ご褒美
結果として、アナベルは元の顔色を取り戻し、彼女をなじっていた令嬢たちはまるで潮が引くように去っていった。
そして現れたテオドールがシャーロットの手を取ると、アナベルへの挨拶もそこそこに、速やかにその場を離れた。
問題はその後だ。
「シャーロット。貴女、一人で行動するなんてどういうことなの」
あの興奮状態が落ち着いたシャーロットを待っていたのは、家族、主に母からのお説教であった。
「あの時一人でどこかへ行く貴女を見て、私がどんな気持ちでいたか想像してちょうだい! 一人で! パートナーを連れずに一人で!」
母の興奮は、屋敷に帰っても冷めない。帰るまで堪えていた分、爆発したようだった。
「まあまあ、それについてはシャーロットも反省しているようだし。それに、御令嬢を助けようとしたなんて素晴らしいことじゃないか。エリザ、それくらいにしておいたらどうだ、うん?」
父も初めは泣きそうな顔で「もう一人でいなくなることはしないでくれ」などと言っていたが、今は母の怒りを鎮めるのに専念してくれている。
兄はまだ城に残っているが、また一人にしてしまったと落ち込んだ様子だった。
自分の行動で家族に心配をかけてしまい、シャーロットの気分は既に深く沈んでいる。
「お嬢様……今後はこのような騒ぎにならないように祈っておりますね」
隣のマーナが静かに言うのを聞き、ますますしょんぼりと肩を落とした。
「ええ……ごめんなさい」
彼女はそっと体を寄せると、シャーロットの背に手を当てた。
「……ですが私は、旦那様の言う通り、お嬢様は良いことをなさったと思いますよ。皆様はお嬢様への心配が過ぎるあまりに、今は取り乱されているだけです」
こっそりと耳打ちしてくれたマーナの言葉が、胸に沁みていった。
*******
金曜日には、通常は一人のところ、護衛が一人増えていた。
シャーロットはため息を飲み込む。
これまでおとなしく言うことを聞いていたシャーロットの、図書館以外での初めての単独行動から数日。家族もまだ戸惑っているようだ。とりわけ母は、まだシャーロットが幼い子どものようだと思っているのかもしれない。
正直に言えば、シャーロット自身も驚いているのだ。何故一人であのようなことをしたのだろう。普段であればきっと、まずテオドールや兄に助けを求めたはず。あの湧き上がるエネルギーは、何だったのだろう。
図書館内部まで護衛されてしまったシャーロットは、テオドールの指示によって彼らと離れることができ、息を吐いた。
本の匂いがすっと体に入ってきて、ほっとする。
「それで? 何かあったのかい? 中まで護衛が入ってくるとは」
書庫への道すがら、テオドールはたずねる。
あの後コックス家の皆の気が動転してしまったこともあり、少しだけ滞在したのち、テオドールの気遣いにより早々に退散してきたのだった。
「ちょうど帰りたかったところだ。王太子には話しておく」などと軽い調子で言っていたが、迷惑をかけてしまった。会うのは舞踏会の日以来だ。
「あの……テオさんにも、ご迷惑とご心配をおかけして、申し訳ありませんでした……」
テオドールは、入り口でうつむいたシャーロットの手を取った。
顔を上げると、その目がふっと細まる。
「今日は特別甘い菓子がある。有名店の物らしい」
優雅に誘われた先は小部屋の中。
「残念なことに、茶葉はこれまで通りだがな」
肩をすくめてみせるテオドール。
みるみる滲んでいく視界は、瞬きでは誤魔化せない。
「動揺はしたが、それだけだ。謝るべきことは何もない。今この国は平和で、警備も信頼できる。君のご家族は少々、いや、だいぶ過保護なんだ。他の令嬢たちだって一人で行動する時間があったのだからな」
とうとう目尻から、涙がぽろりと転がり落ち――
それは柔らかな白いシャツに受け止められ、そのまま背に腕が回った。
優しく頭を撫でられ、力が抜けていく。
「僕やアルバート殿でなく、あの時君が一人で行ったからこそ、穏便に、皆そのまま会場へ戻れた。かの令嬢もあの後は問題なく過ごせたと聞いている」
シャーロットは弾かれたように顔を上げた。
安堵した。と同時に、苦しくなった。
褒められるような行動ではなかったのだ。なぜなら。
「私は、あのとき……アナベル様に、昔の自分を重ねたのです」
アナベルの姿に、過去の自分を見た。助けたいと思ったあの気持ちは、正義感などという大それたものではなく。ただ、昔の自分がして欲しかったことをしただけ。考えなしの、衝動的な行動だった。
「ですから……勝手な振る舞いをしました。結局あなたの、公爵家の名前を出して」
「何を言う」
テオドールは言葉を遮り、目を合わせる。
「君の知識が役に立ったんだ。努力の成果だ。ただ名を出しただけであの場が収まったわけじゃない。君の行いによって、一人の女性の心が救われた。それが全てだ」
長い指が、そっと涙を拭う。
「君は立派だった。僕はそう思う」
テオドールは力強く言い切った。
「自信を持っていいんだ」
そしてニヤリと笑って。
「それに身分など、使いたければ使ってやればいいんだ。もしそれで誰も傷付かずに済むなら、その方がいいのだからな」
普段泣かないシャーロットの涙を、いとも容易く流させるこの人は、一体どんな魔法を使っているのだろう。
頑張っても、まだ届かないと思った。何もかも足りないと。
追いつけるように、認めてもらえるようになりたかった。知識をつけ、ダンスもさらに練習して、それでもまだ、足りない気がして。人前で震えないくらい、強くなりたくて。
いいのだろうか。自信を持って。
隣に立つのは自分だと。
シャーロットは額を彼の胸に押し当て、背中に腕を回した。
そうしていると、あの日心に溜まったざらりとしたものが、溶けていくような気がした。
「っ………………シャーロット?」
「私は……私がテオさんの婚約者だと、言いたかったのかもしれません」
「……」
「テオさんは人気者で……私は、少し、その……面白くなくて。だからはっきり言えた時、胸がすっとしました」
突然、背中に回っていた腕に力がこもり、ぎゅうと抱き込まれ。
心臓の音。
「君は、まったく……」
声が、とても近い。
耳を押し付けた胸から響いてくる彼の声は、いつもより余裕がないようで。
頭の上にため息が落ちた。
「さて、どうする?」
離れた体温を寂しく感じた自分に、戸惑う。
「そろそろ有名店の菓子を食べるか……それとも」
頬をするりと撫でた指が、顎にかかる。
妖しく光る青い瞳。
「……このまま君を抱きしめていようか?」
掠れた声に、どきりとした。
たちまち真っ赤になったシャーロットは、慌てて腕を突っ張る。
「……い、いただきます! お菓子を!」
「そうか、それは残念だ」
テオドールはあっさり手を離すと、くるりとシャーロットに背を向けた。
涙は引っこんだものの、のぼせてしまいそうなほどの熱さはなかなか引いてくれない。
本当はもう少しだけ、あのままでいたかったと思う気持ちは、そっと心にしまっておいた。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
また少しずつ更新します。