7話
フェルキスにエスコートされ、扇で口元を隠したシュテーリアは豪華絢爛を体現したような見目の少女に向かい合っていた。
家格としては同列…いや、父親が宰相職に就いていることを考えればエアリステ家の方が家格は上だろう。
本来であれば対抗派閥にいるカリアッド侯爵家には無理に挨拶をしなければならないことも無いのだが、互いにハルニッツとバディウスの婚約者候補筆頭でもある。
今後催されるであろう茶会などで否応なしに関わりを持たなければならなくなることを思えば挨拶くらいはしておくべきだろう、というのがエアリステ家の意向だ。
「初めまして、シュテーリア・エアリステです。本日より学び舎を共にし、研鑽を積めること嬉しく思いますわ」
「……あら、わざわざ挨拶にいらしたの?エルテル・カリアッドよ。シュテーリア様のことは噂に聞いていたけれど、先程お倒れになられたでしょう?共に研鑽を積む前に儚くなられるのではないかと心配致しましたわ。その様なお体で来る日の務めを果たせるとお思いなのかしら?」
「まぁ!ご心配痛み入りますわ。お恥ずかしいことに、あの様に多くの方から熱い眼差しと称賛を受けることは初めてでしたの。余りに胸が高鳴ってしまって…ですが、ランス王太子殿下より《青薔薇の妖精姫》という二つ名を真に賜った以上、これを神の祝福と思い、辱めること無く精進せねばなりませんわ。そう言えば、エルテル様は既にご自分の未来が決まっていると思っていらっしゃるのね。流石カリアッド侯爵様のご令嬢です。わたくしは未熟な身ですもの、より研鑽を積まねば未来が確約されているとは思えませんの」
高くもなく低くもない心地良い透き通る声音は、周囲の注目を集め、これ見よがしに目を伏せれば、エルテルは憤慨しているようだった。
それも当然だ。何せわざわざ王太子から二つ名を賜ったこと、他の多くの貴族から称賛を受けたことを言うだけでなく、「現状で思い上がるだなんて貴女のお父様同様に厚顔無恥ね」と言われているのだから。
エルテルの父親であるカリアッド侯爵は現在、要職に就いていない。
建国時から三大侯爵家として代々の王に仕え、要職を担う誉ある一族だったのだが…エルテルの曽祖父の時にその座から降ろされたのだ。
爵位すら返上させられそうだった事をエルテルは知らないのだろうか。
領地のすげ替えが行われ、現在その職には陞爵したフラペンス侯爵が就いている。
外遊中の国王陛下と正妃様が襲われる事件があったのだが、2人を救ったのがグルトニア辺境伯…現フラペンス侯爵である。
嫡男はランス殿下の側近であり、昨年の騎士学科の最優秀者だと聞いている。
ちなみに側近は学院を卒業する年の暮れに王から勅命を受けるのだが、王太子が直々に国王に頼み込んだ結果フェルキスは就学中の身でありながら側近を務めている。
本来であれば、勅命を受け任命式が行われ、最後にはお披露目の社交会があるのだが、未成年ということもあり、それらは全てフェルキスが卒業するのを待たれている状況だ。
エルテルの存在を忘れ、そんなことを考えていた時に声が掛かる。
「そうだわ!シュテーリア様、わたくしのお友達も紹介しても宜しくて?」
気付けばエルテルの後ろには4色のドリル、もとい4人のご令嬢方が控えていた。
「えぇ、是非」
紹介された令嬢達は、これでもかと着飾っている。
……正直に言うとやり過ぎだろう。
頭に大きなリボンと大きな宝石、胸元と腰元にも同様に、そして華美な装飾の数々。
前世に見たネオンにでも憧れているのかと思える程だ。ここまでやれば下品と言わざるを得ない。
王族であるルルネアと同系色のドレスを纏っているエルテルよりは比較的マシ、と言うくらいだ。
呉須色の髪でふくよかなミランダ、羊羹色の髪で色々と平なリゼロッテ、薄墨色の髪で不健康そうな痩身のヴァシュカ、煉瓦色の髪で小柄なノーレ。
リゼロッテとノーレは姉妹で、ノーレは同級だという。
モブはモブらしく存在感が薄いというか何と言うか…もう少しやりようがあったのでは?と思わないでもない。
「ミランダ様、ヴァシュカ様、リゼロッテ様、ノーレ様、シュテーリア・エアリステです。どうぞ宜しくお願いしますわ」
二つ名に相応しい笑みを浮かべたところで、視界の端に1人の少年が近付いてくるのを捉えた。
フェルキスを挟むように立った少年は、フェルキスの耳に顔を寄せる。
「フェルキス様、ランス殿下がお呼びです」
「…今、ですか?」
「はい……その…」
視線を彷徨わせた後、少年はフェルキスに耳打ちをする。
「1人でどう対処するか見たい、と仰せです」
そう告げた少年の顔色が見る見るうちに青白く変わっていく。
その顔色から見えないはずのフェルキスの表情が伺い知れるが……気付かないことにしよう。
「お兄様、大事なご用事なのでしょう?わたくしは大丈夫ですわ」
気遣わしげに寄り添えば、笑みを張り付けたフェルキスがシュテーリアのプラチナブロンドを掬い上げ口付けをする。
「倒れたばかりなのに1人にしてしまうのは気が引けるんだけどね…少しだけ行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ、お兄様」
般若の如く淀んだ雰囲気を漂わせながら立ち去るフェルキスの背中を見送っているとエルテルの深紫の目が眇られた。
(虐めるチャンス到来!ってとこかな?嫌味が通じなかったから実力行使だろうな。お友達がお誂え向きな濃い色の果汁ジュース持ってるし!!貴族の嫌がらせと言ったらワインぶっ掛けだよな!知ってる!!!)
ミリアム、ごめんな。染み抜き頑張って……と心の中で呟きつつエルテルに視線を合わせる。
「ごめんなさい、エルテル様。お兄様をご紹介できませんでしたわ…」
わざとらしく眉尻を下げ、空いた手を頬に当て首を小さく傾ける。
「あら、宜しくてよ。嫋やかなシュテーリア様は、お兄様がいらっしゃらないと心細いのではなくて?」
「お気遣いありがとう存じます。ですが、女同士でなくてはできない会話もございますでしょう?例えば…ドレスのお色やデザインの話ですとか」
ルルネアのドレスとデザインも近く同色に近い明るいピンク…辛うじて赤にも見えなくはないドレスを見て、その目を三日月に変える。
デビュタントとして参加する社交会以外の社交の場で王族と同じデザイン、同じ色を纏うのは王族に許された者のみであり、それは信頼と庇護の証でもある。
どう見てもルルネアとエルテルが友人関係にあるとは思えない。
不敬罪で罰せられることもあると言うのに、この令嬢は一体何をしているのか……と思ったが、特に何も考えてもいなさそうだとも思う。
罰せられないのは三大侯爵家の一つであるが故の配慮なのか、とも思ったが恐らく違うだろう。
子供だけの社交会だから目を瞑るのか、はたまた何か思うところがあって見過ごすのか…
まぁ、どちらでも良いか…と、シュテーリアは視線を後ろに控える4人の令嬢に移す。
何故、全員が同じデザインのドレスなのか…それぞれ似合う似合わないがあるだろうに…
ミランダは膨張色のオフホワイト、リゼロッテは差し色すらない真緑のドレスと装飾、ノーレは菫色のドレスは良いが化粧がきつく、ヴァシュカも不健康そうな肌色に水色のドレスも相俟って更に不健康が際立っている。
侍女や親は、一体何を教えているのだろうか。
出来ることなら今ここに姿見を用意してやりたいと思えるほどだ。
(芸術学科での成長に期待ということなのかな…いや、ある程度は理解しとかないとダメだろうよ)
自身が男なら、こんな下品な女はご遠慮願いたいところである。
「そうね!殿方は淑女の美への追求を理解しませんものね!貴女のドレスは、貴女に似合っているわねぇ…社交の場ですのに印象に残らないほどに薄いわ」
「わたくし、この色が大好きなんですの。お父様とお兄様の瞳の色が似合っていると言われるのは嬉しいですわ」
頬を紅潮させ照れた表情を作ったあと、口元を隠していた扇をパシンと勢いよく閉じて目の前に立つ5人の爪先から頭の頂点まで見眇める。
「皆様はルル様……いえ、ルルネア王女殿下と親しいのかしら?ここは学院であり、身分は関係なきものとされていても今は社交の場。限度がございますわ。尊き身であるルルネア王女殿下と似通ったデザインのドレス、似通ったお色のドレスは不敬と取られても致し方ないものと知っていてそのドレスをお召なのかしら?皆様はお母様から教えを説かれなかったのですか?」
威圧を込めながら一人一人の瞳の揺れを見ていく。
エルテルと伯爵令嬢のリゼロッテとノーレは憮然としたままだが、男爵家のヴァシュカやミランダは明らかに狼狽えを隠せていない。
「お優しいルルネア王女殿下だからこそ、此度の非礼は愛娘の我儘にお心を砕かれたお優しい親心を鑑みて目を瞑って下さっているのでしょうけど…お気をつけあそばせませ。ルル様には、わたくしからも口添えしておきますわ」
「あ、あの…どうか宜しくお願い致します……」
か細い声を出したのはヴァシュカだ。
エルテルに命令されれば身分から見て断る事は不可能な立場にある彼女としては、王族に対し不敬になる可能性があるとしても与えられたドレスを着ないという選択肢は無かったのだろう。
断ればカリアッド侯爵家から処罰され、受け入れれば王族から処罰される…ヴァシュカにおいては理不尽極まりない立ち位置だ。
立ち居振る舞いから見てもヴァシュカは、気が弱く否を唱えることが苦手な性格なのだろう。
同じ立場であるミランダはと言うと視線を彷徨わせたまま、口を開けずにいるようだ。
そこそこプライドが高く、ダンス中に他人に肘打ちせよという指示にきちんと従うくらいには実行力もある。
だとしても王族に不敬を働くつもりなど毛頭ないからこそ何も言えないのだろう。
口添えを頼みたいが、頼めばエルテルから何を言われるか分からないのだ。
(お可哀想に…)
リゼロッテとノーレは、理解した上でそのドレスを纏っているのだと思う。
彼女達もヴァシュカとミランダ同様に侯爵家より身分が下にあるが故に命令には逆らえなかったと言えば酌量の余地があるのだろうが…
「不敬と言うのであれば、王女殿下を愛称で呼ばれている貴女も同様ではなくて?」
シュテーリアを見下ろすように顎を上げエルテルが吐き出した言葉に深く息を吐く。
「わたくしは先程、ルルネア王女殿下より直接愛称で呼ぶように言われておりますわ。真に友人であるとも。不敬にはならなくてよ」
その時だった、ガシャンと大きな音が立つ。
シュテーリアのお気に入りのドレスが赤紫に染まっていく。
(ぶどうジュースか……)
シュテーリアは染まっていくドレスを優雅に底冷えする冷たさを持って眺めた。




