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よろしくお願いします。
シャーロットは馬車を降りた途端、初めて間近で見た王宮の、その絢爛さに慄いた。早くも緊張が頂点を越えそうで、胸の前でぎゅっと手を握った。
「シャーロット? 大丈夫か?」
アルバートが背中に手を当てて、心配そうにシャーロットの顔をのぞき込む。慌てて兄を見上げて、笑ってみせた。
そうだ。今日は兄がついていてくれる。それに、今日の自分は……
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「まあ、お嬢様…なんてお美しい!」
胸元や袖には繊細なレース、きらきらと光るビジューの輝き。そしてあの、深い青の光沢。それは控えめながら美しいシャーロットの魅力を、存分に引き立ててくれていた。
結い上げられ、デビュタントの印である花飾りで彩られた髪に、マーナ渾身の化粧が施されて。
鏡の中の自分は、いつもよりもぐっと大人びて、堂々とした貴族令嬢のように見えた。
「これでは誰に見染められても不思議ではありませんね!」
完璧に着飾ったシャーロットを見るなり、興奮した様子で称賛するマーナ。シャーロットは困ったように微笑む。
「マーナったら、ちょっと大袈裟だわ。それに、私に縁談なんて……きっとまだ、早すぎるわ」
そこへ、ノックの音が聞こえた。
「シャーロット?マーナ?準備はどうかしら?」
「奥様。ただ今参ります」
マーナの返事を待たずに、母エリザが入ってくる。そしてシャーロットを見るなり目を輝かせた。
「まあ!まあ、なんて…!とても素敵よ、シャーロット。試着の時も思ったけれど、地味なんてとんでもなかったわ。この青はあなたにぴったりだったのね!」
母の言葉が、胸に響いた。
あれから、新年とデビュタントに向けての準備で忙しく、図書館には行けなかった。けれど、「君なら大丈夫だ」と言ってくれたテオに勇気をもらったから。
このドレスで舞踏会に行けるのがとてもうれしく心強く、どんなことがあっても大丈夫だと思えた。
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今年デビュタントを迎える者は、王宮の広間に集められ、まずは爵位の順に国王への挨拶をする。それから最初のダンスを付き添い人と踊り、その後は自由に踊ったり、歓談や食事をする時間となる。
王宮を見上げた時に頂点を迎えたか、と思われたシャーロットの緊張の度合は、容易くその上の段階に跳ね上がっていった。
手足は冷たく、身体は凍りついたかのようにぎこちない。兄が支えてくれる腕の温もりで、なんとか笑顔を貼り付けていられた。
国王と王妃への挨拶をなんとか終えた時。後ろでにこやかに控えていた王太子夫妻、特に王太子妃の銀の髪に、シャーロットは目が吸い寄せられた。その顔立ちも、どこかで…
行こう、とアルバートに促され、慌ててその場を後にする。
初めての舞踏会。改めて広間を見渡すと、煌びやかな装飾に、人々の声。
ひそひそ話、笑い声、デビュタントの初々しい令嬢令息たちから年配の紳士淑女まで、あちらこちらから様々な声が迫ってくる。
圧倒されて、足がすくむ。震える。
繋いだ手に力がこもった。見上げた兄の優しい微笑みを見て、ふっと力を抜く。舞踏会はまだこれからだ。シャーロットは気を引き締め直した。
兄とのダンスは、安心から少し楽しむ余裕があった。続いて、誘われるままに何人かとダンスを踊る。不安はあったが、近くで見守る兄と、ターンの度に揺れるドレスの青に励まされ、踊り続けることができた。
最後の一人は、なんだか絡み付くような視線が嫌で、早く離れたかった。
曲の終わりにほっとして礼をしようとすると、離してもらえずに戸惑う。距離が近い。
「美しいレディ。お名前をうかがっても?」
目を見開いたまま動けずにいると、
「シャーロット!」
兄が駆け寄ってきて、シャーロットの肩を抱き寄せる。
「申し訳ございません。私はアルバート・コックスと申します。妹は身体が強くありませんので、少し休憩を取らせていただきます」
冷ややかな表情だった。初めて見る兄の様子に驚いていると、男は眉を上げて吐き捨てる。
「コックス…子爵家が偉そうに」
アルバートの有無を言わさぬ態度に、男はこちらを睨みつけながら離れて行った。険しい顔でそれを見ているアルバートに、シャーロットはおずおずと声をかけた。
「……お兄様?」
すると、アルバートはにっこり笑った。
「さあ、休憩だ。飲み物を取りに行こう」
飲み物を手に広間の端に陣取ると、兄はシャーロットに小声で言った。
「さっきの男はルパート・ブランストン。侯爵家の爵位を笠に着て、やりたい放題だと聞いている。今日は侯爵がいらっしゃるかと思ったが……とにかく、あの男には気をつけてくれ、シャーロット」
「わかりました。気をつけます」
シャーロットは頷く。まだ手にあの男の手の感触が残っているようで、気持ちが悪かった。けれど。
「お兄様。守ってくださって、ありがとうございます。とてもかっこよかったです」
兄は約束を果たしてくれた。爵位が上の相手にも譲らず、守ってくれた。少し照れながら言うシャーロットを見て、アルバートは泣きそうな顔になる。
「ここが舞踏会の会場でなければなあ。抱きしめてぐりぐり頭を撫でるところだ」
少し戯けて言う顔は、いつもの優しい兄に戻っていた。
「ご歓談中失礼します!コックス副隊長!」
「どうした、今日は休暇だ」
警護の格好の者に話しかけられ、アルバートが再び硬い顔になる。
「お兄様。私、ここから動きませんから。お仕事なのでしょう?」
「隊長が、確認したいことがあるとのことです」
「隊長が?」
訝しむアルバート。しかし、上官の命令である。
「シャーロット、すまない。少しだけ外す」
困ったように眉を下げた兄に、シャーロットは微笑んで頷いた。
「シャーロットが見える場所ならば行こう」
アルバートの冷たい表情に、警備の者は怯えたように案内を始めた。