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「お嬢様、本日も図書館へ参られますか?」
マーサに聞かれ、シャーロットは少し戸惑った。
「ええ……そうね、そのつもりでいるわ」
あの後、あっという間に時間が来てしまい、慌てて不恰好な紙飛行機を折って飛ばした。
舞い上がった飛行機が壁に吸い込まれて行ったのには驚いたが、しばらく待つとテオが現れたので無事に辿り着いたのだろう。
テオは先ほどの発言などなかったかのように平然と表まで案内すると、「では、また」と去って行った。
シャーロットはなんとも言えないもやもやした気持ちを抱えて帰ったのだった。
またあの人が居るのかしら。
綺麗な人だったけど、少し意地悪だった。
でも、あの閉架書庫はとても魅力的だった。もっとも、また行けるかどうかはわからないのだが。
だけど、図書館に行かない選択肢はない。
何故かその日はなかなか寝付けなかった。
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いつもより緊張して足を踏み入れた図書館は、いつも通り素敵な匂いと音と色でシャーロットを楽しませてくれた。
ほっとして、ゆっくりと味わう。
じっくりと時間をかけて一冊の本を手に取ると、いつもの場所へ向かった。
先客がいた。
見覚えのある銀の髪。
気配を感じたのか、テオは振り返って手を挙げた。
「やあ」
「……ごきげんよう」
「来るのを待っていた。いつも金曜日なんだろう?」
肯定するのが癪で、少し黙っていると。
「まあいい、今日はどうする? また案内できるが?」
考える前に、体が反応してしまった。目を輝かせたまま、思い切り目が合う。
「お、お願いします……」
面白がっている表情のテオに、シャーロットは複雑な気分だ。
「うん。行こうか」
閉架書庫に着くと、テオは思いついたようにシャーロットを見た。
「君はどのジャンルの本も読むのか?先週は歴史、今日は文学だな?医学書も知っているようだったが」
「はい、なんでも読みます。私……本が、大好きなんです」
シャーロットは本を抱きしめた。
「私は生まれつき病弱で……12歳までは寝たきりでした。だから、家にある本はみんな読みました。それでも足りなくて、それで、図書館に。本の匂いや音や、触れた感じ……全てが、大好きなんです」
テオは黙って聞いている。
「だから、こうして本に囲まれているだけで幸せですし、こんな素敵な場所に連れてきていただけて、本当に本当に嬉しいんです。まだ、お礼も言えてませんでした。ごめんなさい」
シャーロットは本を抱えたまま、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
失礼な発言ですっかり忘れていたが、テオにお礼を言えていなかったのだった。
すっきりした気分で微笑むと、テオは目を逸らして言った。
「そうか。それならよかった。では……無理にとは言わないが、良ければここの本を揃えてみるか?」
「……?」
「ここの職員は、一応司書という名目で働いているのだが…あまり熱心でない者も中にはいてな。表もそうだが、こちらはほとんど手をつけられない」
ここの本棚に、触れる。
ようやく理解が追いついたシャーロットは、感動に打ち震えた。
「はい!是非!あの、やらせてください!」
前のめりのシャーロットに、テオはまたしてもくつくつと笑い出した。
「そうか」
テオは書庫の端から梯子を取り出した。
「ここの本棚は高いから、我々はこれを使って高いところの作業をする。が……」
シャーロットを一瞥し、テオは目を逸らした。
「すまない、君には梯子を使わずに届くところのみ、お願いする」
「私、もう体力も普通にありますし、大丈夫ですよ?」
「いや、危ないな。君は小さすぎる」
「わかりました」
少しがっかりしつつ、シャーロットはあたりを見回した。なんと幸せな景色。
「無理のない範囲内で、と言うことで。読書の時間もあるだろうからな。」
「はい……!本当にありがとうございます!」
「報酬は出せないが……」
言ったテオに、シャーロットはにこりと微笑んだ。
「問題ありません」
むしろ支払いたいくらいの気持ちである。
「では、また」
テオが書庫を出て行くと、シャーロットは早速棚を見ていった。
読書の時間も取りたいから……今日はこの棚のここまでにしましょう。
夢中で作業をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。
最後の一冊になった時、それが手の届く棚の一段上の棚に差すべきものだということに気がついた。椅子を持ってきてみたが、あとほんの少し足りない。
「……」
シャーロットはチラリと梯子を見た。
この高さなら、それほど危なくないはず。
梯子は見た目より重かった。引きずるようにして慎重に運び、棚の溝にうまく固定することができた。
達成感に、気分が高揚する。数段登れば届くだろう。
梯子の四段目に足をかけ、本を差せたと思った、その時。
「何をしている!」
ハッと振り向くと、険しい顔のテオが駆け寄ってくるところだった。
慌てて降りようとして、足が滑る。
「!!」
ガタッ
梯子が外れ、倒れる。
「っ!」
次の瞬間、肩をグッと引かれ、白いシャツの襟元が見え。
抱きとめてもらった、と気がついて、シャーロットは慌てた。
「ごめんなさい!私……」
「待て。」
静かに言って、テオは先ず左腕で支えていた梯子を押し戻した。それから、テオの膝の上に座るようにしていたシャーロットをゆっくりと立たせた。
黙って梯子を戻しに行くテオだったが、僅かに左腕を庇うような動きをしたのがわかった。
怪我をしたのだろうか。
シャーロットはただ、両手を握りしめて縮こまっていることしかできなかった。
一つため息を落として、テオは言った。
「よく考えずに梯子を見せたのは僕の落ち度だ。大声で驚かせたのも。ただ、やはり梯子はやめておいてくれ。」
「……本当に申し訳ありませんでした」
「いや。無事でよかった。貴族のお嬢様をケガさせたら事だからな」
「……」
「折り紙を渡し忘れたのを思い出したんだ」
テオは薄青の魔法の紙を取り出してヒラヒラと振る。
「きっと、僕が来なければ何事もなく本棚が整っていたんだろうな?」
ニヤリ、青の目を細めて笑うテオに、シャーロットは目を瞬く。
「なにせ妖精だからな、君は」
目頭が熱くなるのを誤魔化すように、シャーロットはテオを真似て悪戯っぽく笑った。
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閉館後。
閉架書庫の椅子にだらしなくもたれて座り、ため息をついた。眼鏡を外して無造作に机に置く。
シャツをめくって左腕を見ると、盛大に赤くなっている。しばらく腕まくりは出来なそうだ。
秋の終わり。そのような機会はそうそうないだろう。
柄にもなく構い過ぎている自覚はある。
あの娘-シャーロットの、好きなものへの真っ直ぐな想いが、眩しく感じた。自分が諦めかけているものを否応にも思い出させ、心のどこかに響いた。
――コックスと言うと、子爵家の令嬢か。
病弱で家から出ないと噂を聞いたことがある。
あの世間知らずな娘が貴族の間でやっていけるのだろうか。
軽く頭を振り、顔にかかるほど伸ばした銀の髪を乱暴にかきあげると、テオは机の上の本に手を伸ばした。