シャロットがいない日(3人)
ジブレーは朝からケーキ作りの準備で忙しかった。
材料を揃え、量を確認し、ノートを読み返し、テラシアが大講堂へ向かった頃にちょうど助手も合流し、作戦を開始した。
今回は泡立ても自分でやろうと悪戦苦闘していたところに、料理長が声をかけて来た。
「テラシアが?」
「ああ、知らないって言ったものの、気になってな。まぁ伝言とかも無いんだけども、後で声かけてやってくれ」
(珍しいわね…)
料理長にお礼を伝えながらも、ジブレーはいつもと違う彼女の行動が気になった。しかし、自分の我儘で彼に付き合ってもらっておいて、途中で「友達が探してるから」と放り出すことには抵抗があった。
(あと30分もあれば焼きあがるところまで来たし、その後で探しに行けば良いわよね)
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、やっと生地ができたんだから、集中しなきゃね。あとは型に流し込んで…」
声をかけられてハッとしたジブレーは、本来の目的に意識を戻そうとして、ケーキ生地が入った器に手を伸ばした。そして、その手を彼の手が止めた。
「焼く前に、一度様子を見に行ってはいかがですか?」
「え?」
予想外の提案に、彼女は「でも、もう焼くだけだから」と作業に戻ろうとした。気持ちは嬉しかったが、彼に対して申し訳ない気持ちになるなら同じことだった。
「まぁまぁ、焼き始めたら様子を見ないといけませんし、先に行って、戻ってきたら良いじゃないですか」
「そう…だけど、せっかく付き合ってもらっているのに、悪いわ」
そう言いながら彼の顔を見ると、彼はいつもと変わらない笑顔で彼女の背中を押した。
「私は来たくて来てるだけですから。それに、ちょっとやりたいこともありまして。ね? 私も気になってきちゃいましたし、また戻ってきたら作りましょう」
「じゃあ… ありがとう。急いで戻ってくるわね」
ジブレーはテラシアを追って食堂を出た。すぐに追いかけたつもりが彼女の姿は既に無かった。
(あら、どこから探そうかしら…)
(校舎じゃなかった…)
まず目についた校舎へ来てみたが、テラシアどころか人の気配も無く、静かだった。
(授業も無いし、来ないわよね。私を探すなら森にも行かないでしょうし…)
ジブレーは寮へ向かうことにして、来たばかりの道を戻ることにした。
「おや、こんにちは。あなたも人探しですか?」
振り返ると、イトー先生が重くて硬そうな厚い本を抱えて歩いてきた。
「あ、こんにちは先生。はい、テラシアを探していたんですが、ここじゃないみたいです」
「レースさんはクライヌさんを探していましたが、あなたはレースさんを探しているんですか。メビウスの輪にならないと良いですが」
「そ…うですね? 先生はこの時期にも授業があるんですか?」
「いえ。上の階に物置と化した資料室があるんですが、そこの書架からこの本を回収し、見回りがてら散歩中です」
「見回りですか…」
校内には魔法や武器の行使を検知するシステムが働いているため、授業も無い校舎をイトーがわざわざ見回るのは意外だった。
「そうです。たまにいるんですよ。卒業を前に施錠されているはずの空き教室で風紀を乱す者が」
ピンと来ていないジブレーの表情を見て、イトーが補足した。
「あなたの国にはありませんか? 卒業を期に告白したり、お礼参りしたりといったことが」
「知り合いが少ないので分かりませんが、あまり… お礼参りというのは、礼拝ですか?」
イトーは眼鏡をかけ直し、やや早口で説明した。
「はい。元々は神仏に向けた感謝の礼拝、財施を指す言葉ですが、裏切り者や利益を損ねた者に報復する行為を、皮肉的にお礼参りと呼称することがあります。今回は後者ですね」
「まぁ… よくもやってくれたな、ということですか? 怖いですね…」
学校というのは恐ろしい場所なのだと、ジブレーは呼び出されなかったことに人知れず安堵した。
「そうです、そうです。まぁ特に問題も無いので戻るところです。引き留めて失礼しました」
挨拶をしてイトーと別れたジブレーは、お礼参りのことが頭に残っていた。
(テラシアは私だけでなくシャロットも探してたのね。テラシアは朝から大講堂にいただろうし、寮なら食堂に来る前に探してる気がする)
それに、シャロットと聞いてから、先日の落雷事件が思い出された。
(お礼参り…)
テラシアもシャロットも、ジブレーにしてみれば同様に魅力的だったが、何故かシャロットは同性から目の敵にされることが多かった。
(一応、気になる方から探してみよう)
ジブレーは寮へ向かわずに校舎から森へ向かうことにした。
-----
「テラシア!」
森の入口から続く道の向こうに、人影を見つけたジブレーは、思わず声を上げた。
近付いてみると、やはり相手はテラシアで、向こうもジブレーに気付いた様子だった。
(当たりだったわ!)
予想より早く見つかったことに安堵したジブレーだったが、テラシアの泣きそうな顔を見て思わず彼女の肩に手を置いて彼女の顔を覗き込んだ。
「何かあったの? シャロットも探してたんでしょ?」
「はい。あの、シャロットが朝からいなくて、その、雷のこともあったから、ちょっと心配で、でも校舎にはいなくて、寮にも食堂にも見たって人もいなくて…」
ジブレーからするとテラシアの様子がシャロットの不在と同様に心配だった。
「大丈夫よ。私も一緒に探すわね。サイティは今ここにいるの?」
「いえ、えっと、どこでも入れる訳じゃないみたいで、今は多分… 寮をまた探してくれてるかも」
「そうなのね… そしたら、テラシアはこのまま森で、まだ見てない場所を探してくれる? 私は大講堂を探してくるわね」
ジブレーは、ケーキ作りに戻れないことを伝えるため、ひとまず食堂へ向かった。
その途中、森の入り口にあるウッドデッキで寝椅子に寝そべっていた男性がこちらに気付き、声をかけた。
「おや? まだ会えてないんですか?」
「あ、ええ、テラシアとは会えたんだけど、シャロットが朝からいなくて、すごく心配している様子なの」
彼は先程まで厨房にいたものの、ジブレーが戻ってこないために一旦片付けてデッキで一休みしていたそうだ。
「なるほど… それで、あなたは大講堂を探すんですね」
「そう… だから、ごめんなさい、それに片付けまで1人でさせてしまって…」
「とんでもない、また時間があるときに誘ってください」
「ええ、ありがとう。あと森と講堂だけだから、どちらかには居ると思うわ」
食堂へ寄る手間が省けたジブレーは、そのまま大講堂へ向かった。
(朝早くから、誰にも言わず不在、駅方面には行ってない… 落雷事故があってから、彼女は屋外を避けてるんですよね…でも出発したのは寮からでしょうし…)
デッキのベンチで横になりながら、彼は彼女の行動を想像し、校舎の2階にある連絡通路から大講堂へ向かった。
(寮から屋根のある経路で講堂に行くならこれしか無いですよね)
「おっと」
下の階から生徒の声が上がってきたため、彼は今しがた来た連絡通路を通って校舎へ戻った。
(今日に限ってロウが大講堂にいるとは…)
「日頃の行いが悪いんでしょうかねぇ…」
彼はひとり呟くと、ジュラのいる救護室へ歩いて行った。




