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 金曜日の午後の図書館は、なぜか人が少ない。

 それに気がついてから、シャーロットは金曜日には欠かさず図書館に通っている。


「では、お嬢様。閉館の時間の半刻前までに出てこなければ、私が中まで連れに参りますからね」


「ええ。肝に命じておくわ」


 脅かすような声音のマーナに、シャーロットは真剣な顔でこくりと頷いたのだった。





 一人きりで図書館に踏み入る。


 途端に感じられる本の気配。

 ずらりと並んだ書棚と、背表紙の色味。インクや、古い紙の匂い。パラリ、と紙のめくれる音。


 ああ、素晴らしいわ。


 ゆっくりと味わいながら、書棚を見ていく。

 順番がばらばらになっているシリーズものを見つけると、こっそり直しておくのも忘れない。


 ふと気がつき、一冊の本を手に取る。

 

 この本…モーリス・コルフは医者だわ。題名が紛らわしいけれど、これは医学書……


 医学のコーナーは少し離れている。

 医学書らしくずっしりと重みのあるそれを大切に抱えて運ぶと、運良く棚に余裕があった。本を寄せてスペースを作ろうと、手を伸ばす。



「それが医学書だって、よく知ってたね?」


 突然声をかけられて、心臓が跳ねた。本が手から落ちかける。

 慌てて両手で支えようとするが、横からすっと伸びた手が本を受け止めた。



 長い指。

 骨張った大きな手が、本を持つ自分の左手を覆っている。

 身体の左側に感じる体温。

 お医者様でもお兄様でもない、男の人の。


「……っ! あ、あの、」


 弾けるように距離を取ろうとしたが、本を落とすわけにいかず、手は触れたまま。

 見上げると、目があった。


 青。

 夜になりかけの、深い青の時間を思わせる色。

 眼鏡の奥、その目元をふっと緩ませると、男性は本をシャーロットから取り上げ、棚にしまった。


「驚かせてすまない。君のような若い令嬢がまさかモーリス・コルフを知っているとは思わなくてね。つい話しかけてしまった。」


 慣れない異性に心臓が口から飛び出るほど緊張しながら、シャーロットは答えた。


「い、いえ、すみません、勝手な真似を……。あの、司書の方ですか……?」


「まあね。そういう君は、あれだろう。噂の、"図書館の妖精"」


 シャーロットは目を瞬く。


「ようせい…?」


「職員の中で噂になっている。閉館後本棚を整えようとする、既に完璧に整ってることがある。これはきっと、妖精の仕業だろうってね」


「……そ……」


 シャーロットは目を泳がせた。


「それでは……妖精の、仕業なのでは……」


 きっと間違いなくシャーロットの仕業である。

 であるが、ちょっとした出来心でしていた棚の整理作業が、そんな風に噂になっているとは思わなかった。羞恥に顔が熱くなるのがわかる。


「実はつい先日のことなんだが」


 男性が思案顔で口を開いた。


「僕は見てしまったんだ、その妖精の姿を。詳しく聞きたいかい?」


 ニヤリ、という表現がしっくりくる表情。シャーロットは叫び出したいのをぐっと堪えた。


 この人は、知っていて私を揶揄っている…!


「結構です。本を受け止めていただいてありがとうございました。落としていたら大変なことでした。それでは」


 キッパリと言い、その場を去ったのだった。




 普段はじっくりと時間をかけて本を選ぶのだが、今日は適当な本を抜き取ると、シャーロットは早足でお気に入りの場所へ向かった。


 が……今日に限って先客がいた。


 早く一人になりたかったのに。

 がっかりして後ろを振り向くと、目の前に人。

 見上げるとまたしても、面白そうに光る深い青と目があった。


「ここはいつも静かで良い場所だね。お気に入りだった?」


 シャーロットは淑女の仮面が剥がれてしまいそうになるのを懸命に堪えた。


「あなたには、関係ありません。」


 男性は何がおかしいのか、くつくつと笑った。


「悪かった。お詫びにとっておきの場所がある。紹介させてくれるかい?」


 いつもの場所は埋まっている。

 シャーロットは少し迷ったが、司書が教えてくれるくらいだから、きっと素晴らしい場所なのだろう、と誘惑に負けた。





 揺れる銀の髪を追いかけて行くと、どんどん図書館の奥の方に向かっているようだった。追いつこうと必死に歩いていくと、重厚な扉の前に着いた。


「閉架書庫だよ。」


 扉が開かれた。


「まあ……!」


 シャーロットは思わず声を漏らした。


 先ほどよりぐっと濃厚な本の匂い、高い天井まで、そびえ立つ本棚。


 本にぐるりと取り囲まれているような。


「気に入った?」


「はい!とても!」


 瞬時に応えてから、はたと気がつく。


「あの、よいのでしょうか、私などが入って…」


「今更!」


 またしても、くっくっと笑い出す男性。

 何がおかしいのか。このような人と接するのは初めてで、シャーロットは表情を取り繕うのが難しい。


「僕はテオ。司書をしている。君は?」


「……シャーロット・コックスと申します。」


「シャーロット、では、こちらへどうぞ?」


 いきなり呼び捨てにされたのは気になったが、指先を揃えて案内をする美しい仕草に目を奪われて、素直についていく。



 そこには小さなテーブルと椅子があった。木製のそれは自然な艶をまとい、上質であることがすぐにわかった。


「ここで好きなだけ読むと良い。僕は表に戻る。…そうだな。帰る時間になったら、これを。」


 テオは薄青の紙片を取り出した。


「これを折って飛ばしてくれれば迎えにくる。紙飛行機は折れる?」


 首を横に振ると、テオはみるみる紙を折って何かの形にしてしまった。シャーロットは目を瞬く。


「これが紙飛行機。覚えておくといい。こうすると僕のところまで飛んでいく。」


 テオが紙飛行機を軽く持って投げるようにすると、それはふわりと高く舞い上がり、天井付近をくるりと旋回した後、舞い戻ってテオの肩に着地した。そのままきらきらと輝きながら消えてしまう。

 神秘的な光景に、息も忘れて見惚れてしまった。


「きれい…魔法、ですか?」


「そう。大したことないけど、便利なものだ。では、また後で」


 そう言って背を向けたテオだったが、ふと足を止めて振り返った。


「しかしシャーロット、君は危なっかしいな。見知らぬ男性に部屋を案内すると言われても、普通は一人で付いていかない。用心した方がいい。では」


 今度こそ部屋を出て行ったテオに、しばらくポカンとしていたシャーロットだが、少々遅れて怒りが湧いてきた。しかしぶつけられる相手は既にいない。


 一体なんだというの…!!!


 せっかくの素敵な場所だというのに、ささくれた気持ちをおさめるのに時間がかかってしまい、あまり本を読み進めることができなかった。


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