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移民者の観察

ある日、シュガールの夫が捕まった。


何かの間違いだ。彼は愛国心をもって国に尽力してきた立派な帝国民だ。


そう信じていた妻は面会に呼ばれ、帰って来なかった。


残された娘は児童養護施設に連れていかれた。



夫の方はすぐに見るのをやめた。妻の方を見ていたが、優生思想の行きつく先は一つだった。

珍しい力があったから勿体なかったけど、この国だと魔法は前時代的なおとぎ話みたいだから仕方ない。


妻が残った娘をずいぶん心配していたから、彼女の希望通り見に行くことにした。


-----


ユーリアが家族を失った時は赤子だったため、寂しいときに思い浮かべる両親の顔を知らなかった。


それよりも彼女は、目先の空腹や暑さ寒さから逃れるために、適切な振る舞いを身につけることに頭を使った。

一方、手入れを怠ったくせっ毛で顔を覆い、誰も使わないような傷だらけの眼鏡をかけ、夜に呼ばれる対象とならないよう心掛けた。


努力はおおむね報われていると、彼女は思っていた。

ある朝、妖精のような生き物に話しかけられるまでは。



「ぼく、ビーショウっていうの。きみにしか見えないから、変な子って思われたくなければ気を付けて」


「…」


歯を磨きながら、ユーリアは目だけを左右に動かした。誰もこの生き物を気にする様子は無かった。

余計なことを考えない習慣が身についていたユーリアは、朝の支度を続けた。


「言う通りにしたら、きみの人生が変わるよ」


(私の人生は決まってるし、変わる必要なんて無い)


「ほんとにぃ?こんな生活、ありえないよ」

「…!」


(言ってないのに!)

ユーリアは混乱したが、身体はつつがなく歯磨きを終えて身支度に入った。


「言ってるじゃん。声にしてないだけで」

(何で?おかしくなっちゃったの?私)


ユーリアは、つい手を止めて妖精のようなものに視線を移してしまった。


「まぁまぁ。損する訳じゃないから話を聞いてよ。それから判断したらいいじゃない」


それが始まりだった。


-----


ビーショウの言う通りにしたらすべてがうまくいった。


ユーリアの待遇は見る見る改善された。

塀の中の自由ではあったが、彼女は他の子ども達より格段に特別な存在となった。


はじめは半信半疑ですらなかったユーリアも、いつしかビーショウの言う事ならすべて信じるようになった。


変化は他にもあった。

魔法に懐疑的だったはずの院長は、魔法学校からの入学案内に色気を出した。


ユーリアが14歳を控えた冬、養護施設の職員とともに、その怪しい学校を見学することになった。


「フラグ回収が足らなかった」とビーショウはこぼしたが、ユーリアは職員が自分を心配してくれたことが嬉しくて、1年次からの入学にならなかったことなど気にも留めなかった。


-----


そこは別世界だった。

叫び声も、暴力も無縁の世界。


ユーリアは衝撃のあまり、いつもは必ず聞き逃さない職員の言葉を聞き返してしまった。

幸いお仕置きを受けることは無かったが、内心では背筋が凍る思いだった。


衝撃と言えば、ビーショウの言葉にも彼女は驚いた。


「つまらない…?」


(どうして? みんな楽しそうよ。仲良しみたいだし)

声に出ていたことに気付いて、ユーリアは心の中でビーショウに問いかけた。彼女にだけ見える生き物は、ぶんぶん彼女のまわりを飛びながら口を尖らせた。


「だからつまんないんじゃん。こんなのフツーすぎ」


ユーリアは「普通」の意味が分からなかった。少なくとも、目の前に広がる光景は自分にとって普通とはかけ離れていた。


(まぁ、ビーショウの言うことはいつも間違ってないもんね)


「そうだよ!今からでも何とかしなくっちゃ」


-----


「そのためには私には役目があったんです。他の人にも」

「…」


ユーリアの話はジュラにとって、予想以上に理解が難しかった。


「その役目って、シャロットを殺すこと?」

「それは…えぇと…最初はそうじゃなくて、ただ退学すれば良かったんです」

「退学? ユーリアが?」


ジュラはますます理解に苦しんだが、ユーリアの話を遮る気は無かった。

彼女は記憶を辿りながら、ぽつぽつと言葉を続けた。


「はい。でも色々と想定外のことが…そもそも、テラシアが…学校にいるはず無くて」

(確かにテラシアの編入は急きょ決まったんだよな)


ユーリアの話は基本的に意味が分からなかったが、たまに妙な説得力があり、ジュラを困惑させた。


「だから、テラシアを見た時、驚いて…ジブレーも、部屋に引きこもってるって聞いてたのに、様子もおかしいし…」


ジュラは余計なことは言わず、ユーリアは話を続けた。


「それでビーショウは、シャロットがおかしくなってるって言ってて…」


(そのビーショウっていうのがよく分かんないんだよな)

彼女は幻覚を見ている。ジュラはそう考えるしかなかった。


それにしては不自然な部分もあったが、何でも知っている妖精がいるという事実よりは自然だった。



「みんなシャロットを憎んでるって…ジブレーが退学しないから、そしたら、私がやるしかないって…」


「でも、どうしてもできなくて…」


「そしたら、ビーショウが私の代わりに自分がやるって…」



ひと通り話を聞き終えたジュラは、記憶が飛んだり、前後したりしている部分を整理する時間が必要だった。


「それで、目が覚めたらここにいたんだ」

「ごめんなさい…」

震える声で話を終えた彼女の声が、重苦しい空気の室内に漂った。



「もう間に合わない」

しばらく無言の時間が続いた後に、ユーリアがぽつりと呟いた。

それが決壊のきっかけだったように、彼女は思い詰めた表情を崩し、身体を屈めて涙を流した。


「こんなの言い訳でしかない。ぜんぶ私が…私がやったんです」


そこから先はほとんど言葉にならなかった。

それでも、ずっと謝り続けていることだけは、ジュラにも分かった。


「ユーリア。まだ大丈夫だよ。誰も死んでないし、シャロットも、君に死んでほしいなんて思ってない」

「だめですっ、うっ…こんなやつ、ここにいちゃいけなかったんですっ」


ジュラは立ち上がると、小さな体でユーリアを抱き締めた。

ユーリアは縋りつくようにジュラの白衣を握りしめ、声を詰まらせながら、絶え絶えに告白を続けた。


「今さら、あの国に戻るのが怖かった。役目を果たせば…卒業してからも自由だって、でも、でも…」


(役目って言葉を何回聞いたろう)

ジュラはもう一人、役目にとらわれている者を知っていた。

しゃくりあげるユーリアは震えていた。ジュラはその背中を優しく叩いた。


(…どうして子どもなのにそんなことばかり考えなきゃいけないんだ。この子なんて王子でもないのに)


少しずつ、ユーリアが落ち着きを取り戻しはじめた。


「…今は分かります。そんなことして自分だけ自由になるなんて許されない。誰とも…友達になんてなれない。収容所でも他の子を犠牲にしてきたズルい奴なんです」

「ユーリア」


自分を守ることが誰かを傷つけることだとしたら、それを責めるのは酷なことかも知れない。

それでも、彼女は彼女が許せなかった。


「ごめんなさい…それなのに…楽しかったんです…テラシアと、刺繍の話して、シャロットのドレスを作って…」


子ども同士が、好きなものの話をして、当たり前に朝が来る世界。

それがユーリアの祖国に無いことは明らかだった。



やがて涙も止まり、ユーリアはジュラから身体を離した。


檻で眠ると聞かないユーリアが眠りについた後、ジュラはガラガーにその場所を任せて校長室へ向かった。


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