28話
「椅子に縛り付けるだなんて、あんまりだわ!」
そう声を上げたのは心優しき浅葱色の王妃トルテアである。
鮮やかな紅蓮の双眸は相変わらず燦然と輝くも潤いを増している。
「あら、エアリステでもヒスパニアでも当然のことよ?王族の忠臣たる者その程度の苦行に耐えられなくてどうするの」
事も無げに言い放つのは王妃の友人にして宰相の妻フェリシアだ。
艶やかな黒髪を撫で、妖しく光る青の双眸をトルテアとレギオスに向けた。
隣に座るレイスも深く頷いている。
「王の側近は、王以上の能力が求められる。キーセン侯は武芸において、モストン公は魔術において最も優秀な人物と言って間違いないでしょう。だが、エアリステが代々受継ぐ宰相の座はただの側近であってはならない。1つのことに心血を注ぐだけでは足りないのですよ。有事の際には王に代わり政を仕切り、必要とあらば王の剣にも盾にもならなくてはならない。それが、伴侶である王妃陛下を除き王に最も近しい臣下の務めです」
言い切るレイスの姿は宰相としての矜恃を冷たく輝かせるものだ。
ランスを覗き見れば、彼はフェルキスのことを眺めている。
彼の青と赤の隻眼には憐れみなどは無く、頼もしい臣下への尊敬が感じられる。
おそらくランスはフェルキスがつらい課題を乗り越えた事を知って早期に側近にと求めたのだろう。
「でも、シュテーリアやミコルトは側近にはならないでしょう?」
悲しげに黄色の瞳を伏せたトルテアに声を掛けたのはランスだった。
「母上、フェルキスは…有事の際には俺の身代わりとなることもある。真に命を賭しての身代わりに。そうなれば次に俺が側近に取り立てるのはミコルトだ。俺と同じ王太子としての教育をハルニッツやバディウスにしているのと何ら変わりない。それに…シュテーリア嬢においてもだ。フェルキスに何かあれば家はシュテーリア嬢が纏め、側近にはミコルトが上がると考えるのは何もおかしいことでは無いでしょう」
当然のことだとランスは母親に説く。
フェルキスとしても、それを深く理解しているランスに満足したようだ。
「ランスにヒスパニアの家庭教師を付けたのは正解だったな。ハウゼンやキーセンの者は王族に優しすぎる」
眉尻を下げて言ったのはフリオであり、それに対しレイスが深く溜息を吐いた。
「貴方もその甘やかされた1人でしょう。王太子になりたくないからと悪知恵を働かせて動き回ったのは誰ですか」
「おや?覚えがないな」
クツクツと笑って白を切るフリオに彼が何をして回ったのかを知る人物たちが肩を竦めて溜息を吐く。
会話に多少の間が出来た隙にデザートが運ばれてきた。
真っ白な皿の上には赤い果物で作られた薔薇の飾りが華やかなパイとショコラが掛かり程良く蕩けたバニラアイスがある。
そう、シュテーリアが作れないと思っていたアイスクリームがあるのだ。
女性陣の声色が華やぐ中、後ろに控えていたチェルシュを言葉無く呼び、耳を近付けるよう指示した。
「チェルシュ…これは……」
「アイスクリームです」
「……どうやって…」
「バニラビーンズがあったので普通に作りましたが」
「……そ、そう。バニラエッセンスが無くても作れるのね…」
「はい、作れますよ」
前世ではバニラエッセンスを使った方法でしかアイスクリームを作ったことがなく、バニラビーンズでアイスクリームが作れる事をシュテーリアは知らなかったのだ。
家の保管庫にバニラビーンズがある事をチェルシュに告げると「試作品をいくつか作ってみますね」と笑んだ。
少々抜けているシュテーリアを見て、少し緊張が解れたのかもしれない。
ふとミコルトがシュテーリアの肩を遠慮がちに叩く。
「姉上?姉上も料理をされるんですよね?僕は食べたことがないのですが……」
料理の計画を練ってすぐにチェルシュを従僕とした為、シュテーリアは作ることをやめていた。
だが、それはミコルトの期待を裏切ることになっていたらしい。
「家族に振る舞うと約束したものね。約束は守らなきゃ…」
「はい!ステヴァンから聞いて楽しみにしていたんです!」
屈託なく笑うミコルトは毒気を抜いた黒髪碧眼のフェルキスである。
……いや、それは造形が似てるだけでフェルキスじゃないな。とシュテーリアは思い直し、改めてミコルトに手料理を振る舞う約束をした。
デザートに舌鼓を打ったレギオスが相変わらずチェルシュを得ようとしてくるのをレイスが諌め、婚約が無理なら養女にと更に無茶を言うトルテアをフェリシアが躱し、ハルニッツとバディウスが「どうかお手柔らかに頼む…」とエルリックに懇願する様子を見て、シュテーリアは思う。
平和だな、と。
こんな時間が続けばいいのに…そう願いながらパイの最後の一欠片をシルバーで拾おうとして、手に力が入らずシルバーが皿の上に放り出された。
カチャンという音だけがやけに鮮明に響き、シュテーリアの体がぐらりと揺れた。
次回更新予定日は5月28日0時です。




