カシマの断罪
カシマの助手が乳母と共に双子の世話に勤しんでいると、背後から大きな影が迫ってくるのを感じた。
「ん?うわああ!」
助手が振り返ってみると、屈強な大男が「しー!」と焦りながら彼の口を押さえた。
「…はっ、あぁ、王室警備隊のえらい閣下」
「イントネーションがおかしい。エライだ。よく分かったな」
「大きいから近付かれるとでっかい影ができるんですよ」
(ん?閣下がいるってことは)
そこでピンと来た助手は、エライに迫った。
「カシマさんが来たんですね?」
「ああ。今は男子禁制だ。診察中なのでな」
「良かったぁ…私には王妃殿下の診察はできませんから…」
心から安堵した様子の助手に、エライが何度目かの質問をした。
「どちらが兄君かは、やはり分からないのか?」
「…はい。申し訳ありません…あの時は王妃殿下が一刻を争う状態で、私もカシマさんも、そちらに必死になっておりまして…」
助手が萎縮した様子を見て、エライは(しまった)と後悔した。
「いやすまん、またやってしまった。どちらが先でも俺は良いんだ、正直二人には感謝している。ただ…」
エライは珍しく揃って眠る二人の王子に目を落とし、ため息が出た。
(こんなにお元気に育っておられるのに、陛下はまだご覧にならないのか)
単に父親として生きている訳ではない国王に同情する気持ちもあったが、彼には理解が難しかった。
「上がな…前例が無いとか随分とガチャガチャしていてな…」
エライは国王の傍に控えながら耳にした、宮中の偉い人々の会話を思い出した。
「国で一番高貴な女性が庶民や犬のごとく一度に二人も孕むなど前例が無い」
「同時に生まれた王子など王位継承が荒れるではないか」
「片方は目に見えて小さかったんだろ?なぜ間引いておかなかったんだ」
「そもそも生きたまま腹を裂いて出てきたなんて悪魔の所業じゃないか。教会に何て言うんだ…」
それは彼が王の警護を担う名誉職にありながら、地下牢獄の看守を志願する契機となった。
渋い顔のエライを見て、助手には察するものがあった。
「すみません、そうですよね…伝統を重んじる国ですから。大変なんでしょうね」
「あぁ、すまん、貴殿らは王子殿下と王妃殿下のことに尽力してくれたら十分だ」
ばつが悪くなったエライは、助手を連れて王妃とカシマがいる部屋へ向かった。
「もう診察も終わってるだろう」
「はぁ。というかカシマさんの件。王妃殿下の目が覚めたからって、不問という訳には…」
「難しいだろうな。王妃殿下が望まずとも、裁きは平等に下されなくてはならん。即行処刑とならなかっただけでも…シッ」
ドアの前でぼそぼそ話していた二人は、王妃の声に顔を見合わせて押し黙った。
「楽に死ねると思わないことね」
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王妃の声が室内に響いた。
カシマは、静かに頭を垂れ、次の言葉を待った。
「恐ろしいわね。一度に二人の子どもが産まれるって」
(やはり、この国は…)
王族と庶民が違う生き物だと思っているのか。カシマは沈黙の中で失望した。
「あの乳母が発狂しかけてるわ」
「…?」
話の方向性が分からずにカシマが顔を上げると、王妃の顔は深刻だった。
「私、目が覚めたら乳母が激ヤセしてたから驚いてしまって」
「…はぁ」
「彼女が数日であんなだもの、相当なんでしょうね。元気な証拠だけれど。覚悟してちょうだいね」
「えっ、お世話させようとしてます?」
「ひと息に処刑されるより辛いと思うわよ?」
一転して微笑んだ王妃は、青白いながらもカシマに力強さを感じさせる表情だった。
「通ると思いますか?私は殿下を殺しかけた罪で判決待ちなんですが」
「通します。あなた以外に私の治療を任せられる人がいないんだもの」
(強い…)
そこへ、荒々しいノックとともに、エライと助手が飛び込んできた。
「おお話中失礼いたします!失礼ながら王妃殿下に一番の治療ができるのはカシマさんしかいないと思います!」
「殿下、ご処断はお身体が癒えてからでも遅くはないかと!」
平伏すような形で同時に喋る二人を前に、王妃は頬に手を当てて「まぁー、どうしようかしら」と言いながらカシマを見た。
「…承知いたしました。激ヤセしておられる大殿様の手となり足となり働かせていただきます」
「えっ?」
「んっ?」
王妃は両手を合わせて微笑んだ。
床に手をついたままの二人は状況が理解できないまま二人のやり取りを眺めた。
「決まったわ。乳母の言うことをよく聞いてね」
「はい。王妃殿下も、回復に向けてもやることが山積みですので、頑張りましょうね」
「えっ?えぇ、そうね、元気になるためだもの」
「では、今日から歩行練習を始めますので」
「え?」
その言葉に、王妃の笑顔が固まった。
「あらっ…あら?やっぱり殺す気?」
「まさか。痛いでしょうけど、死なないのでファイトですよ」
恐怖に震え出した王妃をよそに、カシマは自分がいない間の経過を確認するために助手を別室へ呼び出した。
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城の一角にある古い塔をカシマは適当に医塔と呼んでいるが、彼女は投獄以来、久々に医塔を訪れた。
部屋の扉を閉めたことが、王妃達の前で堪えていた感情が決壊する引き金になった。
(私じゃなければ…)
あの時は無我夢中だったが、今になって恐怖に襲われた。生きて、話をする王妃を見た時、この人に自分が何をしたか思い出した。
(無謀過ぎた。救命できたのは奇跡でしかない。殺人現場と間違われても全くおかしくなかった)
カシマは目眩を感じて、その場に座り込んだ。吐き気も感じた。
あぁパニックかもしれないと冷静に判断する自分と、あの時に引きずり込まれた自分が存在した。
(私じゃなければ、もっとうまくやれただろうか。でも、ショックを起こしかけていたし、切らないと分からなかった…)
「カシマさん?」
誰かの呼ぶ声がしたが、彼女には届かなかった。
(いや、判断を焦ったかも知れない。出血量も合ってたのか?今後どんな影響が出るか分からない。私は…)
肩を揺すられた感触に、彼女が顔を上げると、助手と目が合った。
「あ、ごめん、今はダメっぽい。ちょっと、待ち…」
大丈夫だと言うようにカシマが上げた手を、助手が握った。
「えっ、冷た… どうしたんですか?」
「放置しといて…心因性…」
助手は何とかカシマを仰向けの体勢にさせ、自分の膝で彼女の頭を支えた。
「分かりました、ちゃんと放置しますんで、大丈夫ですよ!」
「…あ、うん…」
(ちゃんと放置するって言葉合ってるか?)
カシマは変わらない助手の調子に懐かしさを覚えながら、ゆっくりと呼吸した。
肩に置かれた手の温かさや床の硬さに意識を向けているうちに、落ち着きを取り戻した。
「ごめん、お待たせ。王妃殿下と双子の件、ありがとう」
「もう起き上がって大丈夫ですか?」
「うん。情けないが…今更、自分のしでかしたことが怖くなっちゃった訳だよ」
「カシマさん…」
「経過表ここだっけ」
カシマは不在期間の状況を確認しようと、棚の鍵を開けて書類を探した。
その背中に助手が呼びかけた。
「カシマさん」
「ん?」
「カシマさんは、ものすごいことをされたんですよ!」
「はぁ」
王妃の情報が書かれた書類の束を持って助手の方を向くと、カシマの想定以上に助手が近くに立っていた。
「おぉ」
「そりゃ、カシマさんは真面目な人だから、もっとできたことがあったんじゃないかって思うかもしれないですけど…でも…」
助手は気持ちに言葉が付いて行かず、しばし俯いて言葉を探した。
「でも、カシマさんじゃなきゃ王妃殿下も、王子殿下達も救えませんでした!」
「まぁ…結果をヨシとするなら、そうだね」
「僕はあの場に残ったから分かります。カシマさんは最善を尽くしました。地下に連れてかれた時、何もできなかったけど…僕は尊敬してます!」
珍しく声を張って真っ直ぐに自分を見る助手を、カシマは意外な思いで見つめ返した。
「…何も、泣かなくても…」
「ずいまぜん… 僕なんか、ほんと何もできなくて…」
カシマは彼が自分を心配して励ましてくれたことに気付いた。
「君こそ、君にしかできないことをやったでしょ」
「うっ、えっ?」
「この環境で現状、合併症もなく、経過に大きな問題も無いのは、すごいことだよ」
「ガジバざん…」
「まぁ、褒め合ってもしょうがないしさ…」
二人は仕事に戻り、王妃の治療について話し合った。
カシマは安全性の確立されていない医術を王妃に施した罪で財産没収および医師としての地位を剥奪した上で、懲役刑が決まった。
ただし、王妃の回復までは特例としてエライの監視下に置かれ、乳母の部下として労働する形となった。
由緒正しい宮廷医師から労働者以下の身分に転落したことは、この国では大きな処罰として成立した。カシマ自身、身分に拘泥は無かったが、双子の秘密を知る自分の懲役が明けることは無いだろうと察していた。
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芝生に寝転がった男の周りで、犬が遊びの相手をねだるように跳ねた。
犬よりも先に人間の方がへばってしまったようだ。
ジブレーは平和な光景を見ながら、彼がここまで生き抜くために様々な人がどれだけ力を尽くしたかを思った。
「…それが、ここに来る前のジュラ先生なのね?」
「そう。なんせ王子が双子ってのが超絶秘密だから医療も保育も人手を増やせなくて、何だかんだ2年くらいロウ達のお世話してたはずよ」
「そうなのね…」
彼の問題を解決するためとはいえ、ジュラのあまりに個人的な領域を踏み荒らしたような罪悪感を覚えた。
「彼と縁があるって言うのは分かったけど…別の名前で、前科が…という過去を利用するのはさすがに…」
サイティは、ジブレーが最後まで言う前に手で制した。
「違うわよ! そうね…じゃあジブレー、ジュラへの提案がダメそうだったら、これを教えてあげて?」
そう言って、ジブレーはサイティからまた一つお告げを授かった。
「まぁ…サイティったら脅迫なんて言って、そんなことしてたの? 優しいのね」
「でしょー! っしゃ、じゃあジュラも起きる頃なんで、そろそろ突入しましょ!」
ジブレーは一向に元気が衰えない犬の方へ歩いた。




