閑話5:優秀な次期宰相候補(フリオ視点)
試験日が近付く上夏の月、執務に追われながら漸く腰を落ち着かせたところにフェルキスからの一報があった。
「治癒室か…」
おそらくエアリステ侯爵令嬢に…いや、シュテーリアに何かがあったのだろう。
出来ることならば自分の手元に置き、庇護し、彼女の助けになりたい。
そう願っても出来ないのは、彼女が生まれたその日に自分自身で下した決断があるからだ。
私とサラマリアの娘は生まれ落ちたその日に母を亡くし、他者の子になった。
彼女にあげられたのは名前だけで、抱き上げることすら無くエアリステに預けたのだ。
本来ならば亡き妻の分もシュテーリアを愛し育まねばならない立場にあったのに…
今の私は妻を亡くした喪失感に苛まれ、娘を蔑ろにした男の末路でしかない。
「サラ、君が生きていたら…」
そう独りごちて頭を振り、重い腰を上げて文官棟に足を向けた。
エアリステ侯爵令嬢になったあの子に今更何をしてやれるのか。
妻との思い出が残る物の殆どを処分し、手元に残るのはサラマリアが最期まで研究していたサラマリアしか使えない魔法に纏わる書類のみだ。
考えなど纏まらないまま私は文官棟に足を踏み入れ、治癒室の扉を叩く。
「どうぞ、お入りください」
中から声変わりを迎えている最中の少年の声がする。
入室すれば優秀な従弟の子であるフェルキスが冷徹な笑みを携えて待っていた。
「本当に君たちは似ているな」
「父上とですか?それはそうでしょうね…私は優秀な父の模造品として育てられたのですから」
事も無げにそう紡ぐフェルキスは、ある日を境に変わっていった。
私にサラマリアが現れた日のように、君にもその身を焦がすような何かがあったのだろう。
そう、目の前に眠る私の娘だった少女との間に何かが。
愛を語るのも愛でるのも物事を上手く進める為だと言って憚らなかったエアリステ侯爵家の者たちが一度シュテーリアが倒れたのを機に変化を遂げている。
レイスもまたその一人だが、フェルキスほど顕著ではない。
「フェルキス、それで何があったのかな?」
「私が到着した時には既にシュテーリアは階段から落下した後でしたが、上階に立ち去る藤色の髪の女生徒の姿を視認しました。その女生徒は物陰に隠れてすぐ転移魔法を使い気配を消しましたが……」
「なるほど。再び院内でシュテーリアを狙った犯行があったか…」
怒りを孕んだ、それでいて何かを探るような視線が私に向けられている。
おそらくフェルキスは気付いているのだろう。
自身とシュテーリアの間に近しい血縁関係がないことに。
シュテーリアの実父が私である可能性に行き着いているのだ。
王太子の側近、次期宰相候補、エアリステ侯爵家の嫡男、自身に与えられた立場や権限全てを利用し可能な限り真実に近付き始めている。
だが、確定的な証拠になるものが無いのだろう。
そして、それを与える権限は今の私にはない。
私を見据える翠眼と視線を合わせ、労るような表情を作る。
その小さな肩にどれだけの重責を背負っているのかと考えれば途方も無い気がした。
重責を捨て逃げ続けた私と全てを背負う覚悟をした君とでは違うのだな。
私が君に教える事など何一つないのだろう。
いずれ君は己の力で真実に辿り着き、自ら私の元に訪れるはずだ。
シュテーリアとの婚約の許しを得に。
私は、その時に彼女が望むのなら許せば良いのだ。
それが私の役目であり、唯一シュテーリアにしてあげられる事。
「フェルキス、愛しい子であるのなら何に変えても守りなさい。それが、君の為になるだろう」
フェルキスは訝しげに私の言葉を噛み砕く。
「シュテーリアは…守られるだけの弱き者ではありませんよ」
「そう、か。シュテーリア・エアリステは守られるだけの嫋やかな令嬢では無いのか」
傍で見守り手を差し伸べてきた君が言うのなら、そうなのだろう。
「では、私はシュテーリアに危害を加えた者の足取りを追うとしよう」
踵を返し治癒室から出れば空気が軽く感じられた。
私にさえ緊張を強いるとは、次期宰相候補は中々に肝の据わった人物だ。
本当にたかが12歳の少年と侮る事はできないな、と苦笑して門へと向かった。
次回更新予定日7月22日0時です。




