開花
二人がダンスを終え飲み物を手にすると、踊っていたときには近づいてこなかった貴族たちが次々とやってくる。
テオドールは如才なく対応していた。シャーロットはその隣に並び、時折振られる話題にしっかりとついていく。
この日のために、貴族同士の関係性、各地の情勢や流行りなど、しっかりと頭に入れてきたつもりだ。根を詰めすぎてマーナに嗜められたほどだったが、あの努力は無駄ではなかったと思う。
シャーロットはそれとは別のことで戸惑っていた。
わかっていたつもりだったが、テオドールは女性たちの注目の的だ。気がつき始めると、彼への視線が矢のように飛んで来るのが見える。自分に対し時折厳しい目を向けられるのも感じる。
テオドールが女性に丁寧に応対し、彼女たちが嬉しそうに頬を染めるのを見ると、胸の中がざらついた。
何か嫌なものがこみあげてきて、思わずテオドールを見上げそうになるのを抑え込む。微笑みを崩さず、腹に力を入れて立っていた。
「いやあ、うちの娘はよくできた子でしてね。器量も良いし、教養も……」
婚約者が隣にいるというのに、自分の娘を勧めるようなことを言う者も中にはいた。しかしそんなときは、
「素敵ですね。私はこの上なく素晴らしい婚約者に出逢えて、幸せを感じております。どうかお嬢様も、良い方と巡り会えますように」
などと言って、動揺するシャーロットの肩を引き寄せたテオドールが麗しい微笑みを向けると、すごすごと引き下がって行くのだった。
「シャーロット」
「お兄様!」
近くまで来たシャーロットに、アルバートは近寄り、笑いかけた。
「どうだ? 調子は?」
「ふふ、まだ王族の方へ挨拶をして、少し踊っただけです」
その挨拶で度肝を抜かれたことは秘密である。
「先ほどは大勢に囲まれていたようだが……」
心配そうな兄に、シャーロットはにこりと微笑んだ。
「あれだけ勉強しましたし、私も強くなったのですよ。お兄様」
「頼もしいな」
隣からの言葉に見上げると、テオドールはいつになく優しい笑みを浮かべていた。
体のどこからか、今度は力が湧いてくる。
今なら何でもできるような気がした。
「それはよかった。努力が実になって私もうれしいよ」
寝不足を心配しつつ、シャーロットを見守ってくれていたアルバートが、誇らしげに笑う。
「今日はお兄様と踊れないのが残念です」
眉を下げて言うと、兄は感激した様子でシャーロットの両肩を掴んだ。
「私もだ、シャーロット。また家でたくさん踊ろう。今日までにも、幾度となく練習したな」
そこでちらりと、テオドールに視線を送るアルバート。なぜか勝ち誇った顔である。
「今後は私といくらでも練習できるので、ご安心を」
テオドールの声は低い。
微笑み合っているはずの彼らの不穏な雰囲気にひやひやしていたシャーロットは、ふと目を向けた先の光景に動きを止めた。
会場の隅、廊下へ続く場所で、数人の令嬢たちがひとりの令嬢に話しかけている。
こちらからは詳しい様子がわからない。何でもないかもしれない。でも、もしかしたら。鼓動が早まる。
重なる。過去の自分と。
口が勝手に動いた。
「申し訳ありません、あの、私……ちょっと、行って参ります」
言うが早いか、シャーロットは既に歩き出していた。
まさかシャーロットが単独行動に出ると思わなかった男性陣は目を剥く。
「待て、一緒に……」
「おい、シャーロット!?」
しかしテオドールは運悪く話しかけられて立ち止まり、仕事中のアルバートは持ち場を離れるのを一瞬躊躇した。
「すぐに戻ります」
小柄でよかったと思ったのは初めてだ。
長身のテオドールや兄と比べて、自分はとても貧相に思える。しかし今日に限っては、人の波を縫って行くのに都合がよかった。
何事も、良い面と悪い面があるものだわ。
テオドールも共にあると目立つ二人であったが、大勢の人の海の中では、ありふれた栗色の髪。そうそう話しかけられることもない。
近づいてみると、小さな声でのやりとりが聞こえてきた。
「貴女、そのような格好をなさって。男性の目を引こうとしているとしか思えませんわ」
「本当に。浅ましいこと」
「貴女のような方がいるから、彼女は婚約者が目移りしてしまうのではないかと、心配しているのよ」
「そんなつもりは……」
話している令嬢たちの顔は見えないが、囲まれた令嬢はアナベル・ノリス男爵令嬢で間違いなさそうだ。シャーロットより一つ歳上の彼女が着ているのは、ピンク色のドレス。胸元が大きく開いている。
彼女がこちらを向いた。目が合う。その頼りなげな顔を見て、腹が決まった。
シャーロットは呼吸を整え、一歩踏み出す。
「それは、隣国で流行しているデザインですね。アナベル・ノリス様」
思ったよりもしっかりした声が出て驚いた。他の令嬢たちも一斉に振り返る。
どこか熱に浮かされたような感覚で、シャーロットは続けた。
「アナベル様の女性らしい美しさを引き立てる素敵なドレスだと、私は思います。それに、その優しいピンク色は貴女の領地の特産品とお見受けします。隣国との取引もある布ですね。領地を大事になさる気持ちが表れているようで、素晴らしいです」
アナベルは目を見開いている。
「貴女は……」
眉をひそめ睨まれても、怖くなかった。
「会話に割り込んでしまい申し訳ありません。とても素敵なドレスだったので、ついお声がけしてしまいました」
丁寧に礼をし、そして。
「私はシャーロット・コックスと申します」
戸惑い、顔を見合わせる令嬢たち。
「コックス……あの、公爵家の……」
「はい。テオドール・スタインフェルド様の婚約者ですわ」
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テオドールは立ち止まり、その光景を見ていた。
アルバートを留め、間を置かずに追ったつもりだったが、追いつけなかった。しかし何も問題はない。それどころか。
凛とした彼女のたたずまいは、内側から輝いているようにも感じられた。少し前まで、あれほど緊張して固くなっていたというのに。
彼女は、いつの間にこんなに強くなったのだろうか。
いや、初めからそうだった。
いつも自分を置いて先へ進んでいってしまうシャーロットの、その堂々とした振る舞いに、テオドールはしばし立ち尽くしていた。
14話の王太子妃の名前が修正前のものになっておりましたので、変更しています。オリヴィア→ヘレナです。申し訳ありません!