残された王太子
「ロウが帰ってこない」
王太子は城内の温室を訪れ、鮮やかな南国の花を眺めた。
後ろに控えた王室警備の男は、彼が信頼できる数少ない人物だった。
だからと言って、存在しない者を警備することはできなかった。
そのため、男は王太子に返せる答えも、提案も持っていなかった。
「…殿下…」
「ごめん。ひとりごと」
(最後に会った人に聞くしかないよなぁ)
とはいえ、迂闊な行動の影響が及ぶ可能性を考えると、すぐに動くことは難しかった。
かつて何も知らなかった王太子は、国外の学校に通うことで自国が普通とは違うことに気付いた。
王室に双子が生まれることも、一人ひとりに名前があることも、何らおかしいことではなかった。
(そしたら、僕達は何を諦めてきたんだろう?)
王太子は胸に重苦しさと気持ち悪さを感じ、近くの椅子に腰掛けた。
ため息をついた時、ふと甘い香りに気が付いた。
「あ…咲いてるね」
「ジンチョウゲですか。もう春ですな」
「ね。昔はつぼみが花だと思ってたよ」
少し気が晴れた王太子はジンチョウゲに歩み寄り、枝先をそっと指で触れた。
「そうでしたなぁ。この花、ずっと咲いてる!と仰って」
「ロウは新芽を取っちゃってカシマにめちゃめちゃ怒られてた」
「…そうでしたな」
「ふふ。枯れなくて良かった」
王太子は懐かしい記憶に笑顔を浮かべながら、艶のある葉を指でなぞった。
(考えてもしょうがない)
「エライ。僕さ、学校に行きたいんだけど良い理由ない?」
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王都にて。
タリスの住居でもある宮殿の会議室では会議が終わったところで、ロウとタリスが残っていた。
「職業紹介?」
ロウの質問を受けて、タリスは有識者達がまとめた、両国間の列車ルートに関する資料を置いた。
「そう。タリスも1年のとき、卒業生から進路の話とかされたんでしょ?」
「あー… 確か大講堂で、卒業生が何人か来て、それぞれ何やってるかを話してたような?」
タリスは11歳の記憶を呼び起こした。
「それ一緒に行かない?」
「何故だ、今さら聞いても仕方ないだろう」
ロウはタリスの転がし方に慣れていた。
「ほら、僕達の進路ってもう王じゃない?」
「あ? ああ、まぁ」
「でもさ、王こそ視野が狭いとだめじゃない?」
「そうだな」
「だから、見聞を広めるためにも、身近な卒業生の話を聞いてみたいなって思うんだよね」
「なるほど…」
タリスの反応は悪くはなかったものの、ロウはもう一押しが必要と判断した。
「ていうかテラシアも出るらしいし」
「何?」
ロウは表情に出さないよう注意しながら、最後の仕上げにかかった。
「そうそう、編入生だし魔法研究所に行ったしで、珍しいから呼ばれたみたいよ」
「あぁ、確かにな」
「ね、食堂のご飯も食べたいし、ちょっと予定確認してみてよ。無理ない程度にね。じゃ!」
「あ… そうだな、確認してみる」
その後、タリスから「都合がついたため学校に行ける」との連絡があった。
「本当にいい友達だなぁ」
簡素な手紙を畳みながら、ロウは友情に感謝した。
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ジブレーは今朝届いたばかりの手紙を持って食堂に来た。
仕事前のリックが彼女に気付き、カウンターから声をかけた。
「おはようございます、何ですか? それ」
「ロウが、来月の職業紹介に来るって、タリスと一緒に」
リックは手にしていたコーヒーを置いた。
「そんな予定は無かったはずですが、急ですね」
「あなたに会いに来たのかしら」
「そう…ですね、それか進路に悩んでるとか」
ジブレーにロウの話を聞いてから、リックは彼が来る日のことばかり考えていた。
決して流された上の決断では無かったが、彼に合わせる顔が無いというのが正直なところだった。
「まさに気もそぞろってやつだね」
「…すみません」
授業を終えて研究室に戻ったジュラはそんな彼を責めるでも慰めるでもなく、昼休憩の時間だと伝えた。
「まぁ資料の整理したいなら止めないけど」
「いえ、外の空気でも吸ってきます」
ジュラは執務机に座り、片付いた机を散らかし始めた。
「分かってると思うけど、あの研究にロウは無関係だよ、一応ね」
「ありがとうございます」
ジュラに調べてもらっていた人間の資源化は実現性に欠け、狂信者による妄想の域を出なかった。
リック自身、あれは王妃の病気が言わせた妄言だったのだろうと結論づけていた。
(ロウは…私が急に消えたことを、どう思ってるだろう)
リックは校舎横のテラスに足を運び、数少ない日よけ付きの席に座った。
眠りが浅かったせいか、軽い昼食を終えたリックに眠気が訪れた。
しばし目を閉じて疲れを癒していた彼に、聞き慣れた声が届いた。
「やっぱりここだった」
思わず目を開いたリックの眠気は消えていた。
「…ロウ」
テーブルの前に立つロウを見て、リックは立ち上がった。
「まずは、その、すみませんでした」
思わず言葉が出た。この罪悪感をうまく言葉にすることは難しかった。
「あぁ、いいよ。亡命って内緒でするものでしょ」
そうは言っても、ロウの口調は怒りを含んでいた。
自分でも何が悲しくて怒っているのか、ロウもうまく言葉にできないでいた。
向かい合って座りながら、二人の目線は合わないまま時間が過ぎた。
どれ程の時間が経ったか知れない頃、ロウが口を開いた。
「いつも、僕には何も言ってくれないね」
「…ごめん」
「僕達、二人でロウっていう役目をするんだと思ってた」
ロウは少しづつ話を続けた。
「そんな訳ないのにね。エライから、ロウが亡命しなかったらどうなるか聞いた」
リックが自分と同じ人生を生きていた訳では無かったことを、ロウはそこで知った。
「…ロウは知ってたの? だから僕を学校に行かせたの?」
「…」
黙ったままのリックは肯定したも同然だった。
その答えを受けてロウが感じたのは怒りだった。
「ロウが死ぬ代わりに僕だけが生きてくなんて… 僕が喜ぶと思った…?」
リックとロウの目が合った。
「あ…そうじゃない、ロウ…」
「ロウ、テラスにいるのか?」
タリスの声が聞こえた。
(タリスと会わせたら面倒くさいかも)
ロウが立ち上がり、去り際に横目でリックを見下ろした。
「まぁ、ついでに顔を見に来ただけだから。元気でね」
一人残ったリックは、テラスを出て校舎へ向かうロウの後ろ姿を見つめた。




