娘の選択
「と、言うことで呼びに来たのよ」
政略結婚の宣誓をするべく礼拝堂に入る直前、妖精のようなものがわめいたり意味深なことを言ったりするので、つい誘いに乗ったら、頷いた瞬間、どこかへ飛ばされた。
少女の体感としてはそんな感じだった。
驚いて周りを見回すと、そこは図書館のような場所で、大きな窓と陽だまりが、ほわほわとした雰囲気を作っていた。
素朴な机には何冊かの本が開いたり閉じたりした形で散在し、私は椅子に腰かけ、妖精のようなものと向き合っていた。
「一応、命が危なくなるまではって思ってたんだけど、私の声が聞こえるっていうから」
「じゃあ、以前もあの時みたいにしゃべっていたんですか?」
幻の空間でも妖精っぽいものは小さいまま、少女の向かいにある椅子の背に座り、勢いよく答えた。
「そう! まー独り言だけどさ、ずっとって訳じゃないけど見てたし喋ってたわよ!
聞こえたらいいなって思うこともあったけど、まさかこんなタイミングで聞こえるとはねぇ…」
一人うなずいてから、妖精(?)は少女をしみじみと見つめた。
「お母さんのことはそんな感じね。自死って言うけど、あんな環境で放っとくなんて、結局はわざとなのよ。 …でも、ねぇ、こんなこと言っても仕方ないかも知れないけど、あなたのお母さんは苦しんで亡くなった訳じゃないわ」
(母のことは正直、思い出が少なすぎて何を感じたらいいのかよく分からない。でも…)
少女は、気遣うようにこちらを見る妖精(?)を見て、思った。
(こんな優しい眼差しは、すごく久しぶりだな)
こうして話していると、母と過ごした何度かのお茶会が何となく思い出されてきた。少女は胸が苦しくなるのを感じたが、いつぶりかの温かい気持ちになることも感じた。
「ありがとう。母のことも、あなたがいてくれて本当によかったです。ありがとうございます」
おしゃべりな妖精(?)は思わず言葉を失った。
「あなたのこと、小さいときから見てたけど、笑った顔は本当に久しぶりに見た」
「笑ってた…?」
「ええ。それに、お礼なんて必要ないわ。私は結局何もしてないし。それに」
妖精(?)は机上に開かれた本の上に飛び降り、両手を広げて少女を見た。
「楽しくなるのはこれからよ!もうむなくそな話はおしまい!」
「それは…どういうこと?」
「あなたは、別の世界で、違う人として人生をやり直せるってことよ」
(なかなか突飛だわ… 物語に出てくる魔女みたいな話…)
「そうそう、そんな感じねまさに。お母さんみたいなこと言うわね」
少女は、そろそろこの状況に乗っかることが楽しくなってきた。
(どうせいつか覚める夢なら、楽しんでもいいんじゃないかしら?少なくとも、また礼拝堂の扉が目の前に迫るまでは)
「私、学校に行ってみたい」
「なるほどね!いいわね、どんどん教えて?」
妖精(?)は何もない空間に、ペンで文字を書くような仕草をした。
もう片方の手では資料の束をかき分けるような動作をしながら視線を左右に動かした。
「それと、男も女も関係なく、生き方を選べるところが良い」
「男女が… なるほど、案外少ないのよね。人間だと男は力仕事、女は子を産み育てるに偏りがちで…」
資料を探すような動作をしていた妖精(?)が、目を引くものを見つけたのか声を上げた。
「あ! もうあれだわ、マホウがある世界がいいわね。男女関係なく活躍できるわよ。ちょっと違う次元なんだけどいいでしょ。ただ…」
忙しく手を動かしながら、妖精(?)は少女を窺うように見上げた。
「その世界にはストーリーがあるの。今までの世界は環境だけ決まってて他は自由だったんだけど、何ていうか、うーん三次元から二次元というか… 物語の世界に入って、登場人物の一人として生きていくっていう感じ」
「物語の中に入る…? 物語の世界が私にとっての現実になるってこと?」
「あ、そう!たぶんそう!物語って言っても嘘じゃなくて、そこにいる人たちは今までと同じ本当の人間よ。だから、今までとは違う世界で、魔法を使ってブイブイ言わせちゃって楽しんだらいいと思うわ!」
(ぶいぶい?よくわからないことが多いけど、新しい世界を体験できる、それが死後の世界のようなものかしら…?)
「あ、でも、登場人物としての役割がある、んですよね?」
「そうねぇ、でも今までの世界だって、別に好き好んであそこに生まれた訳じゃないんだし、あまり考えなくていい気がするのよね」
「なるほど…?」
面白そうだという気持ちはあるが、正直、ここまでの人生で疲れてしまった感覚もある。
(また人生をやり直しても、どうなるか分からないのよね…)
「どうするか、選んで」
「今、もう少し考えてもいい…?」
「もちろん!あなたに選んでほしいってのが、お母さんの願いだったから」
母の願い。
先ほどから、この静かで温かい空間で妖精(?)と話していると、少女が長いこと忘れていた、母と過ごした記憶が蘇ってきた。
何を話したかは思い出せないが、母の声と、笑顔と、お茶の香りと、あたたかい風景。それはこんな雰囲気ではなかっただろうか?
少女は何時ぶりかも分からない涙が次々と頬を伝うのを感じた。悲しくて泣いているのではないと妖精(?)も分かるのか、涙を止めようとはせず微笑んだまま彼女の答えを待った。
少女の涙はじきに止まり、初めて自分の人生を選択した。
「私、新しい世界で、ぶいぶい言わせたい」
「おっけー!さっそく始めるわよ!」
幻だと思っていても敬語をなくしきれない少女、これでもテンション爆上がり中。