おたおめ令嬢16歳の春休み
カルヴァドス大公は4頭の馬を巧みに誘導し、流れるように馬車を走らせた。
(二輪の馬車に、隣はジブレー、誰も触れない二人だけの国♪)
「パパさん、私もいるわよ。残念」
サイティは大公が心の中で口ずさむ歌に訂正を入れた。
ジブレーは風に揺れる髪を耳にかけ、移り変わる景色を見逃すまいと身を乗り出した。
「ジブレー、前のめりになると危ないよ」
「あ、すみません。景色を見る余裕があるなんて初めてで、つい見入ってしまいました」
「ほんとだねぇ、こうしてジブレーとおしゃべりしながら馬車に乗るなんて…うっ」
大公は目頭が熱くなった。サイティも大公に同意してうんうんと頷いた。
(多分、婚姻のために延々と馬車に乗せられた記憶のせいもあると思うのよね。小さい頃は馬車に入るだけで泣いてたし)
それがあの男のおかげで克服できたのは喜ばしい限りだった。
(お姫様の呪いを解いた王子様みたいじゃない)
「ちっ」
(サイティ?)
ジブレーの保護者は揃って子離れができていなかった。
「あ! あれ、車寄せじゃない? 酔わないで王都まで来られたわね!」
舌打ちを誤魔化すサイティの声に、ジブレーが前方に目を凝らした。すると、馬車の乗降場所から少し離れた場所に見知った顔を見つけた。
「あそこ、シャロットとテラシアかしら?」
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挨拶もそこそこに、空気を呼んだ大公はジブレーに護衛を残して王城へ向かった。
三人とサイティは大公を見送り、王城前の広場で昨日ぶりの再会を喜んだ。
「旦那様、付いてこないなんて大人になりましたねぇ」
「テラシアに言われてるのじわる」
シャロットは階段の手すりに手をかけ、王城を見上げながら尋ねた。
「私達はたまたま会ったんだけど、ジブレーは買い物?」
「ええ。この近くに洋服や装飾品なんかの専門店が集まったお店があるらしいの」
「お嬢様、わざわざ既製品を買いにきたんですか?」
テラシアが驚くのももっともで、大公家にいれば専任の職人がいつでも爆速でジブレーの服を仕立ててくれた。
わざわざ馬車で、しかも馬車で、あげく馬車で王都まで来たジブレーを信じられないといった眼差しで見つめた。
「えぇ、その、普通に街を歩くような服が欲しくて…」
歯切れ悪いジブレーの様子に、シャロットは面白そうな気配を察知した。
「どんな服が欲しいの?」
「うーん… 正直、イメージが湧かなくて困っているの」
テラシアとシャロットは顔を見合わせ、頷き合った。
「そしたら、私達も一緒に選んでいい?」
持つべきものは友だった。
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「これは…要塞…?」
「お店の破城攻撃ですね」
「いやお店の一斉射撃…」
おのぼりさん三人は、何とか婦人服飾店が集まるエリアにたどり着いた。
(まさかこの建物すべてが婦人用品店なんて… それにしても、劇場のように絢爛で、美術館のような見応えね…)
ジブレーは、見事なガラス装飾を施された天井から日の光が差し込むのを眺めた。
「そんなに上ばかり向いていると、首を痛めるぞ」
「!」
思わず声の方を振り向いたジブレーは、そういえばここは彼の地元だったと思い出した。
「…私に言ったの? タリス」
「当たり前だろう! まったく警戒心がないな。護衛がいるからって、仮にも公女の自覚が足りないんじゃないか?」
(タリスだわー)
「タリス、久しぶり。何しに来たの?」
「昨日も学校で会ったじゃないか… いや、予定が急に空いて手持ち無沙汰になってな」
「タリスも気になるんですね、こういうお店」
「んっ? あぁ、まあな。自由に色々な買い物を楽しめるというのも今風じゃないか」
(予定が空いたからって一人でドレスやスカートを見に来るなんて、よっぽど暇だったのかしら…)
ジブレーがタリス達のやりとりを何歩か離れた場所で眺めていると、横でサイティが笑い転げていた。
(サイティ、どうしたの?)
「いや、ひー、それ言ってやったら? ヒマすぎて女物の服を見に来たの? って」
何となく、それは言ってはいけないような気がした。
「タリスも寂しいんじゃない?春からはみんなバラバラになっちゃうから」
(なるほど)
「卒業後も集まれる機会があればいいわね」
何の気なしにつぶやいた言葉に、タリスが食いついた。
「何だ、なかなかいい考えじゃないか? 確かに、互いの近況報告などできると刺激になるかもしれないな!」
「え? えぇ、そうかもしれない…?」
珍しくタリスが笑顔でジブレーの肩を叩くと、用事ができたと言い残してお供を連れ、去っていった。
テラシアはやや呆れた顔で彼を見送った。
「平和な国ですね」
先日殺されかけたシャロットも同意した。
先日矢で射られかけたジブレーも頷いた。
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服屋の要塞を攻略するのは容易ではなかったが、シャロットとテラシアのおかげで、街のお嬢さんが着そうな服を取り扱う店を選ぶことができた。
「ジブレー、一応聞くけど、色とかスタイルとか希望あるの?」
「そうね……… あっ」
「あるんですか?」
「あの… 色だけ、赤はどうかと思ってるんだけど… 派手過ぎるかしら…」
特に無い、だと思っていたところに、予想外の答えだった。思わずシャロットとテラシアは顔を見合わせた。無言のコミュニケーションが捗る日だった。
「いいと思います!」
「いいと思う!」
ジブレーは着せ替え人形になる覚悟を決めた。
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「ありがとう…じゃあモーラ…今着ているものを…」
残りわずかな体力を振り絞って、ジブレーは侍女に後を任せた。
まだまだ元気なシャロットとテラシアは目配せをした。
「ごめんね、疲れちゃった?」
「とんでもないわ、むしろ協力してくれてありがとう…」
「ジブレー、近くでお茶を飲めるところがあるので、休憩しましょっか?」
渡りに船とばかりに、ジブレーはオアシスを求めて歩き出した。
(店内? というか、屋内?)
従業員に案内されて来た場所は屋内にありながら、緑と光に溢れた庭園のような場所だった。
その素朴な雰囲気に、ジブレーは実家の中庭を思い出していた。
勧められた椅子に腰を落ち着け、ジブレーは店内を見回した。
「落ち着くわねぇ」
「お買い物に来た人の休憩用なんだって。至れり尽くせりだね」
「へへ、ジブレーのおかげでここに入れてラッキーでした」
ジブレーが飲み物を選びながら、(甘い物はあるかしら…)と考えていた所に、シャロットから声をかけられた。
「ジブレー、甘い物とかどう?」
「! まさに今、あったら良いなと思っていたところなの」
それを聞いて、テラシアは「それは良かったです!」と言いながら片手を上げた。
それを合図に奥から現れたのは、先ほど別れたはずのタリスだった。手には白いクリームのかかったケーキが乗っていた。
「タリス?」
「えっ?」
何故か合図を出したテラシアも驚いた声を上げて彼の方を見た。
タリスは何を言うでもなく、三人の座るテーブルにケーキを置くと、先を促すようにテラシアを見た。
「あっ。ジブレー、明日が誕生日でしょ? 私達からの、ちょっとしたお祝いです!」
「えっ」
表に出た反応は小さかったが、ジブレーは心底驚いていた。
ジブレーの誕生日は母の命日でもあるため、彼女自身に誕生日という意識は薄かったし、誰かに話すことも稀だった。
「誕生日なんて知ってたの?」
「知らなかったよ! 教えてくんないんだもん」
「そうよね、なんで…」
「旦那様がさっき言ってました」
「えっ?」
「明日のお誕生日は、パパが一番にお祝いするんだからネ! って」
(いつの間にそんな事)
ジブレーは父の言葉を聞き流す癖を少し反省した。
「それで、服屋の前でウロウロしてる護衛の人に相談してこっそり準備してもらったの」
「えっ? ドリュ、あなた」
入口近くに控えていた護衛はジブレーの視線を受け、静かに頭を下げた。
同じくドア付近では結託してケーキの手配をした侍女がやり切った表情で頭を下げた。
(領地では大っぴらに祝えないので、便乗しました)
(旦那様に先んじてお祝いしてしまいましたわ!)
「モーラも… そう、みんな、ありがとう。とても驚いたわ」
口数は少なかったが、この場にいる人々にはそれで充分だった。
紅茶を選び、ケーキを切り分ける様子を眺めながら、思い出したようにシャロットが尋ねた。
「てか何でタリスがいるの?」
「うん。さっき言うヒマ無かったのに」
「ん? ああ、これはたまたまだ。ここで休んでいたら、カルヴァドスの使用人がバタバタしていたんで話を聞いた」
(これは? どれはたまたまじゃないのかしら。まぁ言葉のあやよね)
ジブレーはタリスの気になる点については基本的に目をつむることにした。
「せっかくなら俺も驚かせてみたくてな。まぁ、あと一応めでたい日だから、お祝いだ」
タリスの指示でテーブルに置かれたのは、小さな3つの瓶だった。
「りんご、薔薇、あと… 桃の絵?」
「香油ですかね?」
「ああ。それは月桃だ。薬草や観賞用に、試しに輸入してみた」
試香用の小さな布を渡され、三人はそれぞれ三つの香りを楽しんだ。
「まさにりんご畑の爽やかさ… 調香した人に会いたいわ」
「わ! こんなに爽やかな薔薇の香りもあるんですね」
「甘いって言うよりすっきりした香りね。独特だけど、なんだか落ち着く」
三人とも、それぞれ気に入った香りがあったようだ。
タリスは香油を持って来た男に笑顔で頷き、男は恭しく礼をすると後ろへ下がった。
「ちょうど商品化のために試作したものだから、よければ三人で使ってみてくれ。じゃあな」
これで用は済んだ、と言わんばかりにタリスは去っていった。
「あっ、ありがとう、タリス」
「…行っちゃいましたね。暇なのか忙しいのか」
「私達もいいの? 誕生日でもないのに」
シャロット達は気が引けたようだが、ジブレーはむしろ二人に持っていて欲しいと伝えた。
「何だか、お揃いみたいじゃない? 実は憧れていたの」
「え?」
「何で今になって言うんですか! もっと筆記用具とかお揃いにできたのに!」
テラシアは過ぎ去った学生生活を惜しみ、シャロットが運ばれた紅茶に顔を綻ばせながら彼女を落ち着かせた。
「まぁ、最近は言ってくれるようになって良いじゃない」
「確かにそうですね。デレが急速に進むって言うみたいですよ」
(誰から聞いたのかしら…)
ユーリアであることはサイティのみお察しだった。
それを機に、二人の推理が始まった。
「何かきっかけでもあったのかしら…」
「お出かけ用に街歩きできる服を買うっていうのも新しいですよね…」
「ほら、ジブレー、護衛の人たちには聞こえないんだし」
「何を… きっかけ? 何の? デレが進むって何なの…」
「冬頃からバッタバタで大変だったもんねー。二人のおもちゃになってあげたら?」
(苦手かもしれないわ、この感じ…)
三人はしばし卒業前の穏やかなティータイムを楽しんだ。




