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30話


シュテーリアが目を覚ました時には既に昼を迎える頃だった。

寝過ぎて体が痛いのか、それとも熱のせいで体が痛いのか……どちらかと言えば後者だろう。

解熱効果を持つ治癒魔法はあるのだが、重症でも無い限り連日治癒魔法をかけるのは避けるべきだと言われている為、どうにか耐えるしかないようだ。


サイドテーブルに置かれたベルを鳴らすと、すぐにチェルシュが入ってくる。


「おはようございます、お加減はいかがですか?」

「おはよう…気分は最悪よ。あと、喉が渇いたの」


そう伝えればコップ一杯の冷えたハーブ水を渡され、ゆっくりと時間を掛けて飲んでいく。

熱くなった体に染み渡り、心地好い感覚を覚えた。

額に冷たいタオルを乗せられ、少しだけ身震いし

寝台の横に置かれた椅子に座るチェルシュを見上げた。


「うぅ…なんか、ぐるぐるする……」

「高熱によって魔力が乱れていることが原因で眩暈や吐気を催すことがあると治癒師様が仰っていました。ですので熱が下がるまでは魔法も厳禁です。暴発する恐れがありますからね」


確かにチェルシュの言う通り体内で魔力が暴れているような感覚がある。

もし、暴発した場合どうなるのだろうか…と熱のせいで回らない頭で考えても視界が揺れるだけで何の答えも浮かんでこなかった。


「…お兄様は?」

「……お倒れになってからフェルキス様を探してばかりですね」


露骨に眉を顰めて不満の声を漏らすチェルシュにシュテーリアは力無く反論する。


「仕方ないじゃない、今世(こっち)に来てから毎日のように撫で回されて安心するようになっちゃったんだもの」

「随分と飼い慣……」


目を細めて睨み付ければ、チェルシュは視線を逸らして押し黙る。


「チェルシュもお兄様くらい優しければいいのに…」

「そのご期待には沿えなさそうですね」


相変わらず視線を逸らしたままのチェルシュに不満の声を上げるが彼の意には介さないようだ。

ならば…とシュテーリアは実力行使に出る。


「弱ってるときくらいいいじゃん……」

「あ?」


寝台に置かれていた彼の手を引き寄せ擦り寄る。

やはり弱ってる時には人肌が一番落ち着くな、などと暢気に思うシュテーリアなのだが、チェルシュはそうもいかない。

何せ今のシュテーリアは熱のせいか普段よりもその真珠のような白い肌を紅潮させ、春空の双眸は気怠そうに蕩けている。

10歳の少女に相応しくない耽美さがそこにはあるのだ。

ガックリと寝台に項垂れたチェルシュは従者らしからぬ言葉を吐いた。


「はぁ〜〜〜、もう大人しく寝てくれ!俺はまだ死にたくねーんだよ」


触れただけで生死に関わるとはどういう事なのか…意味がわからないといった表情でシュテーリアはチェルシュを見上げ、引き寄せた手を頭に乗せた。


「寝るまで撫でて」


体調を崩した時には、いつもフェルキスが眠りに就くまで撫でてくれていたのだ。

シュテーリアは、それをチェルシュに求める。


「〜〜〜っ!わかった!ほら、目ぇ瞑れ!」


体調が悪いながらに我儘も忘れないとは実に貴族のお嬢様らしい、とシュテーリアは自画自賛する。

項垂れたままシュテーリアを見ようともしないチェルシュの事はさて置き、目を瞑ればすぐに眠気が押し寄せた。



ーーーーーーーーーー



「……ぇ、ぁ…ぅぇ…………」


微睡みの中、聞き覚えのある声がシュテーリアを呼ぶ。


「姉上、お休みのところ申し訳ありません……姉上?」


ゆっくりと目を開ければ、寝台に乗り上げ間近に迫る美貌の弟が覆い被さるような体勢でシュテーリアの覚醒を待っていた。


「ーーっ!?」


ミコルトはシュテーリアの額に乗ったタオルを取り、彼の手はシュテーリアの両頬に添えられ互いの額を合わせる。

あまりの距離の近さに驚愕し、声を出すこともできない。


「熱は下がったみたいですね」

「そ、そうね!さっきよりは体も楽よ」


多少の距離が出来たものの、ミコルトに離れる素振りには見られない。

不敵な笑みを浮かべるミコルトに狼狽えつつも返答し、少しだけミコルトの体を押した。


「ふふっ、姉上の力じゃ押し返せませんよ?」


薄い胸板に添えた手にミコルトの手が重ねられ、彼は不敵な笑みを消し悲哀を込めた真青な瞳を潤ませる。

項から伸びた艶やかな黒髪がはらりとシュテーリアの顔の横に落ち、影を作った。


「いつも兄上に寄り添っているのに僕はダメなんですか?同じ兄弟なのに…兄上ばかりが姉上を独占して……僕だって姉上の傍にいたいのに…」


譫言のように吐かれる言葉には影があり、フェリシアと同色である美しいはずの碧眼からは光が消えている。


(これが……ヤンデレ姉至上主義者の本気?!)


正直、フェルキスよりも恐ろしい……そうシュテーリアは思った。

いや、正しくは今のミコルトは危険だと本能が警鐘を鳴らしているのだ。


「ミコ、ル…ト……その、少しだけ離れて?」


自身の顔が引き攣っていないことを願いながら告げるが、ミコルトはそこから動こうとしない。

こんな時の為に本来はミリアムやチェルシュが常に側に控えているはずなのだが、残念な事に今はどちらも居ないのだ。

ミコルトが入室前に人払いをしている為、2人が居ないのは当然なのだが、シュテーリアはそれを知らない。

どうするべきか…シュテーリアが白桃色の唇を何度か開閉させて、声が掛かる。


「ミコルト、何をしている」


底冷えするような怒気を孕んだ声のする方に視線を向ける。

そこに立って居たのは竜胆色の双眸が冷たく光るエルリックだった。


「叔父…様?」

「そこを退きなさい。シュテーリアは病人だ」


シュテーリアの声には反応せず、エルリックはただミコルトだけを見据えている。

シュテーリアにだけ届く程度の舌打ちが聞こえたが、聞こえなかった振りをして再度ミコルトの体を押した。

今回はすんなりと抵抗もなく離れ、ミコルトは静かに傍に置いた椅子に腰を下ろす。


「兄上も姉上も、いっつも2人で居るから意地悪したかっただけです。僕はいつも1人で置いていかれるばかりで……」


唇を尖らせ拗ねる姿は昨夜、シュテーリアの手作り料理を強請った時と同じものだ。


(え、やだ、可愛い……うちの弟、可愛い!)


先程までの恐怖はどこへやら……寝台に横たわったままミコルトを見上げるシュテーリアの春空色は明らかに輝きを増している。

シュテーリアの表情を見たエルリックは眉間に皺を寄せ、皺の寄った場所を指で叩く。


「君たちは兄弟の適切な距離というものを理解する必要があるのではないか?」


盛大な溜息に続いて投げ掛けられた言葉にシュテーリアとミコルトは悪気もなく返した。


「お優しいお兄様に甘えるのも、可愛い弟に甘えられるのも悪くありませんわ」

「大好きな兄上と姉上に甘えるのもダメなんですか?」


実を言えばミコルトは本心から嫉妬していただけである。

姉を独占する兄にも、兄を独占する姉に対しても。

本人にとっては、ちょっとした悪戯だったのだが、余りにも演技の才能に溢れていただけだ。

その上にエアリステ家特有の魔王力が合わされば、ヤンデレを装い相手を萎縮させることなど容易いことだと言える。

そういえば……とミコルトは続ける。


「兄上はお帰りになってないんですか?」


小首を傾げるミコルトにエルリックはバツの悪そうな表情を浮かべた。


「……シュテーリアの従僕と話し合わなければならない事が出来た、と不愉快そうに笑んでいたが」

「チェルシュと?何かあったのかしら?」


お弁当が不味かったとか?などと的外れなことを考えるシュテーリアに、この時フェルキスの私室で地獄の話し合いが行われていたと知らされることは無かった。


次回更新予定日は6月2日0時です。

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