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雇われた花嫁  作者: 刀洞 やや
8/15

お夜食


 さすがに、彼もわがままをいう気力が残っていなかったのだろう。アナベルがソファで寝るといっても、頷くだけだった。しょげかえった様子で、それが気になり、アナベルはソファに横になっても眠れない。わたしが彼を気にする理由はないのに。だって、妻といっても、偽ものでしょう?

 結局、アナベルはぐっすり眠るのを諦めて、頭を振り々々キッチンに立った。今のところ、彼とここで食事をする機会には恵まれていないし、食材があるのか心配だったが、アナベルの欲しいものはあった。バター、ココア、チーズ、パンに砂糖。どれも最高級品だ。

 アナベルは二枚のパンにたっぷりのバターを塗りつけ、加糖のココアを振りかけてから、オーブンへ突っ込んだ。しばらく焼くととりだして、チーズを一枚ずつのせる。今度はアルミフォイルにのせて、チーズがぶくぶくしてくるまで焼いた。

 とりだして皿にのせ、粉砂糖を振りかける。「いい香りがするけど」

 アナベルは悲鳴を上げそうになって、息を飲み込んだ。振り返ると、ウィリアムが亡霊のように立っている。彼も眠れなかったのだろう。目が充血していた。

「あー」アナベルはチーズココアトーストののった皿を、軽く掲げた。「一緒にどう? 夜食よ」

 ウィリアムはちょっとためらったが、頷いた。


「僕はこういう時、酒を呑みたくなる」

「それはあまりいい傾向じゃないわね、ミスタ・エスチュアリー。わたしの兄と同じ過ちを犯しているわ」

 アナベルはあえて、軽くいった。ウィリアムはトーストを咀嚼しながら、遠慮がちに訊いてくる。

「君のお兄さんの依存症について、くわしいことを訊いていなかったね」

「気にしないで」アナベルは肩をすくめる。「わたしにも、説明は難しいわ。兄の問題は複雑なの。最初のほうはお酒と咳止めシロップを同時につかっていたそうだけど、それは警察に捕まってから話したことよ。ドラッグのことはわたしの専門じゃないし、わたしはお酒も嫌いなの。だから、兄がどうにかして、一年だけ刑務所にはいって出てきて、その後は療養施設に居るってことだけ、はっきりしているのは」

「君が金を払っているんだろう。兄貴を責めないのか」

「今はあなたでしょう。それに、兄なら充分責めたわ。もう疲れたの。追求しても、兄は心を閉ざしてしまっていて、実際のところどういう経緯だったのかとか、どうしてあんなばかをしたのかとか、そういうことは喋ってくれないわ。なら、わたしはもうなにも訊かない。でも家族だから、少しは助けてあげたい。それだけのことよ」

 チーズココアトーストをかじって、少しの間思案げにし、ウィリアムは頷く。彼の分のトーストは、だいぶ小さくなっていた。「うまいね」

「カロリーは高いわよ。それに、糖分に逃げるのも、ほんとはあまりよくないの」

 アナベルは軽く返す。オーブンでは、三枚目のチーズココアトーストが、ぶくぶくとチーズをふくらませていた。

 彼は最後のひと切れを食べ、ゆっくりかみしめている。

「君がやわらかそうな体をしている理由がわかった」

「それ以上いうと、おかわりがなしになるわよ、坊や」

 ウィリアムは目を瞠り、おどけた仕草で片手で口を塞いでみせた。アナベルは笑いながら、オーブンを開ける。

 トーストを半分にカットして、ふたりは椅子に並んで座った。椅子は、どこからかウィリアムが持ってきたものだ。

 キッチンの灯だけつけているから、明るいとはいいがたい。ふたりはトーストを頬張る。

「わたしからも質問させてもらうけれど、伯父さんが苦手なのね?」

「僕はあのひとを憎んでるよ」

 アナベルは夫の顔を見た。普段の自信満々、傲慢な態度はどこかへ消え、傷付いた少年のようなウィリアムがそこには居た。

「ウィリアム……」

「父と伯父とはずっと対立してた。ひとりの女性を巡って争ったからね。僕の母を」

 ウィリアムは呻いて、膝の上の皿へトーストを置く。そのまま頭を抱えてしまった。

「結局、母は僕と父を捨ててあいつのもとへ行った。その後すぐに死んでしまったけれど」

「ああ、ウィリアム」

「なにもいわないでくれ。母は最後に自分の意思に従ったから、しあわせだっただろうさ」

 それはまったく、誰かの考えたせりふを読んでいるようで、気持ちはこもっていない。彼の母の行動は、彼にとっては大きな心の傷になっているのだろう。

 アナベルは哀れを催して、彼に手を伸ばした。せなかをそっと撫でる。

 ふたりはその後喋らず、チーズココアトーストを食べてから、一緒に寝室へ行った。アナベルは心配していなかったし、その予想通り、ウィリアムは距離を開けてベッドにはいった。


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