公女殿下の相談(脅迫)
ジュラは迂闊に扉を開けた自分を呪った。
「えーっと…何だろう」
「お久しぶりです先生、突然すみません」
「うん、また新学期に会おう」
話を聞く気が無いジュラを、今日の訪問を有給にしてもらうよう校長にかけあうと約束して何とか引き留めた。
「部屋に椅子が無いから、中庭でいい?」
「そう言う気がして、近くで飲み物も買ってきました」
ジュラは二人を連れて、住民専用の中庭に向かった。
(外からは分からなかったけど、こんなに広い庭があったのね…)
「部屋より庭の方が広いかもしんないわね。庭園のまわりに家がぐるっと建ってるから」
しばし歩いたジュラは、藤の枝や葉がほどよい日陰を作る藤棚の下に置かれた、黒い金属製のテーブルを指差した。
「開花はまだ先だけどここ、落ち着くんだよね」
「壁を伝って伸びている藤は見かけますが、棚仕立てにするのは面白いですね」
「大きい木になると視界が藤色に染まるくらい咲いて、別世界みたいになるよ」
ジブレーは珍しさに藤棚を見上げた。
それぞれの手に飲み物が渡ったところで、ジュラがコーヒーを一口飲んでから口火を切った。
「それで、何があったの」
「わが祖国がいよいよ間引きに乗り出しまして」
「…王太子任命が近いんだよね」
「はい。それで、怖い国だなぁと思って逃げて来ちゃいました」
表情を変えずに話を聞いていたジュラは、そこで彼に目を向けた。
「…一人で?」
「はい」
ジュラは持っていたコーヒーを置いた。
「それで相談なんですが、この亡命少年を先生の助手として雇っていただけませんか?」
「はぁ。 …助手の募集なんて、特に予定は無いけどね」
「お役に立ちますよ?お部屋の掃除に、資料集めに」
彼はジュラの苦手な分野をよく知っていた。ジュラは新学期から彼のいない研究室がどうなるか想像し、やや心が動いた。
「なるほど。でも、君って存在はちょっとリスキーだよね。あえて雇う理由は無いんじゃないかな」
「えぇ、冷たいですね。3年も私と過ごしたのに…」
迷っていたが、ジブレーはそこで手を上げた。
「…実際はもっと長いですよね。先生」
予想外の言葉に、ジュラの瞳が揺れた。
「すみません。個人的な話を…カシマさんのことを知りました。それで、彼が安全なのは…この学校だと思ったんです。先生なら信頼できるとも」
「え、私たちもっと長いんですか? ジュラ」
「君は知らないのか。ややこしいな」
ジュラは両手でコーヒーを持ち直し、ジブレーを見た。
「過去のことを知ったなら、信頼できる人間とは思えないはずだけど」
「いえ、むしろ…先生に相談したい気持ちが強まりました。私は、最善を尽くし続けた先生を尊敬しています」
どうも自分は真っ直ぐな目で見つめられると弱いらしい。ジュラは似たような眼差しで見つめられた記憶が呼び起された。
(この子も変わってるな。それとも、自分の周りに変わった人ばかりが集まるのか)
ひとまず、ジュラには幻の王子が自分の手に余るかどうか、検討する時間が必要だった。
「それはありがたいけど、こっちもスネに傷があるからね。校長に相談してみないと」
ジュラとしてはひとまず彼を一時かくまうくらいはするとして、今後のことはじっくり考えようと提案するつもりだった。
だが、ジブレーから知らされた事実によって、その目論見は立ち消えた。
「あ、実は、助手の件は校長に打診してあるんです」
「おお、準備が良いね。まぁ彼の引き取りを拒否したら無駄になっちゃうけど」
それを聞いて、ジブレーは先程サイティから聞いた事実をジュラに伝えることにした。
「あの…余計かと思ったんですが、ヒーラックで助手をされていた方の住まいが分かりまして」
「えっ」
「直接お話はしていませんが、とても会いたがっているそうですよ」
何とかこぼさずに済んだコーヒーをテーブルに置き、ジュラはやや身体を引いてジブレーを見た。
「君、君はなるほど、準備が良いね…」
「恐縮です…?」
ジブレーとしては、満足に話もできず別れてしまったと聞いていたため、かつての同僚に会いたいものかと思っていたが、ジュラの様子を見ると違いそうだった。
(サイティ、思ってたより先生が喜んでなさそうに見えるわ)
「驚いてるのね、きっと」
(そうも見えないような…?)
やがて、ジュラは頭痛に耐えるように片手で頭を押さえ、ため息をついた。
「わかった。ここにいる幻の王子は自分が引き取るから、助手への連絡はやめてくれないか」
「え?」
「先生!」
諦めたジュラと、戸惑うジブレーと、喜ぶ幻の王子を見て、サイティは満足そうにガッツポーズをした。
「っしゃー! さっそく手続きしちゃいましょー!」
「すごいな君は… 何でもよく知ってるじゃないか…」
「先生、お会いしたくないんですか?」
ジュラは諦めがついたことで、いつもの落ち着きを取り戻していた。
「なんだ、知ってて言ったんじゃないんだね。ちょっと、彼は…苦手なんだよ」
「苦手…」
「あぁ。決して嫌いとかじゃない。苦手なんだ」
残ったコーヒーを飲み干して、ジュラは大きく伸びをした。
「ちょっと、お腹すいたから何か食べない? あとそうだ、君も不便だから自分の名前を名乗ったら?」
「え? 私って名前あるんですか?」
「何で、王妃殿下から聞いてないの」
「ええ…」
一瞬、ジュラは自分から伝えて良いか悩んだものの、他に教えられる者もいないということで言うことにした。
「今さらピンと来ないかも知れないけど、君はリックだよ」
「リック?」
「うん。リック・ハリス・カスクだね。ロウはロウ・ルイス・カスク」
その名前はロウの名前として聞いていた。彼はジュラに戸惑いの視線を投げた。
「多分、陛下も知らない。王妃殿下が目覚めてから二人に付けたんだ」
口の端を片方だけ上げた表情は、リックが初めて見たジュラの笑顔だった。
ジュラは椅子から軽くジャンプして降りた。
「あ、学校から来たなら、料理長っていた? 昨日、買い出ししてた気がする」
料理長に何か作ってもらえるかもしれないという期待を胸に、一行は学校へ向かった。
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料理長に昼食をおねだりした後、ジュラの研究室にて、リックは様々なかつらと眼鏡を試着させられていた。
「こんなもんかな。まぁ本気で姿形を変えるかは後で考えよう」
「ジュラ…いや先生、何でこんなにカツラとか眼鏡とかがあるんですか?」
「教材だよ、一応。あともうジュラのままでいいよ」
リックが無難な選択をしたことにやや不満が残るジュラではあったが、空腹が優先されたため、ひとまず完成となった。
食堂へ向かう道中、ジブレーは彼の新鮮な姿を興味深く眺めた。
「声も違うから、ボスは気付かないんじゃないかしら」
「どうなんでしょう…気付かれると思うので私は恥ずかしいんですが。いっそ全部言っちゃいませんか」
「料理長ほんとに作ってくれるのかな、うどん」
三人が食堂に着くと、料理長が準備を終え、カウンターで新聞を読んでいた。
「おう、春休みなのに学校が好きだな」
「料理長が何か作ってくれる気がしたから。あと、新しい助手を紹介しに来たよ」
料理長が新聞を置いてジュラ達の方へ来た。リックはやや硬い表情で一歩前に出た。
「料理長さん、この春からジュラ先生の助手としてお世話になります、リックと申します」
そこまで言って礼をしたところで、リックはたまらず笑いが漏れた。
料理長は普段と変わらない様子で、苦笑するリックの前に手を差し出した。
「そうか。これからもよろしくな」
「…ありがとうございます」
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夕方、ジブレーが寮の裏で犬を撫でている所に、リックが現れた。
「校長、見つけましたー。初仕事は入学式のお手伝いになりそうです」
「お疲れ様。昨日からバタバタだったわね」
昨日の朝はヒーラック城で公務に励んでいたことを考えると、ジブレーは随分と時間が経った気がした。
「そうですね。馬に乗ったり列車に乗ったり、盛りだくさんでした」
「…疲れてるの?」
「いえいえ。城にいた時よりも安眠できたくらいですよ」
リックは寮の裏庭を歩き、花壇に植えられた花を前にしゃがんだ。
ジブレーは犬に手製のボールをちらつかせながら、彼の背中に話しかけた。
「色々あったから疲れてるのかもしれないわ。早めに休んだ方が良いわね」
「そうですね。春休みも、もう終わりですし」
(…元気がない)
故郷を捨ててゼロから人生を歩むことになった彼に、それを促したジブレーは何と声をかけても間違えてしまう気がした。
「ロウをあの国に置いて、ひとり逃げてきてしまいました」
彼女に背中を向けたまま、リックはひとり言のように話しはじめた。
「何もしてこなかったというのに、いざ自分が王子ではない存在になったと思うと、不思議と心細いというか」
(…怖い)
リックにとって、ロウの影としていつか死ぬために生きた人生より、何も持たないこれからの人生の方が怖かった。
「あなたも、ジュラも、私のために色々と力を尽くしてくれたのに、私は何の役目も果たさずに… うっ」
うなだれたリックの肩に、犬がのしかかった。
犬は昨日からたくさん遊んでくれた友人の顔を存分に舐めた。
「ちょっ、よしよし、ちょっと待って」
興奮しきりの犬を顔から剥がして花壇のそばに下ろすと、ジブレーの足が見えた。
犬を乗せた犯人はリックの隣に立ち、花壇の花に目を落としながら呟いた。
「あなたはただ、生まれただけじゃない」
それはいつか、自分が言われたかった言葉かも知れなかった。
「あなたとロウが生まれたときの話を聞いて、どれほどの奇跡だろうと思ったの。生きる以上の役目なんて無かったと思うわ」
誰もが命懸けで誰かを守ろうとしたからこそ、あの王室で誰の命も失われずに済んだ。
それに対して、全く別のものを守ろうとするために命を軽視する宮廷中枢の考え方は、ジブレーには受け入れられなかった。
「それを…自分たちの都合で隠して、あげく始末してしまおうなんて、そんな国に果たす役目なんて無いわ」
最後の方は怒りがこみあげてしまい、リックの方を向いて強い口調で言った。
リックは珍しく感情を露わにする彼女を見上げた。
「怒ってますね…」
「…あっ、ごめんなさい。つい語気が上がってしまったわ…」
「あなたは、どうして…」
「?」
自分らしくない言動に熱くなった両頬を手で押さえながら、ジブレーはリックを横目で見た。
「どうして…」
次の言葉が出てこないまま見つめ合うことに、気まずい空気が流れはじめた。
「名前で呼んでくれないんですか?」
「え?」
リックは立ち上がり、ジブレーにもの言いたげな視線を向けた。
「ほら、実は名前があったって聞いても、やっぱりまだ慣れないっていうか? そういえばまだ、私の名前を呼んでくれてないなって思ったんですよ」
「そうだったかしら…」
ジブレーは頬に手を当てて記憶を辿ってみると、確かにそんな気がしてきた。
「確かにそうね、リッ…」
ロウと同じようにサクッと呼ぼうとしたが、彼と目が合ったところで止まってしまった。
リックは耳に手を当てたまま、続きを待った。
「…ちょっと待って。あなたもじゃない?」
「あれ?」
「あなたもお嬢様とか何とか、どうも名前を呼んでいないわね」
リックは目線を上にやり、首をひねった。
「そうでしたっけ?」
「そうよ、名前って呼ばなくても案外成り立つものね。 …とにかく」
ジブレーは足元で構われるのを待っていた犬を抱き上げ、寮の玄関まで早足で向かった。
「名前で呼ぶのは分かったわ。明日からそうしましょう。あと、かしこまった口調もやめてちょうだい」
「はい。ジブレー。明日からですね」
犬を抱く腕が思わず力んだため、犬が不思議そうにジブレーを見た。
「明日じゃないじゃない! あまのじゃくかしら…リック・ハリス・カスクは」
「幻のフルネーム覚えてたんですね」
「聞いたばかりだからよ。私はもう部屋に戻るわ。それじゃあ!」
ジブレーはこれ以上の不利な状況を避けるため、退散した。
「はぁ」
彼女が寮に入るのを見送ったリックは、裏庭のベンチに腰を下ろした。
(本当に、どうして…)
「聞けないものですねぇ」
リックは慣れない眼鏡を横に置き、背もたれに体重をかけながら、夜になりつつある空を眺めた。




