初めての街歩き 後
シャーロットは今日、信じられないほど楽しくて幸せな時を過ごしている。だが、ほんの少し、心に引っかかっていることがあった。
例えば雑踏の中で、オープンテラスで、雑貨屋で。同じ年頃の人たちが仲良くおしゃべりしたり笑い合う様子を見て来て、友人というものを持たないシャーロットは少しばかり、羨ましく感じていた。
テオドールにも友人がいる――ごく当たり前のその事実に、衝撃を受けている自分がいた。
「へえ、この子がそうなのか」
真後ろから男性の声がした。振り返ろうとして、シャーロットの後ろを睨むテオドールの険しい顔つきに躊躇した。
「うるさい。帰れ。邪魔だ」
シャーロットは初めて聞くテオドールの粗い言葉遣いに、目を瞬く。
「まあまあ、そう言わずに。誰の協力で実現したか考えろよ、テオ」
眉間の皺がどんどん深くなるテオドールに、シャーロットはひやひやした。
謎の人物はシャーロットの隣の椅子に座り、顔を覗き込んできた。距離の近さに思わずのけぞってしまう。黒髪に琥珀の瞳を持つ青年は、会ったことが無いはずなのに、どこかで見たことがあるような。
「ぐえ」
変な声がしたと思うと、テオドールが青年の襟首を掴んで思い切り引っ張ったようだ。
「近い。見るな」
「お前なあ……嫉妬は見苦しいぞ」
ふん、と鼻を鳴らすテオドール。
嫉妬……?
嫉妬、してくれたんだろうか。シャーロットは胸の奥が少しくすぐったいような気持ちになる。
「俺はジェイ。テオの友人をやってる。シャーロット嬢、ちょっと気難しい奴だが、テオをよろしくな」
ニッと笑って言ったジェイの目を見て、シャーロットは二人の関係性が少しわかったような気がした。
「こちらこそ、テオさんにはいつも本当にお世話になっています。ジェイさんに認めていただけるようにがんばります」
「わ!素直!何この子!?」
「お前はもう帰れ」
テオドールに冷たく言われ、ジェイは渋々といった様子で立ち上がると、シャーロットに一つウインクをして出て行った。
嵐のような展開に戸惑いつつ、シャーロットはぽつりと言った。
「仲が良いんですね」
テオドールはまたしても顔を顰めた。
「……テオさんは、仲のいいお友達がいるんですね」
気がついたら言葉が出ていた。
「そんないいものじゃない」
嫌そうなテオドールに、シャーロットはくすりと笑う。
「……私は、友達がいないんです。だから、ちょっと、いいなって思いました。街を歩いたり、一緒に何かを食べたり、そういう思い出も、きっと、沢山あるのかなって」
「これから作ればいい」
シャーロットの言葉を遮るように、テオドールは言った。
「友人も、思い出も。君の人生はまだまだ長い」
テオドールは眉を上げる。
「二人の思い出も、嫌でも増えるぞ。覚悟するといい」
シャーロットはふわりと心が暖かくなり、微笑んだ。
「テオさんとの思い出なら、どれだけ増えたって、全部うれしいです」
テオドールは目を泳がせ、そうか、と言うと食後のお茶をぐいっと飲み干した。
腹ごなしに街中の店を冷やかしながらしばらく歩いた後。テオドールは最後に、街の外れの小高い丘にシャーロットを案内した。
なかなか頂上につかず、歩き疲れた足には少々大変だった。しかし街が夕日に照らされていく様子は美しく、シャーロットの心を震わせた。
「今日は、とても楽しかったです。連れてきてくださって、ありがとうございました」
「僕も、楽しかった。本当に」
顔が赤いのは、夕日のせいだろうか。いつになく素直な感想に、シャーロットがテオドールを見ると、少し苦い顔になる。
「すまない。今日は少し、はしゃぎ過ぎた。ものすごく今更だが、足は辛くないか?」
本当は足が痛い。
しかし、テオドールと、はしゃぐという単語のあまりのチグハグさに、シャーロットは驚いて聞き返す。
「はしゃいでいたのですか?」
テオドールは少し眉根を寄せて肯定する。
「ああ、まあ……少し邪魔は入ったが……君が、とても楽しそうだったから」
目を逸らして言うテオドールに、シャーロットは胸が甘く締め付けられ、苦しくなった。
今日のお忍びの理由が、わかってしまった。
潤みそうになる目を瞬きで誤魔化し、シャーロットは言った。
「うれしいです。本当に、私……テオさんと一緒にいられて、とても、とても幸せです」
そっと手を取られて、顔を見上げる。
「僕も、幸せだ」
夕日には、素直になれる魔法の力があるのだろうか。
あまりにも甘く優しい目で見つめられて。
シャーロットは夕日では誤魔化し切れないほど顔が赤くなり、テオドールに笑われることになった。
まだ、帰りたくない。
そんな気持ちに気がついて、シャーロットは戸惑う。今日のこの日のことを宝箱にしまって、ずっと取っておきたかった。
帰り道。
シャーロットの足は限界だった。歩きやすい靴だったが、普段これほど歩くことはないシャーロットの足には、かなりの負担がかかっていた。もしかしたら靴擦れもしているかもしれない。しかし、シャーロットは変わりなく歩いて見せているつもりだった。
突然、繋いだ手が離されたかと思うと、シャーロットはテオドールに抱き上げられていた。
「!?」
「すまなかった。歩かせ過ぎた」
「え、あの、大丈夫です!」
遅れて羞恥が襲ってきて、狼狽える。細く見えるのに軽々とシャーロットを抱き上げたテオドールは、降ろしてくれる様子はなく、そのまま丘を降りていく。
二人で歩いていたよりも随分と早い歩調に、先ほどまではシャーロットに合わせてくれていたことに気がついた。
初めに入った店で着替え、そこで待っていた公爵家の馬車に乗る。
「今日は僕のわがままで街中に連れ出してしまった。足の怪我に関してのお叱りは甘んじて受けよう」
テオドールは肩をすくめた。
「私のために、考えてくださったのでしょう?」
シャーロットはテオドールを見る。
公爵家嫡男の婚約者としてでは、硬くなり過ぎてしまうから。
ふいと顔を外に向けるテオドール。
「そういうわけではない。僕がそうしたかった。だがやり過ぎたな。反省している」
「私も楽しくて、無理をし過ぎました。一緒に怒られましょう」
テオドールは微笑むシャーロットに向き直り、真面目な顔つきで言った。
「これから、公爵家の僕といると、君には酷なこともあるだろう。堅苦しくて、厄介な物事もたくさんある。それでも」
「一緒にいます」
シャーロットはテオドールの言葉を遮るように言う。
「私は、あなたと一緒なら、大丈夫です」
「すまない」
謝られた。
次の瞬間、シャーロットはテオドールの腕の中にいた。
衣装の装飾が頬に当たって、少し痛い。背中に回された腕の力が強くて、苦しいほど。縋り付くような抱擁に、シャーロットはおずおずとその背に腕を回す。テオドールはびくりとした。
顔を見上げると、驚くほど近くに青の目があって――
「シャーロット!!」
馬車が止まった。大きな兄の声が聞こえて、シャーロットはハッとして離れる。
テオドールも驚いたような顔で固まっていたが、顔を覆って大きなため息をつくと、席を立った。心なしか、耳が赤いだろうか。
コックス家の門の前で待ち構えていたアルバートは、まずシャーロットを抱きしめて迎え、その赤くなった顔を見て後ろのテオドールを睨みつけた。そして足の怪我のことを伝えると慌てて抱き上げ、テオドールにさらに憎々しげな目を向ける。
テオドールが涼しい顔でアルバートに何か耳打ちすると、悔しそうな表情でシャーロットを屋敷に連れ帰った。
玄関ホールにいたシャーロットの両親も心配そうな顔だったが、テオドールの真摯な態度に納得したようだった。アルバートだけは終始機嫌が悪そうな顔をしていたが。
その後、あの時呼んだのだからと、二人のときはテオドールを"テオさん"と呼ぶことになってしまい、シャーロットは少々戸惑っている。
お読みくださりありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。