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68話



王領地にある王都からエアリステ領まではモストン公爵領を通る道とキーセン侯爵領を通る道のふたつがあり、最短はキーセン侯爵領を通る道だ。

王都から北上しキーセン侯爵領に入るまで1日を要し、キーセン侯爵領からエアリステ侯爵領までは4日を要する。

更に北上を続けエアリステ侯爵城に着くには2日必要だった。それも陸路を馬車で進めばの話だが。

今までシュテーリアはエアリステ侯爵領に帰るのに陸路での移動しか経験した事がなく、魔法での移動を経験するのは初めてだ。

通常、領地を越える転移魔法は王家にのみ許された権利であり、公爵家ですら許されるものでは無いが、長期休暇と非常事態にのみ特権階級である貴族にも許可が出される。

今回シュテーリアたちが利用する転移魔法は多くの宮廷魔術師たちやエアリステ侯爵家とヒスパニア伯爵家に連なる人物たちが作り貯めた魔力の結晶を使う。

何せエアリステ侯爵家の面々は魔力量が膨大で、馬車に乗っている面々の魔力総合量を超えなければならないのだ。

一台目のシュテーリア・ルルネア・エルテルだけでも相当量になるが、そこに二台目のフェルキス・ミコルト・エルリックもいるし、従者たちもいるので、往復の魔力量を考えれば王都を護る防御結界と同等量に値する魔力の結晶が集められた。

まずは王都からキーセン侯爵領の関所のある街に行き、その街からエアリステ侯爵領の関所のある街までが転移魔法での移動だ。

各領地には許可の無い転移魔法や攻撃を防ぐための防御結界のようなものが張られているため、通過する領地の領主には事前に許可を得なければ通ることは出来ないので既にキーセン侯爵には許可証を貰っていた。

エアリステ侯爵領に入ってからは視察も含むために陸路を進むことになるので実質的な移動は視察日数を含めて3つの町村を含み7日。

視察自体はフェルキスとミコルトが主に行うため、シュテーリアは観光が主だが。


エアリステ侯爵領の南関所のあるカルケラは大きな湖があるエアリステにおいて主要な商業都市の1つだ。街は整備が行き届き活気もあるし観光に訪れる者も多い。

首長城城門前に出現した馬車を多くの侍従と首長がシュテーリアたちを出迎えた。

首長として統治するパウル・エアリステはレイスの従兄にあたる人物で何度も会っているが気前も良く身形も性格も大柄という印象が強い。

シュテーリアが心の中で彼につけた愛称は《熊さん》である。

発色の良い緑のつぶらな瞳に金に近い茶のもじゃもじゃと蓄えられた髭、街中に盗賊が出たときの俊敏さと力強さは彼の体躯と同様に本物の熊に匹敵するのではないかと思う。

彼は人好きのする笑顔で馬車から降りたシュテーリアを真っ先に抱き上げた。


「シュテーリア!よく来たな!!なんだ?大きくなってないじゃないか!」


両脇の下に手を入れ、いわゆる高い高いの状態で淑女として教育を受けるシュテーリアを抱き上げるような人物はパウルと祖父であるゼファーくらいだろう。

それにこの1年でどこがとは言わないが成長したはずなのだが彼から見ればシュテーリアはまだ小さいらしい。確かに2メートルを越す彼に比べれば大半の人物が小さいだろうが。

この様子から見てわかるようにパウルはシュテーリアを可愛がっている。それはもう目に入れても痛くない程にだ。

彼の5人の子供は全て男児で、揃いも揃って反社会勢力並の強面で屈強な人物たちであり、女児を強く望んでいた彼の妻や妹を切望していた彼の息子たちもパウル同様にシュテーリアを蝶よ花よと愛でている。


「パウル叔父様、お久しぶりです。おろしてくださいませ」

「あぁ、久しぶりだな。元気にしていたかい?」

「えぇ、わたくしは元気よ?今日はお友達も一緒なの。紹介してもいい?それにお兄様とミコルトもエルリック叔父様もいるの。わたくしをおろしてから、ご挨拶させて?」


足をぶらぶらさせながらわざとらしく小首を傾げれば、蕩けるような表情に変わったパウルが「わかったよ」と言いながら片腕にシュテーリアを乗せた。降ろす気はないらしい。一体何が分かったのだろうか。

何故「おろして」の一言だけは都合良く聞こえないのか不満に思いながら仕方なくシュテーリアはパウルの肩に手を乗せた。


「ルルネア王女殿下とカリアッド侯爵令嬢のエルテル様よ」

「良くおいで下さいました。私はエアリステ侯爵よりカルケラの地を預かっております、パウルと申します」


そう頭を下げ…


「落ちる!落ちるわ叔父様!!」


咄嗟にシュテーリアは声を上げ、パウルの首に抱きついた。何せパウルはシュテーリアを抱き上げたまま、しっかりと頭を下げようとしたのだ。


「おぉ、すまないシュテーリア。妖精姫に怪我をさせてしまうところだったな!」


大口を開けて笑うパウルは貴族らしからぬ人物だと思う。

当然その姿にルルネアとエルテルは目を丸くしている。何せ彼女たちの周りには品の良いお貴族様特有の振る舞いをする人間しかいないのだから、パウルのような人物は接したことがないだろう。

ルルネアにおいては今世に限って言えばの話だが。

シュテーリアを地面に立たせる気がないパウルにフェルキスやエルリックが何も言わないことを不思議に思ったのかルルネアとエルテルがおろおろとしているのが分かって、漸く口を開いたフェルキスは「いつもの事です」と思考を放棄した笑顔で言った。


「あの…パウル叔父様?お友達の前で抱き上げられるのは恥ずかしいわ…」


遠慮がちに小さくした声で言って漸く地面が近付いたシュテーリアを第二波が襲う。

それはパウルの妻と王城に騎士として勤める二男以外の息子たちだ。

シュテーリアの来城を待ち侘びていた彼らは我先にと寄ってきて代わる代わる持ち上げるのだ。

揃いも揃って高い高いの状態で。肉体的にも性格的にも豪胆な妻も同様に。


「あぁ、今日のドレスも素敵だなシュテーリア!本当に可愛らしい!私もこんな娘が欲しかった!今からでも遅くない、私の娘にならないか?」

「カ、カナリア叔母様…そのっ、お久しっ、ぶりで…すっ!」


頬擦りをされながらの言葉にならない挨拶を受け入れつつ、やはり彼女もシュテーリアを片腕に乗せた。


「やはりシュテーリアにはピンクのドレスがよく似合うね!次は赤にしようか?オレンジもいいね」


彼女の言葉通り、シュテーリアの普段着用ドレスは彼女のお手製だ。

2週に1度、膨大な量のドレスが送られてくる上にカルケラを訪れると決まった時にはその日に着る用の可愛らしい特別なドレスが王都のエアリステ侯爵邸に送られてくるのだ。

お陰様でシュテーリアは1度着たドレスを2度着用することはない。

当然、今シュテーリアが着用しているフリルがふんだんに使われた少女らしい薄紅のドレスも彼女のお手製である。

一頻りシュテーリアを愛で終えて、やっと彼女の視線がルルネアとエルテルに向かった。


「…パウル、妖精が増えているぞ?どういうことだ」

「シュテーリアのご友人でルルネア王女殿下とカリアッド侯爵家のエルテル様だよ」

「やはり妖精の友達は妖精なんだね…我が国の王女殿下がこんなに愛らしく妖精のようだと知っていれば…」


そう呟いてカナリアは漸くシュテーリアを地面に立たせ、そっと手を繋いだ。離す気はないらしい。

彼女はシュテーリアと手を繋いだまま跪き、胸に手を当て頭を垂れた。


「カルケラ首長の妻、カナリアです。遠いところをよくお越しくださいました」

「…カナリア叔母様、その礼は殿方が誓いを立てる時にするものだわ」

「ん?あぁ、そうだったか…」


カナリア・エアリステ首長夫人…元の名をカインデルと言う。

過去、エアリステ侯爵領南部において名を馳せた盗賊団の頭領その人で、当然家名はない。

盗賊団が壊滅した今では躾の一環として子供に聞かせる寝物語の伝説の悪鬼になっているが彼女はその事実を「伝説の悪鬼だなんて嬉しいじゃないか!」と笑い飛ばしていた。

180を優に超える身長も肉厚的な肢体も伝説の悪鬼に相応しいものだと思う。

パウルが首長子息だった頃にカインデルを追い詰め、三日三晩一騎打ちで戦った末にパウルが勝利し、負けたカインデルは恋に落ちたらしい。

その瞬間から繰り出された情熱的なアプローチと玄人地味た手練手管でパウルは陥落したということだ。

シュテーリアには到底理解できない世界だったが、彼女に馴れ初めを聞いた時にはそういう世界もあるのだと理解するしか無かった。

ちなみに盗賊団の団員の一部は今この首長城の下働きとして働いているし、本人たちは隠しているつもりだろうが、殆どの者が元盗賊団だということを知っている。

あまり宜しくない方に優秀な団員はヒスパニアに引き取られて色々と教育された末に影となっているということだ。

それ故に、カルケラの首長一家はどの地方の首長よりもマナーがなっていない。

それでも跡取りの長男と騎士になった二男は比較的にマシだろうか。

いや、どうだろう…とシュテーリアは虚空を眺めながら考える。

どうも全員が全員『力こそ正義!力こそパワー!』と訳の分からないことを言いそうで仕方ないのだ。

先にルルネアとエルテルに言っておくべきだったと今更後悔するが、2人は目を点にして戸惑いながらも快く受け入れてくれたようだった。


男性陣が仕事へ向かう中、シュテーリアたちはカナリアに連れられて城内にある四阿(あずまや)でお茶をすることになった。

いや、最早シュテーリアたち妖精が愛らしく王都での話をする様子をカナリアが眺めて愛でる会だと思ってもらっていい。

そして彼女は(おもむろ)に優しく自身の腹部を撫でた。

その様子を目敏く見ていたルルネアがカナリアに向けて口を開く。


「もしかして…妊娠なさってるの?」

「「えっ!?」」


思わずシュテーリアとエルテルが声を揃え、視線をカナリアのお腹に移すと、彼女は嬉しそうに笑った。


「あぁ、そうなんだ。今度は女の子だよ」


そう言って微笑むカナリアは母として柔和な笑みを漏らしているのだが、シュテーリアはおろおろとしだす。

それもそのはず。彼女は先程シュテーリアを抱き上げたのだ。39歳といえば前世においても高齢出産と言われる年齢で、現世においては妊娠は有り得ないとまで言われている年齢だ。

ただでさえ出産は命の危険を伴うというのに、そんな彼女は10歳…あと2ヶ月ほどで11歳になるシュテーリアを軽々と抱き上げたのだからシュテーリアが狼狽えるのも当たり前のことで「何故わたくしを抱き上げたりしたのですか!」と憤慨した。

そんな様子のシュテーリアすらカナリアにとっては愛らしく見えるのか「シュテーリアが愛らしいのだから仕方ないだろう」と果実水を片手に快活に言う。


「はぁ…お父様はカナリア叔母様のご懐妊を知っていらっしゃるの?」

「いや、知らないな。もう6人目になるんだ、わざわざ言う必要も無いだろう。産まれたら知らせるさ」

「人数の問題ではありませんわ!いつお生まれになるのです!?」

「そうだな…上秋の月には。シュテーリアと誕生月が同じになるな」

「女児なのですね?」

「あぁ、腹の子とは魔力で繋がっているからね。教えてくれるんだよ」


残り2ヶ月しかないのかとシュテーリアはあんぐりとして、急ぎフェルキスに光る鳥を送る。

すぐ様届いた返事のフェルキスの声の低さに今パウルがどんな状況に置かれているのかを察して、自業自得だとカップを取った。

首長夫人の懐妊という祝い事に領主が祝伝や祝いの品を贈らないなどあってはならないことだ。

またしても目が点になっているエルテルが城内が騒がしくなったのを聞き付け、小首を傾げた。


「何かあったのかしら?」

「確かに騒がしくなっているわね」


騒がしさの正体、それはパウルと息子たちだ。

カナリアは急ぎ走ってくる彼らを見て「あっ」と口にした。


「どうされました?」

「あははは!いや、すまない。そうか、フェルキスに伝えたらパウルにも知られてしまうか!」

「「「えっ?」」」

「驚かせようと思って言ってなかったんだ。私は元から細身ではないし、普段からゆったりした服を好むからね!気付かなくても不思議ではないよ!」


最早笑い事ではないのだが、彼女は相変わらず快活に笑って済ませようとしている。

シュテーリアは深く溜息を吐いて「怒られて下さいませ」と呆れ口調でその場を終わらせた。

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