33話
エナと初めて会った翌日からシュテーリアは平穏な日々を送っていた。
チェルシュの作る料理やデザートはどれも美味しく、学院ではルルネアやセレンディーネを筆頭に友人たちと無難な日々を過ごし、相変わらず厳しいエルリックの授業をこなしていた。
エルテルとの嫌味の応酬も様になってきたと自画自賛する。
変わったことと言えば放課後にエルリックとフェルキスと共に登城する機会が増えたことくらいだろう。
先日の宣言通り、ルルネアに対してエルリックは未だかつて無い程に優しく授業をしているのだが、ハルニッツとバディウスに関してはその限りではなかった。
そして、今日は上春の月最後の休日である。
朝からチェルシュと料理長のザックが慌ただしく動き回っているのは頷けるのだが、何故か他の侍従たちも慌ただしく邸内を駆け回っていた。
それも仕方ないだろうとシュテーリアは庭園に備えられたテーブルに着き寛ぐ複数の人物を目の前に無のまま座っていた。
「なぜ、ランス殿下たちが?」
「さぁ?どこかで聞き付けてやって来たそうだよ?」
フェルキスの顔からは普段の笑みすら消え、その表情は無と言っていいだろう。
そもそもどこかで聞き付けてやって来ることが可能なのか些か疑問である。
この料理対決はエアリステ家でのみ行われるものであって他者を饗すものではないのだ。
エアリステに属する者たちが外部に吹聴するとは思えない。
「ランス殿下、どこかでお聞きになられたのですか?」
人様の家にいるとは思えない程にだらけきった様子のランスは薄く開けた青と赤の双眸を微睡みに揺らし、シュテーリアの質問に生返事で応対する。
「んー……まぁ、なんだ…ウィラント商会を張っただけだ」
大きく開けた口を手で隠し欠伸をしてランスはテーブルに突っ伏し、適当に上げた右手をゆらゆらと振る。
隣に座るユネスティファが「わかったわ」と一言呟き、シュテーリアとフェルキスに向き直った。
今、円卓を囲むのはシュテーリアとフェルキス、そしてランス・ユネスティファ・ヴィルフリート・レオンハルトの6人。
彼らはランスに連れられて早朝にやってきたのだ。そう…早朝に、だ。
純白の愛馬から爽やかに降りるランスにフェルキスが射殺さんばかりの鋭い視線を向けていたのは言うまでもない。
それからステヴァンを始めとする侍従たちが慌ただしく且つ完璧な準備を整えて見せたのだ。
「フェルキス、シュテーリアごめんなさいね。ランスったら言うこと聞いてくれなかったのよ」
燃えるような赤い髪を微風に靡かせ、ユネスティファは悪びれた様子もなく言葉だけの謝罪を口にするのだが、これを受け入れなければ狭量だと言われるのが貴族の世界である。
「構いませんわ。ですが、突然のことで大した饗も出来ませんの……」
「あら、良いのよ?全てはランスの我儘だもの」
「……キーセン家にも突然お迎えに?」
「いいえ?計画を立て始めた段階で相談はされていたわね。如何にフェルキスを欺くかが主な内容だったけれど」
ユネスティファは洗練された手つきでカップに手を掛けてからフェルキスを見て、ゆったりと口角を上げる。
それをフェルキスも穏やかな笑みで迎え撃つ。
「やり方が甘いのでは?時間の把握すら出来ていないとは…偵察の仕方が温い。それと不意打ちだけが目的であるのなら、まぁいいでしょう。ですが、ランス殿下のことです…私を出し抜いた上でエアリステの慌てた姿を見たいという目的もありますね?」
「えぇ、そうね」
「殿下がチェルシュに関心を持った時点で今回のことは予想しておりましたよ?ですから、料理長にもチェルシュにも相当量を用意させています」
それに、とフェルキスは続けながら突っ伏したランスを一瞥する。
「侍従たちの慌てる素振りも見れてご満足頂けたようで何よりです。お次は皆様の狼狽する姿を見せて頂きましょうか…」
今朝の侍従たちのとっていた行動は全て演技であり、フェルキスの指示以外の何ものでもなかったということらしい。
更に不穏な言葉を吐いて悠然と笑み、テーブルの下でトンッと足を鳴らす。
「いっっった!!」
小さな青白い閃光がフェルキスの元からランスの元へと駆け抜け、到達するやいなやランスが声を上げて飛び起きる。
「おはようございます、殿下。お休みの時間は終わりですよ」
フェルキスがパンッと一度手を鳴らせばテーブルの上には所狭しと書類の山が現れた。
「さぁ、殿下…大好きな執務の時間です。夏の長期休暇中に視察に赴く領地に関する書類なので、全てに目を通して下さい。食事が運ばれてくるまでに、全て」
「おま……いや、無理だろ…」
「無理?王太子とあろう者が無理と仰いましたか?」
凄まじい威圧感を放つフェルキスにシュテーリアとランス以外の全員が目を逸らすが、フェルキスは太陽に照らされて透き通るほどの輝きを見せる翠眼を細め、至極満足気に追い討ちをかける。
「ユネスティファ様、ヴィル、レオ。目を逸らしている時間があるのですか?今回の視察には私は居らず貴方たちが同行するのですよ?エナも同行する予定ですが、彼女にだけ頼るのは頂けませんね」
そう言ってテーブルを二度指で叩いてからシュテーリアに顔を向けた。
「僕らは庭の散歩でもしてこようか」
思わずアルカイックスマイルの眩しいフェルキスの手を取り立ち上がったシュテーリアは山積みの書類を前に頭を抱えるレオンハルトを見て、苦笑する。
それは前世で演じた舞台の劇中でもよく見た姿だった。
騎士として有能な彼は、文官仕事を何よりも苦手としていたのだ。
それをヒロインが甲斐甲斐しくサポートするのだが、残念なことに今はまだヒロインは現れていないし、他にサポートしてくれる者もいない。
可能性があるとすれば監視役を言い渡されたステヴァンだけなのだが、期待はしない方が良いだろう。
彼はエアリステに教育された侍従なのだから。
頑張れ、と心の中で呟いてシュテーリアはフェルキスにエスコートされるまま庭園の中へと足を向けた。
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フェルキスと向かったのは噴水がある場所からアーチを潜り少し奥にある場所だった。
そこはフェリシアが手ずから育てるマリーゴールドが存在感を顕にしている。
「花言葉というものを知っているかい?」
徐に口を開いたフェルキスはマリーゴールドを一瞥して侮蔑の笑みを見せた。
「いくつか知ってるわ。噴水広場にあるラナンキュラスは、晴れやかな魅力や光輝を放つよね?」
「そう。マリーゴールドの花言葉を調べてみるといい。これを母上に贈った人物の感情が読み取れるからね。花を贈る時は隠された本音を込めることが多いんだよ」
嬉々として世話をするフェリシアの姿を思い浮かべたシュテーリアは、このマリーゴールドはフェリシアに対して情に溢れた人物からの素敵な贈り物なのだろうと思い、触れようと手を伸ばしたのだが、その手は緩くフェルキスに掴まれる。
自然に掴まれた手はフェルキスの口元に運ばれ、彼はその手に触れたまま言葉を紡ぐ。
「コレはね、シュテーリアが触れて良いものではないよ」
麗らかな陽気に似つかわしくない蠱惑の笑みでシュテーリアを制すと、フェルキスは何事も無かったかのように再び歩き出す。
庭園の散策はミリアムが呼びに来るまで続いた。

次回更新予定日は6月12日0時です




