8話
騒然とするホールの中、シュテーリアはいたく冷静であった。
リゼロッテが落としたグラスは床の上で粉々になっている。
「申し訳ございませんわ、シュテーリア様」
扇で口元を隠しながら言うが内心ほくそ笑んでいる事だろう。
さぁ、ここからが本番。これはシュテーリアだけに用意された舞台。主役は《俺》だ。
「あら、よろしくてよ?わたくしのドレスも渇きを潤したかったのかもしれませんわ。大変美味しゅうございましたもの。お飲み物を頂いてしまって、ごめんなさいね。そこの貴方、リゼロッテ様に新しいお飲み物を用意して頂戴」
給仕に声を掛け穏やかに笑めば、周囲からシュテーリアの対応を称賛する声を耳にした。
社交の場で声を荒らげるなど、はしたないこととして見られる。
だが、許しを与えるだけで終わらせてもいけない。
「ただ…デビューを終えた後の社交会ではお気をつけあそばせませ。些事が大事になることもございましてよ。国王陛下の覚えも目出度い伯爵家であるならばまだしも…」
深い笑みの中に威圧を混じえ、分不相応な者には一切の容赦をせず存在価値の違いをまざまざと見せつけ相手を叩き潰すのは、母フェリシアの常套手段だ。
フェリシアは、美貌と知性と強かさを兼ね備えた社交界の花である。
学生時代、自分に与えられた才能と言えるそれらを最大限に活用し、当時は王太子であった現国王と婚約者の現王妃すら巻き込んで父レイスの愛と婚約者の座を勝ち取った話がオペラになるほどに彼女は注目を集めるのが上手い。
そして、シュテーリアはそれらを教養として余す所なく与えられているのだ。
エアリステという高位な身分、宰相と社交界の花である父母、圧倒的な美貌、《青薔薇の妖精姫》という二つ名、王族との関係性、あらゆる最高級の教養。そして、前世の記憶も。
シュテーリアに与えられたものは多い。
こんな些末な染み如きで塗り潰せると思わないで欲しいものだ。
ゲームの中のシュテーリアは守られるだけの可憐な妖精姫かもしれないが、現実を生きるシュテーリアが同じである必要はない。
シュテーリアにとってのバッドエンドは回避しなければならない。
その為には与えられたものは全て余す所なく活用する。
現実を生きるシュテーリアにこれから必要なのは、エアリステ侯爵家の令嬢という価値ではなくシュテーリア個人の価値だ。そしてその価値を認める派閥や地位に囚われない多くの味方なのだ。
次の社交界の花は私である、お前達とは初めから持っているものが違うのだ、と格の違いを見せ付けなければいけない。
社交界には他の追随を許さず青薔薇が咲き誇るのだと。
エルテルとリゼロッテとノーレの顔が苛立ちに歪むのを確認し、「あぁ、それに…」と10歳の少女に似つかわしくない蠱惑的な笑みを浮かべシュテーリアは扇を開く。
「この場を保護者達が見ていることをご存知でしょう?」
3人の目に多少の焦りが浮かんだのをシュテーリアは見逃さない。
「ふふ、そんなに驚かれることかしら?成人もしていない子供だけの社交の場ですのよ?大人の目があって当然でしょう?……貴女方のお庭には気高く優雅な花も清く嫋やかな花も咲くことはないのでしょうね。貴女方のお庭では枯れてしまいますもの」
そこには確かな嘲りがある。
素直で心優しいだけでは生きていけないのが貴族の社交界。
お前達の愚かな行いによって僅かばかり残っていたカリアッド侯爵家とピュッツェル伯爵家が主催する茶会に社交界の花が咲く可能性は地に落ちたのだと告げる。
フェリシアの居ないお茶会など、イシュツガル王国では重要な意味を成さない。
中立派の家にさえ敬遠される可能性さえあるのだ。
そして、次の社交界に花開こうとする青薔薇さえ、その庭を飾る事は無い。
そう告げたのだ。
今頃、王城でこの光景を眺めている親達はどの様な反応を示しているのだろうか…
カリアッド侯爵とピュッツェル伯爵は目の前にいる少女と同じく歯噛みした表情を浮かべているのだろうか…それとも、第一側妃派の方が有利だと勘違いしたまま悠然と構えているのだろうか。
どちらにせよ愚かであることは間違いないのだが……
「リア!ドレスに汚れが残ってしまうわ!!私のドレスがあるから、それに着替えてきなさい」
カツカツと足音を響かせ優雅にシュテーリアの隣に立ったのは小柄なルルネアであり、その後ろに控えたのは情熱的な燃えるような赤い髪の少女と清涼感のあるモスグリーンの髪の少女だ。
「まぁ、ルル様のドレスをお貸し頂くなど勿体ないことですわ」
「何を言ってるの!お友達の貴女にならドレスくらい何着でも貸すわよ」
「ルル様のドレスをお貸しするのは些か問題が生じましょう。わたくしの友人のドレスをお貸ししますわ」
「えぇ、青薔薇の妖精姫様に着ていただけるのであれば、今すぐに用意させますわ」
確かに問題が生じるのだがルルネアは納得できないらしく、頬を膨らませている。
何せ体型の問題なのだから、どうしようもない。
主に身長と胸周りの話だ。
「初めまして、わたくしはユネスティファ・キーセンです。こちらはセレンディーネ・クルソワ伯爵令嬢ですわ。それにしても随分とお楽しそうで羨ましいわ…わたくしも仲間に入れてくださいな」
「ご紹介に預かりましたセレンディーネ・クルソワでございます。以後お見知りおきを」
礼をとる2人にシュテーリアも挨拶と礼をとる。
情熱的な赤髪はユネスティファ、清涼感のあるモスグリーンの髪はセレンディーネである。
キーセン家は代々近衛騎士団長を担う武家、クルソワ家はあらゆる物に精通した商家だ。
クルソワ家にとってエアリステ家と強い繋がりを得るチャンスだと踏んだのだろう。
「初めまして、シュテーリア・エアリステです。このようなお見苦しい姿を見せてしまい申し訳ございませんわ」
「いいえ、堂々とした立ち居振る舞いは好感を持ちましたもの。流石エアリステ家のご令嬢ですわ」
「えぇ、本当に」
ユネスティファはルルネアを庇うように、ゆったりと前に出てエルテルを一瞥してからシュテーリアに再度視線を移す。
「シュテーリア様が着替えている間はわたくし達がお話のお相手をさせていただきますわ」
「まぁ、ユネスティファ様ありがとう存じますわ」
「リア、ゆっくり着替えてきて頂戴」
「ありがとう存じます、ルル様。それでは、御前失礼致します」
「わたくしもシュテーリア様と共に参りますわね」
シュテーリアはセレンディーネを伴って控室へと向かい、入室した時には既にいくつかのドレスと装飾品が並べ終わった状態だった。
全てシュテーリアの髪や瞳、そして肌の色に合うものが見繕われていた。