最善を尽くすだけ)
腹をくくれば不安も少し和らぎ、侍女の案内を受けて駅の改札を抜けた。
駅前の広場は他にも列車で登校した生徒達とその家族、従者で賑わい、目の前には学校の案内板が立っていた。
【校内案内図】
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校舎→学生寮
↑
↑左:大講堂
↑
↑右:食堂
↑
↑右:駅前広場
駅
「入学生のみなさんへ:大講堂へ10時に集合してください」
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「もう学校の中なの…?」
「はい。この駅は学校に行く人しか使用しないため、駅と学校が直結しております」
ジブリーが思わずもらした声に、後ろから侍女が答えた。
「なるほど、そうなのね。 …?」
(サイティ?)
そういえば先程からサイティの声がしないことに気づいた。
視線を巡らせても姿がないことを訝しむジブレーに、侍女が続けた。
「お嬢様、私共はこの駅前広場までしか立ち入ることができません。講堂は真っ直ぐお進みいただくと左手に見えて参ります」
「あ、ええ。ここまでご苦労様」
「勿体無いお言葉でございます。それでは失礼致します」
いつも近くにいるサイティが見当たらず、何となく落ち着かない気を逸らすように、ジブリーは講堂へ向かった。
「あら…?」
講堂でのガイダンス後、ジブレーは人混みに少々酔ってしまい、他の生徒が寮に移動し終わったころに講堂を後にした。
学生寮で行われるガイダンスまで時間があるため、気晴らしがてら校内でも散策しようかと思っていたところ、見るからに困った様子でふらふらと駅に向かって歩く少女が見えた。心細そうな様子がサイティのいない自分と重なり、思わず声をかけた。
「あなた、駅に用事があるの?」
「へっ?」
振り向いた少女の長い金髪が、昼間の陽光を反射して輝くように揺れた。腰までかかる髪はふわふわで、涙目に潤む姿は小動物のような雰囲気があった。
「そちらは駅でしょう。あなたは入学生ではないの?」
「あっ、はい、入学生で…寮に行きたかったんですけど、迷っちゃって…」
(迷う?)
ジブレーは先ほど校長に案内された校内の位置関係を思い出した。
(大講堂の向かいが食堂で、その隣が寮、というか講堂から寮は見えていたような?)
もっと言うと、二人の立つ場所には校内案内板が立っていた。
「あなたは、文字が読めないの?」
入学生の中には色々な立場の者がいると聞いていたので、中には文字を習う前の生徒もいるかもしれない。ジブレーは、それなら自分が読めるので寮のガイダンスでも色々と補足ができると思い、尋ねた。
「ひっ、あの…えと、すみません、平民なもので…!」
金髪の少女は責められていると感じたのか、顔を赤くして今にも涙がこぼれそうな様子だった。
「文字が読めないなら君が案内すればいいだろう」
ジブレーが声の主を見ると、同じく入学生と思われる少年がこちらを見ていた。
「あっ! お、王太子様!?」
わたわたと慌てる少女を、少年は手で制した。
「あぁ。この学園では身分など関係ない。タリスと呼んでくれ。それより…なにをしていたんだ?」
タリスは鋭い目でジブレーの方を見た。
「この方がお困りのようだったので、声をかけさせていただいたところです」
「ふぅん? それで、なぜ字が読めるかどうか聞く必要があるんだ?」
(え?それは、目の前に道案内が書いてあるのに困っていたから…)
ジブレーはそう思ったが、確かに初対面で道に迷っている人に聞くべき内容ではなかったのかもしれないと不安になってきた。
「やめてください! このかたは悪くありません!私が11歳にもなって字も読めないのがいけないんです!」
「君は…えぇと」
「はっ、すみません、私シャロットって言います。気にかけていただいたのはありがたいですが、私が悪いだけですので… それでは!」
シャロットは顔を真っ赤にしながら勢いよく礼をし、学生寮と反対の方向へ駆け出した。
「あ! そっちは駅だぞ、待つんだ!」
タリスは走っていくシャロットを追いかけていき、その場にはジブレーだけが残った。
「…」
ジブレーに分かったのは、自分が何か失敗をしてしまったらしいということだった。
(サイティに甘えて、私は人との関わり方をしっかり考えてこなかったかもしれない)
大公領にいた頃は、父の堕落を阻止することには尽力したが、人とどう接するか考えたことはなかった。
連鎖的に思い出されたのは、今朝、従者と離れるのを寂しがって泣いている新入生の姿だった。従者の方もハンカチで涙を拭っていた。
(私の侍女は… 私の前で泣いたことも、笑ったこともないわ…)
ジブレーは、自分なりに正しいと思ってした行動で相手を怯えさせたり、きつい目で睨まれたりしたことにショックを受けていた。
ただ、他人の目に映る彼女は無表情で、冷たく近寄りがたい存在だった。